伯爵様と女装青年



 これでもかという位贅を尽くした豪奢な邸宅。煌びやかなシャンデリア。美しく着飾った女性達。洗練された物腰で談笑する男共。豪華な食事に、数多のデザート、それから高級なワインにカクテル。
 上流階級のパーティーは、セシリア・クーパーに取って、何度訪れても慣れる事の無い異界だった。
 胸元に大きなリボンのついた、白いドレス。リボンの中心にはダイヤとパールの装飾が施され、膝下の裾はまるで花弁のようにそれぞれ模様の異なるレースが幾重にも重なった様相だ。身体にフィットしたドレスの腰元は綺麗なくびれのラインを描く。露出した華奢な肩には明るいピンクのストールを羽織って、隣の男性のエスコートに任せる。
 セシリアはただ男の隣で、紹介された相手に控えめに微笑を見せるだけ。
「ラインドルフ伯爵、隣の美しい女性はどなたです?」
 横合いから声を掛けられて、セシリアは嘆息しがけた唇で慌てて笑みを象った。
「お久し振りです、ハロルド公爵。こちらは、私の婚約者で――」
「セシリア・クーパーと申します。お目にかかれて光栄ですわ、公爵様」
 連れのウォルター・ラインドルフに目線をもらい、セシリアはドレスを摘みながら軽く一礼した。自身と腕を組んだ真っ赤なドレスの女性を、公爵が妻だと紹介してくれる。
 強い香水の匂いに思わずぎょっとするセシリアを尻目に、三人は軽やかに会話を続ける。その合間に一瞬セシリアの表情が歪んだのを見逃さなかったウォルターに一睨みされて、セシリアは内心で舌を出した。
(だってしょうがねーじゃん!)
 このパーティー自体もだが、慣れない高いヒールも、女装も、いい加減うんざりなのである。
 ――何を隠そうセシリア・クーパーの実態は、こんな貴族階級には縁も所縁も無い一般市民で、その上正真正銘の男だった。ついでに言えば、すこぶる貧乏な。毎日の食事にも困窮するような。
 それでもセシリア・クーパーという名前は本名で、複雑な家庭環境から女として育てられた彼にとって、女装は常日頃からの習慣ではあったのだが。
 しかし連日連夜のようにこういったパーティーにお供させられる、というのは何分初めての事のわけで。
「まあ、レディ・セシリア――貴方、気分が優れないのでなくて?」
 これぐらいは許して欲しいものだ、と心中で言い訳を並べていた思考を、気遣わしげな声に引き戻されて、セシリアは俯いた顔を上げた。
 気がつけば、三人の視線が自分に集中している。
「確かに、顔色が悪いようですな」
 公爵夫人は見目とは裏腹に随分心配げにセシリアを見つめていた。公爵も話の腰を折られたというのに少しの嫌悪も見せず、セシリアに大丈夫かと声をかけてくる。その身分からも衣装からも想像出来ないくらい、以外にも人が良さそうな夫婦だ。
「照明のせいですわ、きっと」
 そう言ってから、付け足す。
「それにこういう場所には、まだ慣れなくて……」
 好奇の目と明らかに侮蔑を含んだ物言いに幾度も打ちのめされていたこの手のパーティーで、セシリアは初めて好感触を持った。
 だから、
「ご心配有難うございます」
 心からそう言う事が出来たのに。
「大丈夫かい、セシル」
 忘れ去っていた婚約者が、常に無い柔らかい口調で、セシリアを愛称で呼ぶ。ふ、と更に目線を上げてウォルターを見つめれば、そこにはただただ恋人を気遣う男の表情があって。
 それが逆に何よりも恐ろしく、セシリアは思わず悲鳴を上げそうになった。
 よろめいたセシリアを支えるように、ウォルターの手が腰に回される。
「すまない、セシル。君の不調に気付かないなんて……」
 言葉も表情も行動も、どれを取っても恋人を大切に思っている心が見て取れる。取れるのに――腰を引き寄せる手は、セシリアの細い腰に強く爪を突き立てている。
「そうですわよ、伯爵。あなたの可愛いお姫様なんですから、大事になさい」
「申し訳ありません。少し、席を外しても?」
「勿論だとも」
