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10 王妃の生活 4



 その日の王妃としての仕事は全て終わっていたから、せっかくブラッド仕様に着替えた事だし、鍛錬場に向かう事にした。
 一度自室に引き返して用意をしてから、待機していたエンリケ――もといクリフを伴って慣れた道を歩く。
 その間も、クリフは一言たりと口を利かない。
 それは鍛錬場で二人きりになっても同じ事だ。
 ただ俺が鍛錬に勤しむのと同じ様に、クリフも鍛錬場では無心に剣を振って腕を鍛えている。
 この日もそうやって一時間程無言で鍛錬を積んでいたら、国王陛下の訪問が告げられた。
 この一年余り、特に彼の妃になってから、鍛錬場でリカルド二世陛下とかち合う事が増えた。王妃として、より、実はブラッドとしての方がリカルド二世と過ごす時間が長い位だ。
 重々しい音を立てて開いていく扉の外から長身の影が現れるのを、形ばかりの礼を持って迎える。
 しかし、現れたリカルド二世はとても鍛錬をするような格好では無かった。謁見でもこなした後なのか、白銀のマントを纏ったまま、金と銀の刺繍が艶やかな正装で、頭にはつい先程まで王冠を乗せていたのだろうと推測出来る。そんな風に仰々しい格好をさせなくてもリカルド二世の国王の風格は滲み出ていると思うのだが、そうやって豪華な衣装や装飾で着飾って権威や富をひけらかすのも礼儀だというのだから、面倒臭い。
 リカルド二世の口から直接聞いた事があるわけでは無いが、陛下の装飾が必要最低限であるのは、多分俺と同じ考えを持っているからだろうと思う。
 当初のようにリカルド二世の放つ冷気に萎縮するような事は無くなったので、彼が多少機嫌悪く現れた所で気にならなかった。
「如何なさいましたか、陛下」
 エンリケの姿勢を貫くクリフが、言葉を発する事は無い。とくれば、先を促すのは俺の役目だ。
 額の汗を手の甲で拭いながら、剣を鞘に戻して、入り口付近で立ったままのリカルド二世に声をかける。
 しかし引き結ばれた薄い唇は、中々開く様子は無い。
 ただ単に、こちらの鍛錬の様子を見学しに来たのではないのだろう。そもそも興味が無い筈だし、暇でもない筈だ。それに、用があれば誰かしらが使いに来る程度で、リカルド二世自らがやって来る事は無い。
 一体何の用なのだろう、と、何時もの無表情を観察しようとして――そこから何が読み取れるわけもない、とすぐに諦めた俺は、ただリカルド二世が口を開くのを待つ事にした。
 対して俺は分かり易い程に分かり易いと言われてきたから、俺がすぐに考察を諦めた事を悟ったのだろう、わざわざ馬鹿にするように鼻で笑ってみせてから、リカルド二世がやっとで口を開いた。
 ――陛下を立派だと思う事は出来ても、この態度があるからこそ、俺はリカルド二世を好きになれない。
「城下へ行くぞ」
 しかも、簡潔にそれだけを言って背を翻してしまう。
 こちらがついていく、とか、そんな事にも頓着せずに、開いた扉を再度潜って――すぐに視界から消えていってしまう。
「……は?」
 後に残った俺が漸く問い掛けた時には、答えてくれる相手は既に居なかった。
 クリフは俺より幾分早く反応したようだ。壁に立てかけていた俺の竹刀を取りに走ると、扉を開けた状態で、俺を促すように顔を向けてくる。
 ぽかんと突っ立ったままの俺のこめかみを、汗が一筋伝い落ちていく感覚。
 無意識にもう一度額を拭って、
「あー……えっと……?」
 鈍く首を捻りながらも、クリフに急かされるようにして鍛錬場を出た。

