主よ、人の望みの喜びを



その時の僕らは、ただ生きてくだけで精一杯で――。ただ独りになるのを恐れてた。

希望なんて、もてない生活。
現実はあまりにも酷く、喪失はあまりにも辛く。
僕は、夢なんか見れなかった。




□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 



「お腹、空いた」
 やせ細った腕で小さな体をかき抱きながら、レッティカは呟いた。
 前を歩くセイダは立ち止まって、申し訳なさそうに振り返る。
「ごめんな」
それだけを、ひどく辛そうに言葉にするセイダ。
 年長というだけで、少年達はセイダを頼り切っている。飢餓や寒暑はけしてセイダの所為ではないのに。
 わかっていながらレッティカもセイダに頼るしかなかった。
「俺も腹減った」
 一度不満が零れるとそれは連鎖を起こすらしく、少年少女は次々と言葉を吐いた。
「もう、歩けないよ」
「昨日食べたのも、林檎の皮だけだし」
「水は汚いし」
「いつまで、こうしていなけりゃならないの?」
 一番年若のルニは泣き出す始末。
 セイダはルニを抱き上げながら、言った。
「ごめんな。後で上に行って食料を取ってくるから。もう少しで目的地につくから、あと少しだけ頑張ってくれ」
「ホントに?」
「ああ。だから、頑張って」
セイダの微笑みにつられて、少年達は再び歩き出した。




 セイダが彼らと出会ったのは三年前の冬、商業で栄えた街の、ある路地裏であった。
 どんなに潤った国にも、影はあるもの。全てに等しく豊かな暮らしはおちなかった。
 腐敗した町村で育った子供達の多くは親を亡くしたか、あるいは捨てられたかで、いわゆる「お零れ」を頂戴する為に栄えた街の路地裏に徘徊する。犯罪に手を染めた子供も多くいた。
 そんな子供達の多くは、商業で栄えたその街に潜んでいた。残飯やお情けを受けることで、何とか暮らしていた。
 セイダは十一歳の時家を捨てた。酒飲みの父親に嫌気がさしての事だった。犯罪をいくつかこなしたが、持ち前の狡賢さで回避していたセイダは、寒波に見舞われたその年
――刑務所から逃げてきた四人の子供を助けた。優しさではなかった。気紛れ――あるいは罪悪感。その内の一人は、父親の元に置いてきた弟に酷似していた。

 彼らを庇っていく内に段々とその数が増え、今では十人の少年少女を率いている。その半数以上が犯罪者として追われる立場だった。当然セイダ自身もそうだ。
 ある事件で追われる身となったセイダ達は、下水道を使って逃亡を繰り返している。何度も何度も場所を変え、逃げるだけの生活ももう一年
――
(そろそろ限界か……)
 肩越しに後方の少年達を見やる。どの顔も痩せこけて汚い。日の光も一年間ほとんど受けていないのだ。精神的にも体力的にも限界はとうに超しているはずだ。
 セイダ程狡猾さも運動神経も持ち合わせていない少年達は、ただセイダの手に入れて来た食料を待つだけで、ほとんどを下水道で過ごしている。疲労も不満も一杯一杯であるはずなのに、ここまでよく耐えてくれたものだとセイダはしみじみ思う。
(覚悟を、決めなければ……)
 セイダは己の手を強く握った。自分の心に深く根付いた恐怖を、あるいは捨てるかのように
――