 益々青白く染まったセシリアの顔をどう思ったのか、夫人は給仕を掴まえて、更に別室を用意するよう頼んでくれている。
 あり難い。本当にあり難い事だ。
 けれど今は何より、ウォルターと二人きりにさせないで欲しい。
 そんな思いでかち合った視線を、夫人が勘違いしたのは言うまでも無い。彼女は「気になさらないで」と微笑んで、夫の手を取って人込みに消えていった。

 セシリア・クーパーは元は、孤児の名無しだ。孤児院で育った五つの頃までの名前は、もうとうに忘れてしまった。
 セシリアを養子として引き取ったクーパー夫妻は、けして裕福ではなかったが、とても優しく、深い愛情を持ってセシリアを育ててくれた。唯一つ、セシリアを女として育てる以外では、問題点など一つも見つける事が出来ない。
 クーパー夫妻には元々、セシリアという本物の娘がいた。ただ彼女は幼くして事故で亡くなってしまう。たった一人、溺愛していた娘を喪った夫妻の悲しみは相当のものであったが、特に夫人の嘆きは酷かった。死の危険まで伴う彼女の憔悴に、夫が他にどんな道を取れただろう。
 彼は友人に紹介された孤児院で養子を取ろうと考え、そしてそこで、セシリアと同じ年頃で、しかもセシリアに良く似た容貌の子供に出逢った事を奇跡だと信じた。
 そんな経緯で引き取られた少年を、夫人は当然のように娘と信じて疑わなかった。そうして女として育てられたセシリアは、心配された男らしさなど微塵も感じられない程美しく成長し、無事にハイスクールまで卒業したのだった。
 元々線の細い中性的な容貌であったから、「女らしくない」等と言われたり、男友達が多い等という事はあっても、病弱を理由に危険を避けてきた介あってか、夫妻と死別した後も周りからは「女性」として見られている。
 けれどセシリア本人にしてみれば、これからも女として生きていくのは御免被りたい。身体も心も男なわけで、男から求愛されるような事態は本当に避けたいのだ。
 だからこそ誰も自分を知らない土地でやり直そうと、少しでも給金の良い先でバイトに明け暮れた。
 それなのにあるホテルで、セシリアはホテルのお得意様だというウォルター・ラインドルフに、躓いた拍子で水をぶっ掛けてしまったのである。それもこれから商談がある、という大事な時に。
 当然クビになった上、駄目にした仕事をどうしてくれるんだ、という話になる。
 そうして提示された内容が、【ウォルター・ラインドルフの婚約者として、パーティーに出る事】だった。見合い話にうんざりしていたウォルターが、盾として見目だけは良いセシリアで五月蝿い蝿どもを追い払いたいのだと――賠償金を請求されてもおかしくないのに、破格の給料まで出してくれるというのだから、勿論セシリアは飛びついた。
 けれどまあ、それが何故か――互いに惹かれ合う結果になり、女装がばれた後も、本物の恋人として付き合う事になって。
 それで何が変わったかと言えば、相変わらずセシリアは、ウォルターの婚約者としてパーティーに出続けている現状だ。
 ここまでの間、セシリアは蝿を追い払う役目を成功させている、と感じているのだが――。

 ウォルターはセシリアの肩を支えるようにして抱きながら、しかし強引な態度で前を行く給仕の後を追った。
 屋敷の主人が客室として用意している部屋へ案内される。
 部屋へ入るまでにっこりと笑顔を浮かべていたウォルターは、扉が閉まるなり、セシリアの細い身体をベッドに投げ入れた。
 セシリアの身体を受け止めて、ベッドのスプリングがギシリと鳴った。
 セシリアがウォルターとベッドを共にするまで、味わった事もなかった柔らかい羽毛の感触。まるで雲の上に寝転がっているみたいだ、というのがセシリアの最初の感想だった。
 けれど圧し掛かってきた男の無表情に、解けかけた心が萎縮する。
 何が彼の逆鱗に触れたのか知れないが、兎に角ウォルターは機嫌を悪くしていた。秀麗な眉根を歪めて唇を引き結び、冷たい氷蒼の瞳がセシリアを射竦める。
