ある魔術師の一日
その日、魔術師は蛙を人間に変える方法を考えていた。というのも魔術師の住む町の町長が、タダ飯食らいの魔術師に仕事を持ってきたためだった。
本来魔術師とはその魔法をもって金銭と交換するという行為を常としている。しかしこの魔術師はひどい面倒くさがりで、その上中途半端に顔がいいものだから、何もしなくても女達が養ってくれるという、同じ男として非常に羨ましい――いやいや、町長の立場として許せない存在だった。
そもそも、人間とはみな同等の者。そう教える町で自堕落な生活をする魔術師を放っておく事は出来ない。
町長は仕事をしないなら町を出て行けと脅し、魔術師はしょうがないので町長の言葉に従った。
きっと何処に行こうと自堕落な生活は出来ようが、今は焼け野原となった故郷に似たこの町を出るのはあまりおもしろくない。
さて。
それで何故蛙を人間に変えなければならないかというと、蛙の嵐を事前に察知する能力を活用したいからであった。
この町一帯では、突然暴風が吹き荒れ田畑を荒らしては去っていく。その為作物は実り悪く、町にとっては大損害だ。
蛙はその嵐を察知しているかのように鳴くので、その理由を解明するのが今の魔術師の仕事となった。
「めんどくさいなぁ…」
魔術書片手に何やら怪しい液体をかき混ぜて、魔術師はため息をつく。
「もう、何でもいいからこの町出ちゃおうかな……」
魔術師のくせに活字を見ると頭が痛くなるというこの男。ビーカーの中で異臭を放つ液体に蓋をすると、さっさと部屋を出た。
どうやら町を出る事に決めたらしい。
「やってられないよなぁ。だいたいあんな臭いもんで蛙が人間になるもんかよ」
異臭の染み付いた衣服を着替えると、魔術師は必要なモノを皮袋に突っ込み始めた。
この魔術師、自分が重大なミスを犯した事に気がついていない。
こんな男がどうして魔術師になれたのか、町の住人はおろか彼に愛を誓う女たちにも不思議でならなかった。だが彼の持つ魔術師認定書は本物なので、どうにかこうにかして合格したのだと理解する他ない。
魔術師がそんな事をやっている間、「実験室」には二人の少年の姿があった。ずっと窓の外から中を窺っていた少年・ガラとウィズは、魔術師がいなくなるなり室内に侵入し、異臭を放つビーカーを見て、にんまりと笑った。
「へへ、臭ぇの」
鼻を抓んでいるだけで、ガラの顔はにやけている。
「魔術師は?」
「ん〜?あいつの事だから、しばらく帰ってこないよ」
ドアの外を窺いながらウィズは言う。
二人はビーカーを揺らしたり、混ぜたりしながら悪戯っぽく笑った。
「だいたい、あいつに高度な魔術なんか使えるかよな」
「そうそう。あんな馬鹿に出来るわけないって」
「だからさ――…」
そこで二人は顔を見合わせた。
「俺らが代わりに作ってやろうぜ」
ガラの言葉に、ウィズも頷く。その顔には満面の笑み。
少年達は棚の中からそれぞれ好きなモノを持ってくると、適当に混ぜ合わせた。
ガラは、黄色と紅い、石のような物をどす黒く変色したビーカーの中に突っ込んだ。
ウィズは透明な液体と赤黒い粉を、同じくビーカーに入れた。
それから、思いっきり混ぜる。
ビーカーの中身はみるみる内に次なる異物へと変化する。
それが次第に熱を帯び、ぐつぐつぐつぐつと火もつけていないのに煮え立った。少年達は慌てて机の陰へと逃げ込んだ。
しかし二人の予想に反して、ビーカーの中身は爆発する事もなく、そのまま熱を失った。
ビーカーの中身は、鮮やかな藍色をしている。
「おい、これ…ちょっとイイ匂いじゃない?」
「…本当だ。うまそぉ!!」
「俺らって、天才じゃん!」
