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11 旅路 1



 グランディア城から街の外まで続く長い一本道に、民衆が集まっていた。小さな女の子が駕籠一杯の花を、時折道に投げてくる。
 歩兵と騎兵に囲まれて、俺は笑顔を貼り付けて、度々呼ばれる名前に手を振って応えた。
 屋根の無い馬車の同乗者は、リカルド二世陛下。
 陛下は俺と反対方向の民衆に顔を向けているが、恐らくそこに笑顔は無い事だろう。それ所か手を上げる事もせず、ただ視線をくれているだけマシといったような態度でいた。
 それでも、国王夫妻の仲良しアピールは、触れ合った肩や繋がれた指先で十分のようだ。お互いに手袋を嵌めているので温もりは殆ど感じないが、重ね合わせた手に動きを制限されて窮屈ではあった。
 陛下は時々ずり下がって来る俺の帽子を直すような仕草を見せ、その度に道路に集まった民衆が沸き立つ。
 鳥の羽飾りや色鮮やかな生花で飾られた鍔の広い帽子は中々に重いのだ。王妃、と叫ばれる度に陛下の代わりに愛想を振り撒いているので、前後左右に動き回っている俺の頭から、帽子は何度と無く下がってきた。
 しかし途中でその仲良しアピールは面倒になったのだろう、帽子の後ろに結ばれた長い紐飾りを手綱のように指に絡めて、何時しかそれで帽子を俺の頭に固定する事に成功したようだった。
 そうやって多くの民衆に盛大に見送られて、俺達は王都アレクサを旅立った。