 襟元からボタンを外し大きく胸を肌蹴ながら、上着をベッドの下へと投げ落とす。
 起き上がりかけたセシリアの肩を強い力でベッドに押し戻しながら、ウォルターは舌なめずりをする獣のように喉の奥で微かに笑った。
「お前は本当に、学習しない……」
「なっ!!」
 明らかな侮蔑の言葉に、セシリアの頬に朱が昇る。
 しかし上げかけた声はウォルターの形の良い唇に吸い取られた。
「んぅっ!」
 半開きであった唇から容赦を知らない婚約者の舌が入り込み、キスは否応無しに深くなる。
 最初は抵抗を見せていたセシリアの腕も、ウォルターの巧みな舌に翻弄されて次第に緩んでいった。逃げを許さないそれはセシリアの舌をだけでなく思考までを絡めとって蠢いた。根元を突いて吸い付き、中から顎をなぞられると、ウォルターの胸を押し返していた腕は力なくシーツの上に落ちる。
 存分にセシリアの口内を味わった後、ウォルターはセシリアの身体を裏返しながら低く言った。
「お前のおかげで公爵の話を聞きそびれた。口の軽い奥方と一緒だ、聞ける話も数多だったろうに……」
 セシリアの腕を上からベッドに縫いつけ、腰を両膝が固定する。項を這う息に背を逸らしながら、それでも浮上した思考はウォルターの戒めから逃れようと強張った。
「っやめ、ろ」
 けれど背後からの強い力に抵抗らしい抵抗は全て封じられてしまっている。
 元々の体格も違ければ、女性として育ってきたセシリアの力などウォルターにとっては獅子の尾にたかる蝿程度のものだろう。
「俺の隣でただ、空気になっていれば良いものを」
 直接は触れてこない。ただ生暖かい吐息だけがセシリアの項と耳朶を掠る。それが信じられない位の痺れをセシリアに与えた。
「っふぁあ、は、放せっ!!」
「今夜は何人の男をその瞳で誘惑した?」
 ウォルターの低い声音は、紡がれただけで腹に響く。仄かな疼きを感じさせる。
 自分こそその声だけで何人の女性を堕としてきたのか。
「誘惑なんて、してないっ!!」
 ただ退屈な、自分の頭の上を素通りしていく会話達の中で、欠伸を誤魔化そうとした時に、チラホラ視線が合っただけだ。セシリアの意志ではない。目が合ってしまったものを逸らすのに咄嗟に微笑んでしまった事もあっただろう。けれどそれは全て無意識――セシリアが生きて来た世界での処世術のようなものだ。
 それともあの時見事に大口あけて欠伸をして見せればよかったのか。
 それこそウォルターの婚約者としてのなけなしの品格も台無しだ。身分が無い分外見だけで勝負しているセシリアにとっても、そんな相手を連れ歩いているウォルター自身にとっても、問題にならない程度で済んだのだから良いではないか。
 しかしそんなセシリアの主張など、傍若無人なこの王様男には通じない。
「セシリア」
「ぁっ」
 宥めるような優しい声と共に、ねっとりとした感触が項を這う。流れた金髪を掻き分けて、ネックレスの銀色を上から舐め上げる。金属の鎖の上から感じるウォルターの舌は、奇妙な痺れをセシリアに与え続けた。
「っっ」
 セシリアはせめてもの抵抗とばかりに、声を噛み殺す。
 やがて背に移動したウォルターの唇は、ドレスのジッパーを器用に下げ始めた。
「分かっているな?」
 背中から進入してきた大きな掌が、脇から腰を撫で下ろしその手が胸元に移動する。それぞれの頂で主張する蕾を摘み取って、指で潰されるとセシリアの背は大きく撓った。
「――っ」
 当然ながら女性の持つ豊かな膨らみは無い。それでもセシリアはそこが性感帯であるという事を知っている。
「っあぅ! ひぁっ!」
 ウォルターの声も、身体も、胸を弄る掌も、欲情を知らぬ冷たさを含む。立ち上がった乳首をこねくり回す指から、セシリアの熱が奪われていくようでもあり、逆にその冷たさが入り込んでくるかのようでもあった。
 不当に扱われて感じるように、ウォルターの手で作り変えられた身体――。
「これは、お仕置きだ」
 そんな勝手な言葉を投げられているとうのに、耳の裏を舐められてセシリアは更に震えた。