今にも飲み出しそうなウィズからビーカーを奪い取ると、ガラは近くにあった板キレで蓋をし、
「おい、行くぞ!!」
ウィズの手を引っ張って、また窓から出て行った。
「ん?」
物音がした気がして、魔術師は自室から顔を出した。長い回廊には誰の姿もなく、また何の姿もなく、ただ薄ら寒い気配を放っている。
「何だ…?」
回廊の先には、扉が一つ。魔術師が「実験室」と呼ぶ部屋がそこにはある。
ひたすらにでかい屋敷だが、魔術師が使っているのはこの一階部分だけで、二階三階は物置にもならない空き室だ。庭には勝手に生えて育った木々が散在し、子供達の遊び場となっている。
子供の声が聞こえるのが先程から気になってはいたが、声の主が悪餓鬼ガラとウィズだとわかっていたので魔術師は放っておく事にしたのだが…。
問題なのは、匂いだった。
腐敗臭が漂っていたはずの空気には、甘い匂いが混ざっている。魔術師が香料として使う「紅石」――それを煮立たせた匂い。
「あっの、ガキ共――」
悪態をついて駆け出す。
実験室を思い切り開けると窓まで走り寄る。調度、二つの小さな頭が丈の長い草木の合間から去っていくところだった。
「人の部屋に勝手に入りくさって――」
まだ間に合うと悟り窓枠に足を引っ掛けたが、その動きがふいに止まる。
「ま、いっか」
頭をぼりぼりと掻きながら、反転。
机の上にはビーカーの姿がないが、魔術師は肩を竦めただけだった。もう、この町を出てゆく事に決めたのだ。
その後の事は自分には関係ない。
再び自室へ戻ろうとした魔術師は、その時あるものの存在に気付いた。
水槽の中の、四匹の蛙。
「アレも、もう必要ないな」
魔術師は水槽を抱えると窓際まで運び、一匹一匹庭へと放してやった。
その最後の一匹を放とうとして、魔術師は一瞬手を止める。
「……?」
蛙の腹に、青い模様。
「……これは……」
魔術師は呟くと、戸棚の中を漁り始めた。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「町長〜!!これ見て〜!!!!」
ガラとウィズは町長の姿を視止めると、満面の笑みで走り寄った。
「なんじゃ、どうした?」
不思議そうな声で問うてくる町長に二人は顔を見合わせてから、後ろ手に持っていたビーカーを
「じゃん!!」
と言いながら差し出した。
「…これは、美しい……」
町長の口からも、思わず嘆息が漏れる。日の光に反射する海色の液体は、キラキラと眩いばかりの輝きを放っていた。
「これは、もしや魔術師が?」
「ち、」
「うん、そう!!」
ウィズの鼻面を叩いて、ガラは言う。
「?そうか」
ガラからビーカーを受け取ると、町長はうっとりとした瞳でそれを眺めた。
ウィズが鼻を押さえながら、ガラの耳元で問う。
「何で、叩くの」
「馬鹿だな、お前が違うなんて言おうとするから」
「だって本当は――」
「だからさ。俺らが作ったなんて言ったら、誰がアレを使おうと思うよ。上手くいこうが何だろうが、魔術師でない俺らより腐っても魔術師の名の方が、安心するんだよ」
まったくの正論である。たかだか10年生きただけのガラは、実は自分より2つも年上のウィズを簡単に説き伏せた。
「ふ〜ん。ガラって頭いいねぇ」
感心したようなウィズに、ガラは当たり前だろと鼻を鳴らした。
そんな二人を気にも留めず、町長はただビーカーを眺めている。
「そうか。あの魔術師が……。あやつ、真面目にやれば出来るではないか…」
しみじみと呟く声には優しさが滲んでいる。まるで子供を誉める親のように。
そういえば、町長は昔に子供を亡くしたとか聞いたなぁ――ガラは町長を見ながらそんな事を思い出した。だからといって、どうと言う事はないが。