 そもそもリカルド二世は、本当に言葉が少ない。何時だって唐突で、『どうしてそうするのか』という説明は一つとしてしてくれないのだ。
 聞けば『そんな事も分からないのか』という冷ややかな視線を受けるか、『知る必要は無い』という様な事を回りくどく言ってくる。
 この時も「お前には言うだけ無駄だ。黙ってついて来い」と、こういう時だけ妙に饒舌になって言うのだ。
 関白主義の亭主も真っ青な不遜な物言いは、国王だからと許せるものでは無い。
 ……ないけれど、刃向かうだけ無駄だという事ももう分かっていた。
 だから俺は黙って――散々文句も垂れたけど――従って、リカルド二世の求めに「はいはい」と応じた。
 その結果、俺、ブラッドは『狼』を連れて、街に下りる事になった。
 アレクセス城の外壁を越えて、貴族の居住区画を抜けるまでは馬車で行く。そこから先は馬車で行き来するには人が多く移動に難儀するので、歩いて行く事になる。
 俺の身形は質素だし、街に居ても特に不自然では無いだろうけれど、街に下りる時は何時も、“連れ”のせいで異様に目立つ。
 シリウスさんの使いで利用する宝物店や雑貨店、買い食いをするような市場、ライドに連れられて行く飲み屋などはもう顔馴染みだし、住人であれば別段驚きはしない。
 けれど王都には住人よりも、外からやってくる人間の方が多い。数多く存在する宿屋は何時だって満員だ。
 そういう相手とすれ違うと皆一様にぎょっと目を剥き、まるで花道のように道を開けて、俺の進行方向から退こうとする。
 外套を頭から被って歩く旅の人間は少なくないので、多分背後から眺める分には突出しないだろうけど、前方から来る人間にとっては、フードの奥にある筈の顔が、狼の面で覆われていたらそりゃ驚くだろう。
 誰が作ったんだか知らないが、やたらとリアルなのだ。素材が鉄なのであくまでも作り物だが、剥製張りにリアル。
 しかもご丁寧に威嚇しているような表情をしているから、荒くれ然とした連中まで避けて通る程だ。
 街の住人にとっては既に、黒髪黒目の異国人が狼兵を連れていれば、それは王城の使いである、と定着している。
 中枢ではその仕事が暗殺や諜報等多岐に渡る、と知れていても、それ以外ではただ単純に『私兵』として、『狼』の存在は国内外に知れ渡っているのだ。
 なので最初こそ驚きこそすれ、その視線は次第に「あれが狼兵なのか」という納得と恐れに変る。
 結局国王の『狼兵』に関わりたくない、という理由で慄くので、花道が消える事は無いのだが。
 今日に限っては連れている『狼』が二人も居るので、何時も以上に歩き易い。
 そんなこんなして人波を擦り抜けながら、前を歩いて行くリカルド二世は脇道を選ぶようにして、どんどんと街の中心から離れていく。
 王都は市街地から離れてもどこもかしこも賑々しいけれど、居住区に近づけばそれなりに人の波も途切れる。リカルド二世が向かうのはそういう界隈だった。
 陛下の事だから、当然目的があって歩いているのだろう。相変らず追者の事など考えない足取りは、足の長さの違いで随分速く感じてしまう。
 必死についていくのでやっとの俺が道順を覚える事は無かった。
 だから目的地に着いたらしくリカルド二世がある建物の扉を開けても、入るまでそれが何処なのかちっとも分からなかった。
 まあ、入った途端にその疑問にすぐに答えは出るのだが。
 チリリンと涼しげな音を鳴らして扉についたベルが鳴ると、「いらっしゃいませ」と穏やかな男性の声が聞こえて来た。
 こじんまりとした店内に、所狭しと並んでいるのは、男性物の衣装だろう。暗色の多いベストやコート、それから壁には同じ様な色合いの布地が垂れ下がっている。それらをショーウインドウから差し込む店外の明りが照らしている。
 人一人程が通れる通路をリカルド二世が遮っているので、応答した相手の姿は見えないが、息を飲むような気配がした。
 けれど相手はすぐに、朗らかに応じた。
「これは、これは――ようこそおいで下さいました!」
 驚きから入って、すぐに喜色を帯びた声は、すぐに俺達を奥へと誘う。
 そうして通されたのは、応接間、だろうか。城の規模に慣れた俺にはとても狭く感じられてしまったが、それでも十二畳程度の広さはあるだろう。暖簾で店内とを隔てた応接間は丸テーブルと椅子が二つ、裁断途中の布地と思われるものや、幾つかの裁縫道具が置かれているので、作業場も兼ねているようだ。
 そこでやっと視界が開けて、俺と店主らしい男は互いの姿を認識した。
 小さく目を見開いただけで、男性は俺達がどういう人間か分かったのだろう。
 一応今の俺たちは俺が一番立場が上、という事になるので、店主もそれを目して、丁寧に頭を下げてきた。
「どうぞ狭い所ですが、こちらにお掛けください。ささ、」
 椅子を引いて、更に続く奥を振り返り「お茶の用意を!」と店主が言えば、奥からは女性らしき声が応じる。
 店主の細い面は、心なしか高揚していた。
 何がしかの期待感を感じるが、俺は事情が飲み込めず戸惑ったまま。
 どうするべきか悩んでいる俺の斜め前から、リカルド二世扮した狼兵が一歩足を進めた。
 それだけで、店主は強張った。
 リカルド二世がした事はそれだけなのに、その立ち姿からは明確な拒否が窺える。椅子もお茶も結構、と伸びた背筋は言っていた。
「よろしゅうございますか、そうですか」
 対して店主も、緊張したように背筋を伸ばす。居た堪れなさに手を擦り合わせながら視線を彷徨わせて、
「それで、」
 と、控え目な態で問い掛けてきた。
「どのようなご用件で、当店に足をお運び頂いたのでございましょう」
 分かる。分かるよ、おじさん!! 陛下の冷気は、どんなに姿を装おうと損なわれないんだよね! 怖いよね!!
 店主に同情を寄せながらも、俺は事の成り行きを見守る。
 『狼兵』はけして言葉を発しないけれど、その代わりに懐に差し入れた手を、店主に向けた。そこには、封書が一枚。
 店主は躊躇いながらもリカルド二世の無言の圧力に、それを受け取る。
 封筒には王家の紋章が描かれているのを見止めた。
 一体、何が書かれているのだろう。
 店主の小さな目が、複雑な色を持って見開かれていくのを、俺は手持ち無沙汰に見つめていた。




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