「んあぁっあっあっ」
 高みに昇らされていく。息遣いは荒くなり、瞳に欲が覗く。空の色の瞳はその内に星を瞬かせる。切なく寄せられる細い眉。
「――ひんっ」
 ウォルターの指は執拗に胸だけを責める。時々爪を立てて引っ掻いてみたり、ゆっくりと円を描く動作で乳輪をなぞって焦らしてみたり、かと思えば強く握りつぶしてと、紅く腫れ上がった蕾を堪能し続けた。
「ぁっは、」
 ウォルターの厚い胸板と一分の隙間無く密着したセシリアの背中はびくびくと震えながら、汗ばみ始めた。背中に当るシャツのボタンがかりかりと背筋を掻くたび、刺激が走る。
 下肢に熱が溜まっていく感覚を感じ、セシリアは喉を鳴らした。
 ベッドに押し付けた分身がゆるゆると硬度を持ち始める。
「ぅっく……あぁ!」
「セシル」
 ウォルターの吐息だけが熱い。
「セシル」
 名前を呼ばれるだけでもイっってしまいそうだ。
 けれど足りない。セシリアが激情を吐露できるほどには、まだ快感が足りない。
 頭の横に擦り寄ったウォルターの顔を、セシリアは潤んだ瞳で見つめる。残った理性が言葉にする事を阻む、願いをその瞳が如実に語った。
 何かを求めてぱくつく唇から、紅い舌が覗く。
 喘ぎに合わせて震える睫毛が涙を含んだ。
 それを満足そうに眺めた後、ウォルターはセシリアの身体を再度反転させて向かい合わせに抱き合った。
 腰にドレスを纏わりつかせたままのセシリアの肌をゆるりと撫でる。その下で存在を主張する昂ぶりを膝で軽く押して。
「――っ」
 快感を享受して跳ねるセシリアの腕を頭上で一纏めにする。
 ――けれど、それだけだった。
 耐えるように固く瞼を閉じていたセシリアは、身体から遠のいた馴染み深い重みに薄く瞼を開ける。
 ウォルターは既にベッドの上から退いていた。
「……ぁ」
 不満げに呻いてしまってから、セシリアは慌てて身を起こそうと腕を動かす。
 けれど何故か頭の上で固定されたままの両手はそこから動こうとしなかった。ぎちり、と骨が軋む音に眉根を歪め、頭をもたげる。
「何して……オイ、なんのつもりだよっ!」
 両手首を縛る、恐らくセシリアの髪を纏めていたリボンだろう。それがベッドに固定され、セシリアの腕を戒めていた。無理に身体を捻ろうとしても、その動きまで制限される。
「言っただろう、お仕置きだと」
 せせら笑うウォルターを睨むと、彼は肌蹴たシャツのボタンを閉め、放ったネクタイを巻きなおしている所だった。
「それに、人様の家の布団をお前で汚すわけにもいかないだろう?」
 もうそのドレスは着れないがな、と続けてウォルターは、ドレスを押し上げるように立ち上がったセシリアの分身をちらと睥睨した。股の中心でテントを張るその頂には既に染みが出来ている。
「続きは、屋敷に帰ってからだ」
 上着を羽織ってそれを整えながら、ウォルターの薄い唇が笑みの形を作った。残酷なまでに綺麗で、冷やかな。
「俺は公爵に挨拶をしてくる。いい子で待っていろ」
 そう告げて部屋を出て行くウォルターは、信じられない面持ちで見つめるセシリアを無視して無情にも扉を閉めた。
「ちょっま、待てよっ!!」
 しかし怒鳴ってみても後の祭り。
 セシリアは今だ興奮したままの身体を慰める術無く、歯を食い縛った。
 分身が疼いてしかた無い。体勢を変えようと身を捻れば、身体に纏わりつくドレスの擦れる感触にさえ悶えた。
「っく……」
 先走りが竿を滑り落ちる感触さえ、我慢がならない。
 手が楽であれば擦り上げて、果てられるのに。そう想像するだけで奇妙な快感が走る。
 それでも、イケない。
「うぅ……っ」

 ウォルターの帰るまでの十数分が、何時間にも感じられる程――堪らない時間だった。
 やがて再度扉が開いた時には、セシリアは荒い息を吐きながらくたりとベッドに沈んでいるだけだった。







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