「じゃあ、ちょっと用あるから先に寝てろ」

 そう言ってセイダが上への梯子を上って行ったのは、彼らが夕食をとり終えた後の事だった。今日辿り着いた新しい街での大変豪勢な食事(と言っても食べ残しだが)にご満悦だった少年達は、いつもの如くセイダを送り出した。
 新しい街に着くと決まってセイダは「用があるから」と、二度目の地上に上っていった。レッティカは、それを散策の為だと理解していた。セイダの身を守ってきたのは、住民にも負けない土地情報のおかげだ。けして手を抜かないのがセイダなのだ。
 だからこそ、セイダに頼ってしまうのだ
――とレッティカは思っていた。それが言い訳だという事は重々わかっていたけれど、そう思わなければ惨めすぎた。
「僕って……情け無いなぁ…」
 手で黴の生えたパンを包みながら、小さくため息をつく。
 レッティカの家は、貴族というやつで
――いわゆる「落ちぶれ貴族」だが――今の暮らしに比べればまだマシな生活をしていた。それなりの教育を施されたが、今に思えば両親の見栄の為だ。ある時盗賊に両親を殺され、何とか逃げ切ってセイダ達と出会った。
 レッティカは、自分が足手まといだということを良くわかっている。逃げ足も遅い、知識として教え込まれたものはここでは役に立たない事ばかりだ。それを両親の所為にしている自分が、また何とも情けない。
 今日だって、最初に弱音を吐いたのは自分なのだ。最年少のルニでもなく、この自分。
「……僕、どうしてここにいるんだろう…」
 思えば、自分は犯罪者ではない。逃げる生活をする必要などない。地上で太陽を浴びた生活も出来るはずだ。
(ううん……。僕は、独りは嫌……)
 レッティカは、黴の生えたパンに噛り付いた。美味しくはなかった。それでも、欠片一つ落とさないように食べつくした。 久し振りに食べた、原型を留めた食料である。これを探し当てたセイダの苦労を考えると、尊敬と感謝で胸が一杯になった。同時に、惨めな気持ちも募る。
 レッティカは、頭を激しく振る。
 気が着けば仲間達は、すでに丸くなり寝息を立てている。
(疲れているから、こんなこと考えちゃうんだ)
もう一度頭を振って思考を中断させると、レッティカは自分も横になった。微かに聞こえる水音が寒々としたコンクリートの壁に反響して、まるで子守歌のように眠気を運んでくる。
 そう思った瞬間レッティカを睡魔が襲い、レッティカは深い眠りへと引き込まれていった
――




