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10 王妃の生活 2



 部屋の扉がノックされたのに気付いて、俺はティアからの手紙を封筒の中に戻した。聞きなれた声が入室を請うのに答えれば、声の主は入ってくるなり慇懃に頭を下げた。
 国王陛下の近衛兵と同じく白銀の甲冑を着た彼は、この俺の、近衛隊長になったクリフだ。
 国王と王妃の近衛兵は他の兵士とは異なり、白い色を纏うのが特徴だ。二つの違いは腰に帯びた剣の柄と、甲冑の右肩に刻まれたそれぞれの紋章にある。赤い盾の上に交錯した刃、そしてその上に双頭の獅子が描かれた国王の紋章は、すなわちグランディア王国の国章だ。赤い盾の代わりに白い薔薇が描かれるのが王妃の紋章。
 胸の位置から腹部までには身位を示す縦線がひかれていて、それは線と言うよりは溝なのだが、その数が一つであるのが、最上位を示す近衛隊長だった。
 クリフがその甲冑を身に着けるようになったのは、俺が正式にリカルド二世陛下の王妃になった夜だ。騎士の家にも無い、まして出自がグランディアに無いクリフだったが、異例の抜擢を受けて王妃の近衛隊長になってから、彼の名前は有名らしい。
 この世界に召喚されてからというもの、クリフはずっと俺の傍に居てくれた。だから俺にとっては、当然の事だ。
 それでも当初萎縮し通しだった彼も、今はもう、立派な騎士としてそこに在る。
 型通りに敬礼し、それから苦笑する、見慣れた男性。
「ご公務、お疲れ様でございました」
労う声は何時も穏やかだ。
 公務には、月に一度、王都の外の孤児院を慰問する仕事がある。それを終えて帰って来たばかりだった。
 それでも遊ぶ子供に混ざる程度のそれは、堅苦しい晩餐の席なんかよりよっぽど楽しい時間である。
 クリフの言葉はもう決まりきった挨拶の一つで、大した意味は無い。ただ俺もクリフも格式ばった台詞は言い慣れないので、決まって何時もこうなるだけだった。
「クリフも」
 俺も何時も通りに返事をして、相手がクリフだった事もあって、肩から力を抜く。
 椅子に寄りかかって、クリフが俺の手の中の手紙に目を留めたので「ティアからだよ」と言うと、「それはようございました」と返って来る。
「宰相閣下がブラッド様にお話があるようです。ご用意頂けますか」
「分かった」
 頷いて、ティアの手紙を机の引き出しに仕舞う。
 今は王妃として引き摺るようなドレスを着ている。これをブラッド仕様に着替える為、俺は一度隣室に引っ込んだ。

 この期間の間に、ベリーショートだった俺の髪の毛は随分伸びた。サイドは肩の上に掠る程度だが襟足は肩甲骨まであって、普段王妃の時間はそこに付け毛をして長さを補っているのだが、ブラッドの時は付け毛を外して、項で一つに纏める。
 まずはそうしてから、幾つもの紐とボタンでぎゅうぎゅうに詰めたドレスを脱ぐ。俺の好みでデザインはシンプルだけれど、王妃の威厳がうんたらという理由で、要所要所が凝っている。今着て居るのも袖に幾段ものフリルがついていて、背中は交錯したリボンが腰まで続いている。乱暴に扱うと破れたりしそうで、この手のものを着替えるときは何時もおっかなびっくりだ。
 ドレスの下は更に面倒臭い、コルセットなるものを着ている。上半身は、俺は元々筋肉質なのでくびれを作る為に締め付ける必要はなかったけど、谷間を作る為に無い肉を寄せて集めて持ち上げて――と、針子が試行錯誤で作ったオーダーメイド品で、日本では普通に普及していた針金が用いられ、他と比べたらかなり貧相だが、俺も初めて谷間というものを見下ろす事が出来る程度になった。後は、日本では普通だったパット――ここでいうのは肉まんみたいなボリュームの、綿をつめただけのもの――を入れて完成。下半身は、お寺にある鐘のような形の針金に覆われていて、ドレスをふんわりと見せられるようになっている。このおかげでドレスの中で大股に歩こうが見えないし、裾を踏むという失態も犯さずに済んでいる。