「はて?でもおかしいな。わしは確か、結果を持って来いといったはずじゃが?」
「ああ、あれだよ。途中報告ってやつ」
ガラは悪びれもなく言う。度胸の据わり具合も並ではない。
「そうか、そうか…」
瞳には涙まで浮かんでいる。
村長はウィズにビーカーを返すと、手を振って行ってしまった。
と、二人の背後から。
「何、ソレ?」
腕がにゅっと伸びてきて、ウィズの手の中からビーカーを奪った。
「あら、キレイね」
声に振り返れば、町娘のオリビアの姿。魔術師とも懇意の、町でも1,2を争う美人だ。
「これが、セルダの?」
セルダ――とは、オリビアが魔術師につけた名前だ。魔術師は決して自分の名を名乗らないので、女達は好き勝手に、町民達は「魔術師」と読んでいた。
オリビアはビーカーをくるくると回しながら、おもしろそうに笑った。
「セルダって、ちゃんと仕事出来たのね。見直したわ」
町長と同じことを言う。バカバカしいと、ガラはため息をついた。
しかしウィズの方は宝物を取られた気分らしく、仏頂面で言った。
「返せよ!!」
ウィズは、オリビアが嫌いだった。何故かと言えばいじめられる(可愛がられる)からである。
「ちょ、ちょっと!!――キャッ!!!!」
ウィズに押されて、オリビアの体が傾いだ。
「!馬鹿!!」
ガラは必死に手を伸ばしたが遅かった。
ビーカーはオリビアの手を離れ、そして宙を舞い――。
思いっきり液体を浴びたオリビアは、嫌そうな顔で言った。
「すっごい匂い」
「あ〜あ…」
「もう、何す……」
オリビアは、最後まで言葉を紡ぐ事なく倒れ付した。
「オリビア!!?」
二人は駆け寄って、オリビアの肩を揺らす。
「オリビア!!?」
「おい、ふざけてんなよ!!!」
しかしオリビアは、まるで眠っているかのように動かない。――いや、死んだように――。
「息してねぇぞ!!」
流石のガラも、蒼白な表情で叫んだ。
その騒がしさに、隣家の人々が姿を現す。
「どうした?」
「何があった!!?」
彼らは異様な光景を前に、戸惑いを見せていた。オリビアの姿は、まるで水死体のようだった。水で濡れた髪、血の気を失っていく体――。
まず考えたのは溺死。けれど、この付近には川も井戸もない。
ガラは彼らの問いには答えず、
「おい、ウィズ!!魔術師呼んでこい、魔術師!!!」
「う、うん」
ウィズは弾かれたように走り出した。
「どうしたんだ、ガラ」
「オリビアは、一体――」
ガラは舌打ちし、振り返った。五月蝿いと叫ぼうと思ったが、こちらに向かってくる町長をみとめて、言葉が凍った。
「魔術師は一体何を作りおった…」
唇をかみ締める町長に、はっとしてガラは言った。
「違ぇよ!!魔術師じゃねぇ。魔術師じゃなくて……俺らが!!俺らが作ったんだよ、アレ」
魔術師の所為にしておけば良かったと、言ってから気付いたがもう遅い。
「――ガ、ガラ――」
血管がぶち切れそうな真っ赤な顔で、町長は怒鳴った。
しかし。
「おい、来たぞ」
魔術師の来訪で、全ての視線がそちらへ向く。
魔術師は大事だというのに、いつも通りの緩い足取りでこちらに歩いてくる。その横で、ウィズが走るようにと必死だ。
そして魔術師は、何故だか蛙の入った水槽を抱えていた。
皆が唖然としたまま花道のように道を開け、魔術師を通してやる。
魔術師はそこでやっとオリビアの姿をみとめたのだった。
しかし、何の感慨もなく
「やっぱりねぇ」
と呟いた。呆れるような、嫌に間延びした言い方だった。
魔術師はガラとウィズを振り返り、問う。
「お前ら、赤黒い粉を入れなかったか?」
