紅葉狩り

 紅葉狩りという言葉は、好きじゃない。

 修学旅行での京都でも、山登りという学校行事でも、「紅葉狩り」は仮病を使ってでも避けたいものだった。
 色づいた葉っぱが美しいですか。
 その風景を、わわざわ見たいのですか。
 たかが、それだけを。

 そんなものを、見ている事が好きですか。

 紅葉狩りという言葉を聞く度に、喧嘩を売るかの様にそう言う私に、友人達は「何をそこまでムキになるのか」と聞く。
 そんな事ない
――と、私は決まって答える。
 ムキになどなってない。
 私は至って冷静だと。
 皆は諦めたようにため息をついて、苦笑する。
 全てが顔に出ている事、自分でも良くわかっている。

 だけど。


 「紅葉を見る事がそんなに好きですか」


 本当に問いたい相手は、もうこの世の何処にも居ない。

 



 あれは今から三年前の事。
 中学生だったあたしには、大好きな幼馴染がいて
――
 二人の関係は友達以上恋人未満だった。
 遠野誠一 とおのせいいち というその幼馴染は、元気の塊といった形容詞がよく似合う少年だった。

 彼は、死んだ。
 学校の裏山の、紅葉の下で。
 秋に彩られた草木の上で、彼は眠るように死んだ。
 崖から落ちたことの、頭蓋骨骨折が原因だった。

 その年の秋から、誠一はほとんど友人とも私とも遊ばなくなっていた。学校が終るとすぐに飛んで帰り、家に訪問しても行き先がわからない事が多かった。
「何をしてるの」
と聞けば、
「秘密」
と答えが返ってくる。
 誠一が裏山に通っていた理由は、今でもわからない。心無いクラスメート達は
「密会じゃねぇの?」
何てふざけた事さえ口にして。
 

 だから、紅葉狩りなんて嫌い。

 聞きたくもないのだ。


 


 高校に進学した今も、誠一を奪った季節と、色づく山に抱く嫌悪は消えない。
 
 外の風景を睨んでいた私は、そこでやっとホームルームが終って居た事に気付く。教室の中にはもう半数しか人の姿がない。
 私は大きくため息をつくと、鞄を持って教室を出ようとした。
 
 その時だった。
 
 窓際で、黄色い声が上がって
「何、あの人!!!」
「すっごくカッコイイ!!」
「え?誰待ち??」
 私も少しの興味から窓際に寄って外界を見下ろした。
 すると校門のあたりに背の高い青年の姿を見つけた。
「あの制服は、『大園』じゃない??」
大園というのは、県下一の進学校だ。
 
――あれ?
 その青年に、私は見覚えがあった。見覚え所の話ではない。彼は
――
「ちょっと、ニナ!!!!」
バタバタと五月蝿い足音が響いたと思うと、廊下から私を呼ぶ大声が聞こえ、息せき切った友人が現れた。
「あんた、アノヒトと知り合いなの!!!?」
窓にへばりついていたクラスメートの視線が、一気に集まる。
「大園の生徒が、あんたを呼んでくれって!!」
「え、チョット何?」
「ニナの知り合いなの??」
「え、彼氏??」
「だってニナ、彼氏いないんじゃなかったの!!!」
 友人達の質問が飛び交う中、私は急いで教室を出た。
「ちょ、ニナ〜!!!!」






「奏ちゃん!!」
「あ、ニナ」
息を切らせながら走り寄った私に、彼 遠野奏そうは爽やかに微笑んだ。
 この青年は、誠一の二つ年上の兄で、私の幼馴染でもある。
 奏ちゃんに歩き出すように促されて、私も頷く。
「どうしたの、奏ちゃん。イキナリ」
「うん。携帯に電話したんだけどな」
「あ、ごめん。今日忘れてきて……」
「知ってる。おばさんが出たからさ。んで、急用だからこっち来たわけ」
奏ちゃんは、相変わらずそそっかしいなぁと笑った。私は何となく居心地が悪くなって、
「それより!!急用って??」
 奏ちゃんがわざわざ来るくらいなのだから、本当に急用なのだろう。誠一と違って頭の出来がすこぶる良かった奏ちゃんとは、あまり遊んだ記憶もない。たまに会って挨拶を交わすくらいの仲なのだ。
「うん。ニナ、今から時間ある?」
「?特に用事はないけど…?」
「それは良かった。んじゃ、チョット付き合ってくんないか?」
「いいけど、何処に行くの?」
「まあ、いいからついて来てよ」
「……?うん…」
 奏ちゃんの笑顔につられて、私も微笑む。
 しかし、奏ちゃんの用とは何なんだろう?隣を歩く奏ちゃんを見上げながら、私はそれだけを考えていた。






「…ちょ、ちょっと、奏ちゃん……?」
 奏ちゃんに手を引かれながら、私は目一杯顔を歪める。
「何処行くの?ねぇ!!!!」
 地元の駅で降りて、向かったのは二年前まで通っていた中学校。
 嫌な予感がして帰ろうとした私の手を、奏ちゃんは掴んで離してくれない。
「嫌だってば!!!ねぇ!!」
 前を見捨てて、こちらを見ようともしない奏ちゃん。
 中学校の裏には、あの裏山がある。誠一が亡くなった、あの裏山が……。
 折りしも、季節は同じ秋。

 私は誠一の死から、裏山には一度も行っていない。
 無論これからだって、行くつもりはないのに。
 奏ちゃんの目的地は、そことしか言いようがなかった。
「お願いだから、はなしてよ!!」