 ――というようなものを一人で着替えるには数十分要してしまうが、侍女の手を借りるのはもっと嫌なので、毎日頑張っている。
 これに比べたらブラッドの衣装は本当に楽。一応胸を隠す為に、針子に頼んで作ってもらった、日本と同じスポーツブラを着て、襟や袷、袖にフリルのついたシャツ、そしてベストを着る。最後に上着を羽織って、タイツにズボンに、ブーツで終わり。
 鏡を見ながら化粧を拭き取って素顔になれば、王妃と同一人物だとは思えないだろう。
 ブラッドと王妃は背格好も顔立ちも、髪や目の色が同じだというのに、思いの他誰にもバレていないのが不思議だが。
 兎に角そうして用意を終えた俺は、クリフの居る部屋へ戻った。
「お待たせ」
 ずっとその場に立っていたのか、クリフは扉のすぐ傍で、甲冑の置物のようになっていた。
 それでも声を掛ければこちらに顔を向けるので無心で立っているわけでは無いのだろうが、あまりに微動だにしないので、何時も不思議になってしまう。
 まあそんな事を不自然に思う俺が、クリフには不思議でならないようだが。これもこの世界の常識というやつなのだろう、何時間同じ姿勢で居ても苦にならないのが兵士というものだ――というのは、クリフならではの見解なのだとしても。
「それでは、後程」
「分かった」
 小さく頷き合って、クリフは部屋から出て行く。
 俺は、クリフとは違う経路で目的地へ向かう事になる。だって、王妃の部屋をブラッドが出入りしていたらおかしい事になる。
 あくまでも王妃とブラッドは別の人間なのだ。
 俺の現在の自室である王妃の間は、国王の間の隣にある。その部屋同士は内側からも、扉一つで行き来が出来る。それぞれの部屋にも寝室があるのだが、夫婦の寝室というのも別にあるのだ。俺とリカルド二世陛下には縁の無い代物だが、その夫婦の寝室には、人には知らされていない隠し通路がある。
 グランディア王国に限らず、他の国でも、また領主であっても、城というものには少なからずそういった物が用意されている。それにグランディア城には、使用人達が通る為の通路というものもあり、見えない部分では内部は驚く程複雑に出来ている。
 寝室からの隠し通路は途中から幾つにも別れ、地下へ続いたり、あるいは逃げ道として王墓に続いていたり、街の外まで行けたり、あるいは城下へ出れたり――という風になっていて、その一つが宰相府のあるディジメンドにも繋がっているわけである。
 但しそれらは、こちらから向かう道なりに鍵をかけられる扉があり、それを所有しているのは国王と王妃だけだ。その上罠も仕掛けられており、国王だろうが王妃だろうが手順を間違えば犠牲になり兼ねない。
 そんな通路を毎日のように行き来しているのは、後にも先にも俺だけだろう。
 でもこれがあるからこそ、俺はブラッドと王妃の顔を使い分ける事が出来ているわけだ。
 俺は早速通路の鍵を持って、夫婦の寝室に入る。天蓋付きの大きなベッドは、何時も綺麗に整えられているし、使ってもいないのに毎日カバーなどが取り替えられて、花瓶に活けた花も、毎日違う。
 二十畳はある部屋の中央にベッド、そして壁の一面には、大きな肖像画がかかっている。肖像画には、時代の国王と王妃の――つまり今は、俺とリカルド二世陛下の等身大の姿が描かれていて、王妃の方は実物より三割り増し美人に、国王の方は、とてもその美貌を描ききれて居ない。