 その朝は、何だか早くに目が覚めた。
 視界は相変わらず暗いままだったが、今が朝方ということはわかった。
 ゆっくりと体を起こすと、左の方に僅かな光を見た。赤黒い、仄かな光である。
 辺りを見回せば、少年達はまだ眠りの中。いないのはセイダだけだ。
(あの光は、セイダだろうか……)
 レッティカは、セイダがいつ帰ってきたのかを知らない。いつも、いつ寝ていつ起きるのかもわからない。レッティカが寝る頃にも起きているし、レッティカが起きた時には既にお湯を沸かし終えている。
 セイダが集めてくる水は雨水がほとんどなので、煮沸消毒してからでなければ腹を下す。その為セイダは、朝早くから忙しく動き回っているようだった。
 この時間に起きているのはセイダだけだ。
 レッティカは毛布で体を包み、余った部分を引きずりながら光へと近付いた。
 果たして光の元にはセイダが居た。調度睡眠中の彼らからは死角になる位置で、セイダは湯を沸かしていた。ちらちらと燃える火が、灰色の壁で踊っている。
 セイダはずるずるという音に気付くと顔を上げた。そしてレッティカを見ると、少し驚いたように微笑んだ。
「お早う、お寝坊さん。今日はどうした?」
 お寝坊さん
――とは、レッティカのあだ名である。仲間内で一、ニを争う寝坊屋である事から、皆はからかってそう呼んだ。もっともセイダがそう呼ぶのは、初めてのことだったが。
 レッティカはむっとしたものの、事実なので何も言い返せなかった。
「お前が早いと、槍が降るかもな。あまりいつもと違う事すんなよな」
「…いつもは早く起きろって五月蝿いくせに………」
「それとこれとは別だよ。…でも、珍しい事もあるもんだ」
「…セイダ、寝てる?」
「唐突に何だよ?」
 レッティカはセイダの顔色が気になってしょうがなかった。いつもより、青白い気がする。
 そう言うとセイダは馬鹿にする様に笑った。
「何いってんの。目ぇ悪くなっちまったんじゃねぇ?」
「でも、ちゃんと寝てる?」
 心配そうに顔を覗き込んでくるレッティカに、セイダは困ったように微笑む。時々見せる、ひどく大人びた微笑だ。
「僕、ソレ変わろうか?少し寝た方がいいんじゃない?」
「馬鹿、心配しなくて大丈夫だよ」
セイダは火を止めると、振り向いて何かを探しているような素振りを見せた。
 目をこらしてみると、セイダの汚れた鞄があった。その中から、セイダは小さな茶袋を取り出した。
「セイダ、それ!!」
 思わず大声を上げてしまったレッティカは、すぐにセイダに咎められた。
 レッティカは慌てて口元を覆った。
「見てみ」
 セイダは小さな茶袋を顔の前で揺らした後、それをレッティカに投げてよこした。レッティカは慣れない重みに少しよろめいた。
 恐る恐る茶袋を開ける。
「……すごい…」
レッティカは思わず唸った。
 中身は掌にも余る、金貨だ。全部で十八枚の金貨はレッティカの目に眩しかった。
「どうしたの、これ…」
震える声で聞いてくるレッティカにセイダは言う。
「盗んだ」
 いとも簡単に口にする。それが当然だとでもいいたげに。
「そろそろ限界だろ、皆。これでしばらく食える」
「だって、これ犯罪
――
「まあ、今更だろ」
 今更
――。確かにその通りだが。
「こんなに?」
 レッティカは茶袋を閉めると、まるで汚い物を触るような手でセイダに突っ返してきた。セイダは苦笑しながらそれを受け取る。
「それでも、余裕で足りるって量じゃないだろう」
「そうだけど……。何もここまでしなくったって……」
「ここまでしなきゃ、生きていけないのさ。俺達みたいのは……」
 セイダが手を叩いて砂を払い、立ち上がる。それを見上げるレッティカの瞳には、セイダの青白い顔が映っていた。