「誠一のな、目的がわかったんだよ」
「…え?」
ふいに、奏ちゃんがそういって足を止めた。
「誠一がアソコに通ってた理由が、わかったんだ」
 くるりと振り返る、真剣な顔。
「ニナには、辛い事かも知れないけど……」
「何?」
心拍数が一気に上昇する。耳元で自分の心臓の音が響いているみたいだ。
「どういうこと?何で誠一は、裏山になんか行ってたの?」
「……とにかく、そういうことだから」
 私の質問には答えず、奏ちゃんは再び歩き出す。
「ちょ、」
「とにかく、行かないとわからないから」
諭すような言葉に、それでも私は拒否する。
「嫌だ。話ならここでいいじゃない。いかなくったって……」
 そう。ここで話してくれればいいのだ。私は思い出したくない。鮮やかな赤とオレンジの葉の中、眠るように倒れていた誠一の顔を
――あれ以上成長する事を知らない誠一の姿を、思い出したくないのだ。
 自分だけが年をとり、思い出の中の誠一だけが昔のまま
――私は、それを考える事が怖くてたまらなかった。
 頑なな私に、奏ちゃんも引かない。
「ニナ。見なければわからない事なんだよ。誠一が、お前に伝えたかった事が形となって残ってるんだから」
「……何ソレ」
「だから行くんだよ。ニナ…」
「嫌だったら!!!奏ちゃんしつこいよ!!」
「ニナ!!!!」
 奏ちゃんが、私をキッと睨んでくる。
 そんな顔の奏ちゃんも、そんな大声を出す奏ちゃんも、初めてだった。
 私はびっくりして、目を見開いた。
「ニナ。誠一だって、そんなニナ見たくないと思うよ?そんな頑固なニナ、誠一だったら何ていう?自分の事でニナがそんなんなったなんて、誠一が草葉の陰で泣いてるよ?」
「な、何よ……。奏ちゃんに誠一の何がわかるって………」
 わかる。奏ちゃんは、誠一の兄で…ずっと一緒に暮らしていた人で。私よりも誠一を良く知っていた。
 違う。私だって。誠一がこの状況を悲しんでいるだろうと思う。
 だけど。
 それでも、呪わずにはいられない。
 ボロボロと涙を流す私に、奏ちゃんはハンカチを差し出した。
「俺が一緒だから。大丈夫だから、な……?」
そう言って頭を撫でてくる手は、大きくて温かくて、優しかった。
 
 私は、小さく頷いた。






 裏山は鮮やかに色付き、風に揺れて赤や橙の葉が舞っている。
 私と奏ちゃんは制服のまま、山道を登っていく。私にとって、引っ張り上げてくれる奏ちゃんの力強い腕と、前を行く荒い息遣いだけが頼りだった。
 今にも逃げ出したい気持ちを抱きながらそれでも、何かに押されるようにして私は登った。
 視界を埋める秋の色に、苛立ちと胸の痛みは募るばかりだったけれど。
 それでも。
 私は、一心不乱に山を登った。


 どれくらい登っただろう。
 日は次第に陰り、欝とした空気が漂いだしていた。
 奏ちゃんは足を止め、私を振り返る。
「ここから、下見てみ」
 今私達が立っている場所は、山の中腹辺り。奏ちゃんが指し示した下方には、木々が散在しているだけだ。
 けれど、その場所は
――
 誠一が、亡くなった場所。
 そう実感した瞬間、全身に震えが走った。
「誠一は、ここから足を滑らせたんだよ」
 いつの間にか私の後ろにまわっていた奏ちゃんが、後ずさった私を背後から押し返す。
「奏ちゃ……」
「何でこんな所から?誠一は何をしていた?俺は、ずっとそう考えてた」
「奏…」
「誠一が言ってた事もひっかかってた。『お前になんか、ニイナを渡さないからな!!』」
「え?」
「俺が炊きつけたんだ。いつまでも告白出来ないんなら、俺がもらっちゃうかもよ?
――って…」
奏ちゃんの声が、次第に弱弱しくなっていく。
「それで、考えた。どういうことだろう、何だったんろう。塾の帰りに立ち寄っては、ここからソコを見下ろしてみたりして……もっと上方に用があったのか、それともここに用があったのか
――?考えて、考えて、気付いた」
奏ちゃんは、再び下方を指差した。その指が、何かを描くように動く。
「見て。あの木、あの木、あの木とあの木。葉の色が赤いだけの木
――。…よく見て。それだけ……何かの形に見えない?」
「……………ハート?」
 振り返る。信じられない面持ちで奏ちゃんを見やれば、肯定するように頷いて。
「多分だけど、これを見せて告白する気だったんじゃないかと思う」
「……これ、誠一が…?」
「いや、これは……わかんないけど昔からみたいで…。誠一はそのハートの中心に石を……見づらいけど、青く塗った石を…」
痛ましげに歪められていく奏ちゃんの顔に、一筋の涙が流れた。
 私は必死に青い石を探す。
そして……。
「わかる?
――ニナ…って…」
 私は途端にくず折れて、声を上げて泣いた。

 ハートの中心に、綺麗に並べられた青い石。所々欠けた、文字。『ニナ』
――私の名前。




「ニイナ」

どこからか、そんな声が聞こえた気がした。



ニイナ。

 誠一が私の名前を呼ぶ時、それはどこか間延びした響きを持っていた。何度間違えを指摘しても、彼は変わらず「ニイナ」と呼んで。

 けれどその独特な響きが、私には何よりの宝物だった。


これからは、この季節も、この場所も、宝物に加えられるだろう。
 大嫌いだった紅葉も。



 紅葉を見る度に、私は誠一を思うだろう。



 誠一をなくした季節に、誠一をなくした場所で。
 会えない筈のアイツに、私は会うだろう。


 紅葉を見る度に、私は、誠一に会うだろう……。







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