 どうして自分達の部屋で、自分達の肖像なんて見る必要があるのかは理解に苦しむ。けれどそういう物だと言われれば、そうなんだと思うしかない。
 そしてその肖像画の一部に、まさか鍵穴が隠されているとは。
 手にした鍵は、輪っかに72個も付いていて、どれがどれなのかすぐには知れない。つまりそれだけ通路の数があるという事で、それだけ数があるとかなり重い。手提げ鞄のように腕に引っ掛けているだけで筋肉痛になりそうな代物だ。
 それの、俺が使用する鍵には、漢数字の一から五の番号が書いてある。俺が宰相府にあるブラッドの私室――隠し通路から繋がっていた宰相府の倉庫が今現在ブラッドに割り振られている――に向かうには、五つの扉を開けていく必要があった。
 その一つ目を、椅子に掛けている王妃の目玉の部分にある鍵穴に突っ込む。絵とはいえ自分の目なので、あんまりいい気はしない。
 カチリ、と微かな音がしたのを合図に、額縁に手をかけて思いっきり横にずらせば、隠し通路がぽっかり穴を開ける。
 良く考えたものだ。
 ちなみにこの肖像画の鍵穴の部分は、何時も王妃の目玉の位置というわけでは無い。先代の王の時は、王妃が手にするアレクセス・ローズの薔薇の中だったとか、その前は国王の指輪の位置だったとか。
 肖像画自体が扉の役目をしているので鍵穴の位置は毎世代違うのだというが、俺の目玉の部分を鍵穴に選んだのはリカルド二世陛下なので、本当にあの人は感じが悪い。
 自分の目玉に鍵を突っ込む度に腹が立って、俺はリカルド二世陛下への嫌悪を何時も新しくする。
 最初は探検気分で臨んだ隠し通路も今ではすっかりお馴染みで、俺は特別な感慨も持たず、今日も一歩を踏み出した。



 暗く、黴臭い通路を後にして、ブラッドの私室へ辿り着く。
 篭った空気から解放されて大きく息を吸い込むのも、何時もの事だ。ついでに伸びまでしてしまう。
 そうして待ち構えていたクリフに水の入ったコップをもらい、それを一気に飲み干す。
「ありがと」
 これにクリフは頭を下げるだけだが、仕方が無い。ブラッドといる時のクリフは、口が利けないのだ。
 それだけでは無い。クリフは、一種異様な風貌をしている。狼を象った、顔を隠す兜をつけ、ローブを着ているのだ。その大柄な体格以外には、クリフたらんとする要素は一つも無い。
 役目は同じ、俺の側近でも、ブラッドの側近はけして素性を語らない、口も利かない、ただ役分を全うするだけに居る。
 クリフのようなものを、『狼』と呼ぶ。王族に仕える私的な兵であり、その仕事のほとんどが諜報活動である『狼』は、一切の素性を公にしていないのである。
 グランディア王国には『鷹』と呼ばれる諜報機関が存在するけど、諜報と言っても『鷹』は外交政策の一環であり、国内外でその人数構成も素性も知れている。だから、活動としては諜報とは趣が異なる。
 詳しい事は良く分からない。知識として理解しても、『狼』の一人だと知れるような格好をクリフにさせる意味も、『狼』達が表に立つ時にその格好をさせる理由も。
 それは多分、俺が知る必要の無い事なのだろう。
 ただ、ブラッドの側近は『狼』の一人である、エンリケだった。
 『狼』を役分外である側近としてつける、という事が、王族、ひいては国王がブラッドをどのように扱っているか知れる、と言葉少なにリカルド二世陛下は言い、その事に俺が首を傾げたら馬鹿にするような視線を喰らったので、腹が立ってその真意を聞きそびれただけなのだが、そんなこんなして、クリフもまた、俺と同じ様に二つの顔を使い分ける事になっていた。




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