 そういえば、この所セイダは飯を食べていない。この間ルニに聞かれて「外で食ってる」と言っていたのを鵜呑みにしてしまったが、もしかしたら……。
「それより」
 レッティカは一呼吸早くセイダが口を開いたため、その疑問を口に出す事が適わなかった。
「俺、もう一度外行って来るから。何かあったら、その金みんなに分けてな」
そう言って、さっさと梯子の方へ行ってしまう。
「何かって!?」
「何かだよ。わかるだろ」
セイダはこちらを見ないまま言った。
「何で、そこまでするのさ。……僕達の為なんかに…」
 レッティカは半泣き状態だった。セイダが怖いのか、それともこんな時代が怖いのか。感じる恐怖の理由はわからなかったが、とにかく恐ろしかった。
 セイダは梯子に手をかけたまま、小さく笑った。
「お前達のためなんかじゃないさ。俺が、お前らといたいから……。お前らを立派に育てるのが、俺の夢なんだよ」
 レッティカが灰色の瞳を揺らす。
「…夢…?」
「そうさ。俺は弟を守れなかった。あんなくそじじいの元に置いてきてさ…あいつをちゃんと育ててもやれなかった。それは俺の役目だったのに。だから俺は、その後悔を少しでも消したくて、お前らを育てるんだ。それが、俺の懺悔なんだ」
「僕らが!!僕らが立派になんかなれるわけないじゃないか!!!」
「……何で?」
セイダの瞳が剣呑な光を帯びる。セイダは早足でレッティカの元に戻ると、その胸座を乱暴に掴んだ。
 レッティカの頬を恐怖の為の涙が一筋伝っていく。
「お前に、何でわかる?なれないなんて、何で言える!!?」
 セイダは怒鳴る。それは、見たこともないセイダ。
 その騒動に、眠っていた少年達が体を起こした。瞳に不安と恐怖を宿して、こちらを見る少年。その姿がセイダには見えていないようだった。
 いつもなら何も言えないレッティカも、少年達の予想に反して怒鳴る。
「なれるわけないじゃないか!!!働く所もない、こうやって生きてくだけで精一杯なのに!!?何になれるのさ!どうやって、立派になるの?」
「そうじゃないだろ!立派っていうのは家柄とか金の有無なんかじゃなくて、心の問題だよ!!人間として立派になれるかって事だろ!?夢を叶えたり、そういう事だろ!」
「夢なんか持てるわけない!!こんな時代にこんな所で暮らして…。夢も希望も抱けるわけないじゃないか!!どうせ僕達は、こうやって生きていくしかない
――――
 レッティカの言葉は最後まで続かなかった。
 何があったのかを認識する前に三メートルの距離を吹っ飛ばされた。
 セイダの上下する肩を見て、それから自分の口の中に血の味が広がるのに気付いて、それでやっと自分が殴られた事を認識した。
 怒りは沸いて来なかった。ただ、セイダの怒りに燃えた瞳だけがやけに印象的だった。
「夢なんてなぁ、努力したやつしか叶わないんだよ!希望なんか信じない奴にあるわけない。夢を叶えようと努力して努力して、例え無理でもそれに近付く事は出来る。何もやらなけりゃ変わらないが、努力すれば好転するんだ。諦めた奴に希望なんてない。信じないと始まらないんだ」
 セイダは言いながら、少年達を振り返った。演説家のように両手を広げて、彼らにも語る。
「こんな時代に生きてるからって、こんな生活しか出来ないからって、絶望して諦めて…。そんなんで楽しいか?何も出来ないって、何もしちゃいけないって諦めるのは簡単だろうよ。でもなぁ、心に嘘はつけないだろ!!信じたいんだよ、俺は。みんなにも、ちゃんと信じてほしいんだよ。俺らだって、生きる意味はある。価値はある。そう俺達が信じてやらなきゃ、誰が信じてくれるよ。誰が俺らを認めてくれるよ?」