「…い、入れた」
「だろうな。あれは仮死薬だ。…これを飲ましてやんな」
魔術師は袖の中から小瓶を取り出した。中身は、黄色いドロドロとした液体。
蓋を捻って開けてみれば、あふれ出したのは馬糞のような匂い。
人々は一様に顔をしかめた。
「これ…を?」
「良薬とは不味いものだ。口移しで飲ませてやれ」
「くっ!!」
「当たり前だろ。お前らがやった事の責任はお前らで取りやがれ」
魔術師は面倒くさそうに言う。それだけでも億劫そうだ。
ガラは意を決してその液体を口に含み、オリビアへと口移す。
吐くのも我慢したが、予想に反して無味だった。
「お…」
誰かの呟きにつられてオリビアに目を戻すと、心臓が動き出したのがわかった。ガラは無意識の内にため息を漏らした。
「あと2、3分すれば目覚めるよ。――それより町長」
「…何だ」
魔術師は蛙の腹を町長に見せるようにして、持ち上げた。
「これさ、この青い線」
「それが何だ」
仏頂面の町長に、無表情の魔術師。そして、何が起こったのかわからないままの町民。
その視線が、蛙の腹に集まる。
「これさ、種族とかかとも思ってたんだけど、昨日までこんなんなかったんだわ。んで、色々考えたら、嵐の2,3日前くらいから出てくんだよね…。つまりさ、これで嵐が事前にわかるんじゃねぇ」
灯台元暗しだねぇ――魔術師は小さく笑った。
口を大きく開けたの町長の背後では、ざわめきが起こった。
「そういや、そうかも…」
「よくよく考えたら、嵐の前後しか見たことねぇもんな……」
「…そんな簡単な事だったなんて…」
町民がただの阿呆だった。結論はそういうことだ。
町民は喜んでいいのか悔やんでいいのかわからないまま、乾いた笑いを響かせた。
そんな人々をまるっきりの無視で、魔術師は言う。
「ってことはさ、俺はこの町出なくていいんだよね…」
にやり、と意地悪く笑う。町長は今だ唖然としたままで、
「そのようだな」
「おっしゃ。じゃあ、疲れたしもう帰るわ」
「え…」
「じゃ」
魔術師はそう言うとくるりと背を向けた。
町民はやはり、唖然としたまま。変わり者の魔術師は、やっぱり何をしてても理解出来ない男だ――そんな風に認識を改めるばかりだ。
そんな魔術師の背中をぼうっと見送っていたガラだったが、やがてその背を追って走り出した。
「おい、魔術師!!」
呼んでみても魔術師は止まりさえしないので、そのまま叫んだ。
「あ、ありがとうな!!」
少し照れたように、頭を掻く。まさか自分が魔術師に礼を言う日が来ようとは――一歩間違えば殺人になる所だった為か、ただ安堵ばかりが深かった。
魔術師はそんなガラに振り返る事もなく、
「貸し1だから」
あっさりきっぱり、優しさもなく言う。
「な、な……」
「その内倍で返せよ」
面倒くさそうにそう言って、肩の上で手を振って――行ってしまった。
「あ、あの野郎………」
ガラは悔しそうに唸る。少しでも、あいつをいい奴だと思ったのが間違いだった!!
「やっぱりお前なんか大っっ嫌いだぁ〜!!!!!」
腹に空気を溜めて力の限り叫んだ。
魔術師の姿はもう見えなかった。
「疲れた……」
一体何をしたのか疑問な所だが、今日の魔術師は異様に労力を使ったと自分では思っている。いつもに比べれば、確かに随分働いてはいる。
自室に入るなり、ベッドに倒れ込む程には、働いてはいないはずだが。
何にせよ魔術師は、そのまま軽い寝息を立ててすでに夢の中。
走ってきたオリビアが礼を言おうと扉を開けた時には、すでに眠っていた。それも、屋敷に入っていく所を見たばかりだという少しの間に――。
オリビアが呆れたのは、言うまでもない。