 ルカナートを目指す一団は、四日後にはグランディア王国の国境を越えた。
 それから隣国ラングルバート、二つの小国を横断し、エスカーニャ神の分身の一つ、ハッティスを奉るハッティヌバ国の山越えをしてダガートに入る事になる。
 ハッティヌバとダガートの国境は、明確では無い。数百年前には平野に流れる大河をそれとし、ハッティヌバはその大河より内側に万里の長城のような長く高い城壁を作ったというが、今はその大河も城壁も、雪に覆われ陰も形も無いのだ。
 今では雪土の終わりが国の境、というのが、決まり事のようである。
 そもそも、神話の時代からこの世界に冬季は無い。一年を通してグランディア王国と同様、温暖な気候だった。大陸の北端の一部、南端の一部にそれぞれの特徴があった程度だ。大陸の中央から発展し、サンジャルマが帝国を起して後、国家として独立して今に至る。
 またそれは後に南端でも、砂漠の武勇国家としてバアルが続く。
 比較して極寒の北部は、大陸の何処にも追従せず、隔絶された土地の中で独自の生活を貫いた。しかし何時しか閉ざされた凍土の民は、大陸に侵攻し、サンジャルマ帝国を襲撃した。
 サンジャルマ帝国の陥落により、そこにダガートという国が生まれて後、雪土は急激に増した。
 それ故にダガートと雪は同様に、忌み嫌われ、悪魔と揶揄される。白い悪魔は神の国を喰らい、エスカーニャ神さえも滅ぼそうとしている――。
 その手始めがハッティス、及びハッティヌバだというように、白い悪魔はハッティヌバの山脈に手を伸ばしていた。
 ハッティヌバ国に踏み入れた瞬間からその兆候は、俺も身に染みて分かる程だった。
太陽は上空で燦々と輝いているのに、その暖かみをまるで感じられないほど、空気は冷え切っていた。冬の早朝の空気さえ暖かく感じてしまう程だ。
 馬車の内部は革張りで冷気が忍び込みにくいとはいっても、毛皮の上着を着こんで震えているような有様の俺は、馬車の外で到着の声が聞こえた瞬間に安堵の溜息をついた。
 ハッティヌバに入ったのは調度昼に差し掛かった頃で、一団は予定していた場所で昼食を取る事になった。
 ハッティヌバの中流貴族の屋敷だというそこは、今日の為だけに名だたる料理人を揃えているのだという。
 前日に合流したモノスの大公夫妻と一緒に、広間に通された俺は、寒さのあまり暖炉の目の前を確保していた。
 自然、リカルド二世も俺の隣に座る事になる。
 グランディア城を出立した時には、俺とリカルド二世の近衛騎兵がそれぞれ一個中隊、それから歩兵を入れて三百余名だったのだが、ラングルバートでバアル王国の一隊とラシーク王子と合流し、モノス王国の五十名を加えた大所帯となった。
 ただ王族はたった五名であるから、一緒に昼食を摂るメンツもそれだけだ。
 先日まではそれがラシーク王子との三人だけだった。
 ここまでの旅路でグランディア王国内では家主の貴族一家が一緒だったが、国外では歓迎と送迎の挨拶に見るだけだった。
 食事の後も、あまりのんびりしている事は無い。
 旅程を出来るだけ短縮したい、というリカルド二世の意向で、豪華な晩餐はモノスの大公夫妻と合流した一晩きりだった。
 俺としても色んな人に会って王妃を演じるのも骨が折れるので、特に否は無い。
 モノスの大公夫妻は御年が50を越えた穏やかな方々で、食事時は何時も静かだ。食事が終わると紅茶や軽いお酒で歓談をする程度。
 モノスの大公妃マリッサ様は、俺にプレゼントしてくれる予定のひざ掛けに刺繍をする作業に没頭しているので、俺は存分に暖炉に張り付いて暖を取っていた。
 ここまでの道行きは、特筆する事は無い。
 しいて言うなら、ラングルバートで合流したラシーク王子が、会わずに居た半年余りの間に随分と身長が伸びていた事に驚いた位か。
 成長期なのだろう、俺と変わらなかった背は、後5センチ程度で180を越える程で、それに伴って肩幅も広くなった様に見えたし、上半身の厚みも増したように感じた。――暑い国の出身なので単純に防寒で着膨れしているだけかもしえないが。
 女の子と違って男の子の成長期は、短い期間で大きく容貌を変える。元々大人びた青年だったが、もう立派な成人男性にしか見えない。
 そのラシーク王子は、リカルド二世やモノス大公と一緒に、何やら難しそうな話しに熱中している。
 ――何時かの求婚は、お互いに無かった事になっていると言って良い。
 あの後すぐに俺の素性が暴露されたティアの祝雅会があって、その後ラシーク王子が国許に帰国する際に一度、その事を詫びられた。お幸せに、と少し淋しげに言われて、とてもじゃないけど、リカルド二世の妻よりラシーク王子の方がマシだからその手を取ります、とは言えない状況だった。第一リカルド二世が隣に居たし。
 その後、ゲオルグ殿下一家さえも王都を去る事になった半年前に、ラングルバートに再度留学するラシーク王子が立ち寄った時も、ラシーク王子の態度は今まで通り。
 横目でマリッサ様と男性陣を眺めてから、俺は呼気を吐きながら、視線を暖炉に移した。
 時々炎の中で薪が爆ぜる音がして、火花が散る。赤々と燃える炎の揺らめきが、煉瓦作りの暖炉に反射した。
 俺は座っていた椅子から立ち上がって、暖炉の前に蹲る。体育座りをするように縮まって、両手を炎に翳す。
 あまり褒められた体勢じゃないが、咎め立てする様な人は居なかった。
 代わりに、心配するような声が背後から掛かる。
「お寒いのですか」
 と、密やかに囁くマリッサ様は、自分のかけていた膝掛けを持って立ち上がりかけた。
「大丈夫です」
 俺は慌てて首を振るものの、その場から動く事は出来なかった。
 マリッサ様は膝掛けを俺の肩にかけて、労わる様に背を撫でてくれる。
「震えておいでだわ」
 勿論、自覚はある。俺は曖昧に微笑む事で、否定も肯定もしなかった。
 寒いのでは無いのだ、と、小刻みに震える指先を炎に当てているのに、何故言えただろうか。
 けれどもう十分に、体は温まっている。室内も十分に暖まっているし、外の気温だって、日本で言えば秋の終わり程度のものなのだ。
 ただこの身体の震えは、もっと違うどこかからやってくる。
 身体の内側から先端へと伸びていく、異質なものだった。
 言うなれば、恐れだった。
 何か、が。言葉では言い表す事の出来ない何かが、自分と言う器の中心に、纏わり付いている。それが時折全身を這いまわって、耐えられないものになる。
「慣れない旅路は、御身にはお辛いでしょうに」
 膝立ちになったマリッサ様の手が、俺の肩や背を撫でていく。
 茶色の瞳が、優しく細まった。
「ツカサ様は不満は仰らない。とても立派でいらっしゃるわ」
「……ありがとう、ございます」
 ゆっくり浅い深呼吸を繰り返して、俺は何とか笑みを作った。
「でも、本当に――違うんです。私、寒さには慣れてますから」
 不安そうな表情をしたままのマリッサ様を見上げる。
「私の故郷には、冬という季節があるんです。それこそ、雪だって降りますよ」
「……まあ」
「私の世界では雪は、神聖さに例えられる事もあって――この世界とは、大分立場が違うんです。それでも雪が降る様な日はとても寒くて……」
 住んでいた関東では、積もるような雪は稀だったけど。そう思いながら会話を続けていると、次第に重苦しく纏わりついていた何かが、薄まるような気がした。
「小さい頃は、そんな中でも走り回って遊んでいました。ですから、ほら」
 言いながら、俺は両手をマリッサ様の眼前に持ち上げた。
「もう、大丈夫です」
 指先にも、声にも、何時の間にか震えは消えていた。
 マリッサ様の手を取って立ち上がれば、暖炉に当てていたせいか、俺の手は随分熱くなっていた。
 それを肌で感じたせいか、マリッサ様の顔も柔らかく解ける。
「でも、無理はなさらない方がいいわ。あまり我慢をなさらないで、リカルド二世陛下にちゃんと仰られて?」
「はい。本当に無理な時は、陛下にそう申し上げます」
 マリッサ様を助け起して、二人して椅子に戻る。
 刺繍を再開したマリッサ様と時々会話を交わしながらも、マリッサ様が刺繍に没頭しだしてからは、それも途絶えた。
 そうして俺は、再び視線を巡らせる。
 相変らず無表情で話の中心にいるらしいリカルド二世を過ぎ、部屋にある、二面の窓へ。
 建物の外壁の向こうに、住居の屋根だけがかろうじて見えている、その更に先。
 遠くに灰色がかった白い世界が広がっている。微かにか細い線で、鋭い山頂の輪郭が続いて見えるそれは、ダガートの山々。雪で閉ざされた凍れる国が、すぐそこに迫っていた。
 遥か彼方。こことは異なった懐かしい世界で、雪は羽のように空を踊り、宝石のように綺麗に輝いていた。寒い冬の季節は苦手だったけれど、雪を見ると心が躍った。
 もっと寒い地方の、建物が埋まる程の豪雪は知らない。けれど山頂に雪を被った富士山や日を浴びて輝く雪山の写真などは、息を飲むくらい美しい風景だと思えた。
 けれど、今目に映る光景は、違う。
 ――分からないのだろうか。
 マリッサ様には、彼女らには、分からないのだろうか。
 その白を見ていると、わけも分からない恐れと不安が、悪寒となって背筋に走る。胸の内から湧き出す何かが、蘇る。
 ――白い悪魔、と。
 ダガートに降る雪がそう呼ばれる所以は、俺が感じる『何か』とは違うのだろうか。




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