 演説家というのは、誇張半分真実半分という感が否めない。言葉だけが巧みで、大袈裟で、だからなのかもしれないけれど、どこか嘘のように感じてしまう。けれどセイダは、言葉こそ拙いものの、言っている事に嘘はないように思えた。体全体で、自分達を心配してくれている。愛してくれている。

「…ごめんなさい…」
 口を開くだけで頬が痛かった。それでも、伝えたいとレッティカは思った。
 そんなレッティカにセイダは微笑んで、そっと手を差し出す。
「悪かったな」
ぶっきら棒な謝罪も、何よりも優しいものに思えてしまう。レッティカはセイダの手を取りながら、そう思った。
「って事で
――俺は行くわ」
「セイ
――ぃっ」
「悪いな。でも、これが俺の役目だと思ってる」
セイダはさっさと梯子に手をかけて、すぐに消えてしまった。
 レッティカには地上に出るだけの勇気はなく、結局はセイダを止める事が出来なかった。
「ねぇ、セイダどこに行ったの?」
冷たい布をレッティカに渡しながら、少女の一人が言う。少女と言っても、レッティカよりは年上だ。
「上に……。これ…」
 レッティカは茶袋を彼女に手渡す。少女は訝しげにそれを受け取り、中を調べた。
 息を飲むのがわかった。
 他の少年少女もわらわらと集まって、その中を覗き込む。その顔が驚愕に変わる。
 その価値のわかる者は、触るのさえ躊躇った。
「きれ〜い…」
 嘆息を漏らしたのはルニだった。彼には、金色に光るそれが何かまではわからない。彼が見たことのあるものは、せいぜい銀貨だ。
「どうしたの、コレ」
 少女・スランは慌てて茶袋の紐を締めると、少年の手からそれをもぎ取りレッティカにつき返した。自分と同じ行動に、レッティカは密かに苦笑する。
「セイダが盗んできた」
「セイダが?こんなに??」
「そう。きっと今も………」
「何でよ!!こんなことしなくても、私は平気
――
スランは慌てて背後を振り返る。
 まだ、毛布に包まったままの少年達。こちらに歩いてくるのも億劫で、ただ遠目にこちらを見てるだけの
――その顔には余裕というものが一切ナイ。
「彼らの為……」
 スランの顔が苦痛に歪む。
「何だよ。そんな方法があるなら、もっと早くにそうすればいいのにさ」
 一人の少年が不平を漏らした。
 彼は、それがどんな事か知らない。知ってはいるが、理解まではしていないのだ。
 わかっていても、叫ばずにはいられなかった。
「最終手段だったんだよ!!」
「最終…手段??」
「そうよ。セイダは犯罪者。この上は
――恐らく、警官がいておかしくないの。私達みたいのを取り締まる為にね。だけど、普通にゴミを漁るくらいなら見逃されるわ。けど――盗みは……。セイダは前科持ちだから、軽くて三年の牢暮らし、悪くて――――
 スランが言い淀む。
「悪くて?」
――死刑」
 場が、静まり返った。
 どの顔にも、驚愕と恐怖。それから、不安
――
「な。何だよ!!じゃあ、何もそこまでしなくても……」
「だから最終手段だって言ってるだろ!!!!!」
「……何だよ、ソレ………」
 少年はヘナヘナと座り込み、顔を覆った。その向こうから、くぐもった声が聞こえる。
 その時、レッティカにはここにいる少年の多くが世界についてあまりにも知らなさ過ぎる事を理解した。恐らく、教育だけじゃない。物心ついた頃から、「教えてくれる」存在を持たないのだ。
 そう考えると、たとえ両親の見栄の為でも、自分は恵まれていたのかもしれない。
「…大丈夫よ。セイダのことだもん。捕まったりしない。ちゃんと帰ってくるって」
 悪戯に彼らを不安がらせる事はないと、スランは思った。無理矢理に笑顔を作って、明るく言う。
「さ、ご飯にしよ。お湯も沸けてるみたいだし!!
――ホラ、用意した、用意した」
 彼女の号令で、少年達はゆっくりと動き出す。何よりも、まず飢えを凌ぐことが大切なのだ。

 スランはレッティカに歩み寄り、彼の耳元で言った。
「覚悟しておいた方がいいかもね……」
 レッティカには、何も言う事が出来なかった。



 そして、その心配は現実のものとなる
――



□ □ □ □ □ □ □ □ □ □


 
 三日が過ぎていた。

 食料は二日で尽いた。だが水だけは大量にあったので、それだけで耐えた。
 いつもなら一日と同じ場所にいないのだが、この時は動く事が出来ずにいた。セイダを待つ為でもあったし、地図もない道を歩くのは勇気が行った。いつも先導してくれるセイダはいないのだ。
 これを、何かあったと考えた。それでも彼らには、進む事も、確かめる事も出来なかった。

 ただ沈黙だけが長く続いた。
 レッティカはそわそわと落ちつかなげに歩き回ったが、それを叱責された為スランの横に座った。始終スランだけが冷静だったのを、レッティカは知っている。
「どうしよう……?」
 自分は頼るだけで、何て駄目なんだろう。そう思いながらも、やっぱりそう聞くしかなかった。
 答えは二つ。そしてもうその答えも決まっているにも関わらず、レッティカにも、そしてスランにも、地上に行くとは言えない。
「どうするって……行くしかないわよね」
自嘲気味に笑って、スランは立ち上がる。何だか晴れやかな表情だった。そして、どこか真剣な
――
「聞いて!!」
 彼女が良く通る声で口を開くと、視線が一斉に集まった。
「あたしは、セイダの状態を確かめに行ってくるわ。多分捕まったりしてるんだと思う
――。誰か、あたしと言ってくれる子はいる?」
「ぼ、僕
――
「あんたは、足手まといよ」
 勇気を振り絞ったレッティカの言葉は、スランにあっさりと一蹴された。それに安心してしまった心を、レッティカは叱責する。
「という事だから、足手まといはいらないわ。だとすると、アイニーとジェイとラードの誰か、かな…」
 名前を呼ばれた三人は、びくりと体を奮わせた。そんな三人にも、スランは容赦ない。
「怖いなんて言ってられないわ。あたし達は今、どっちみちセイダ無しでやってかなきゃいけないんだから
――
「お、れ…行く」
 立ち上がったのは、ジェイ。あの時、「もっと早くそうすればよかったのに」と無神経な事を言った少年だ。12歳の割りに大きな体を持った彼は、体力的に優れた少年だった。
 彼に触発されたのか、他の二人も立ち上がった。
「あたしも、行く」
「俺も行くよ」
「良かった。正直、三人とも来てほしかったのよ」
 スランは微笑み、そして三人に梯子を上るように指示した。今は朝の4時
――人通りも少ない事から、すぐに行く事を決めたのだった。
 最後に梯子を上る時、スランはレッティカに言った。
「こっち、頼むわよ。いつでも出れる用意しといてね」
 レッティカは力強く頷いた。
その顔を見てスランは、優しく微笑んだのだった。



 そして、彼女達が帰って来たのは、それから二時間後の事だった。

「スラン……」
 その中にセイダの姿が無いことを認めると、レッティカには何か
――覚悟みたいなものが生まれた。もう、頼れる人はいない…。
 それは、他の少年達にもよくわかったようだった。
「裏路地に…ね。これと……セイダが………」
 アイニーは泣きながら言った。彼女が差し出したものは、母親の形見だといってセイダが大切にしていた、金の腕輪だった。これだけは売れないんだと、最初に出会った日、セイダは申し訳なさそうに話してくれた。
 それに、べっとりと血がついていた。
 アイニーからそれを受け取り、スランはそれを
「はい」
とレッティカに託した。疑問に思ったが、レッティカはそれを抱きしめた。
 セイダは、もういない
――
 少年達は泣いた。
 ただスランとレッティカだけを残して、泣いた。
 レッティカとスランは泣かなかった。もちろん悲しかったけれど。それでも。

「行かなくちゃ」
 レッティカは顔を上げて言った。
「行かなくちゃ」
もう一度、今度は大きな声で言った。それは、覚悟の証だった。
「どこに……」
泣きはらした目で、ジェイが聞く。
「どこに行くってんだよ!!俺達がどこに
――
「セイダが言ってたろ。希望を捨てちゃいけないって。信じなきゃ始まらないって」
 レッティカは優しく、力強く言う。彼を立たせ、荷物を背負わせる。ジェイは、子供のように泣きじゃくった。
「それに、セイダは『イリカ』の街を目指してたんだ。そこには、少年達を保護してくれる貴族がいるって」
「本当に!?ガセじゃなくって…?」
「うん。何でだか知らないけど、セイダの知り合いなんだって。でもまだ遠いから、みんなには言わなかった」
「でも、何でレッティカには…?」
スランが不思議そうに問う。彼女はルニに荷を背負わせながら顔だけをレッティカに向けている。
「僕は『イリカ』の街出身だから」

 レッティカは辺りを見回し、一人少なくなってしまった少年達を見た。みな、泣いてはいたが「行く」ことを理解していた。
 レッティカは、大きく息を吸った。

「行こう」




 こんな時代に生まれた僕達は、希望なんか持てなかった。
 夢なんて見れなかった。
 物分りのいいふりをして、そうしなければ、惨めだったから
――
 けれど、夢見ていた。心の中でずっと
――。信じたかった――

 僕達は、生きていていいのだと。
 生きたいと思っていいのだと。
 そして、みんなで生きていくのだと。


 僕の願いは
――
 僕の望みは
――
 僕達の幸せは
――


 いつか、必ず叶うのだからと
――信じて生きていくんだ――


セイダが、そうだったように
――――







2003/08/24. Copyright(c) hacca All rights reserved.