56 真っ直ぐ目を見て嘘を吐け。



quinto.01




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 それは定休日を翌日に控えた閉店後の事だった。
 クリスマス前の冬シーズン用期間限定メニューの試食会に伴って、スタッフは全員ホールに待機している。
 今回はそのコース料理の大まかな選定に参加していたコルディオは、心地よい緊張を感じながら料理の皿をテーブルに並べた。
 ビアンコの試食会は、その時点で既にメニューが決まっている。スタッフはただ出された料理を試食し、感想を述べるに留まる。ただ単に料理の何処を勧めるかという意志合わせと、シェフの皿へのこだわりを報告する為の場、と言えるだろうか。
 それはシェフへの信頼の証だ。
 唯一料理を否定する意見を上げるのは、ソムリエのみ。
「今回のメインはセコンド(第二皿)のエビだ。クリスマスのメニューがくどくなる予定だから、その分あっさりしたモンで合わせてる」
シェフ長のニコルが腕組みしながら、言う。
「アンティパスト(前菜)はサーモンのマリネ、レモンのモスタルダとヨーグルトのソース」
 ニコルの言葉に合わせてコルディオと二人のシェフがまずアンティパストの皿をテーブルに置く。
 すかさず手を出すのは、ルーカだ。
「あ、ほんとださっぱり。酸味が利いてる」
 料理をほお張りながら親指を立てるルーカに続いて、スタッフはそれぞれ料理に手をつけていく。
「で、プリモ(第一皿)はペンネリガーテだ。ゴルゴンゾーラチーズとクルミのクリームソースで和えてる」
「色合いが悪くない?」
「バジルで色をつけるとかど?」
「いや、ズッキーニの花を添えるつもりだ」
「バジルじゃチーズの味を害いますからね」
 素直な感想にニコルとスーシェフが苦笑しながら言った。それで「了解ー」と納得する所がビアンコのスタッフの軽さだ。
「それからセコンドが蒸しエビ。名前は後でつける。それとコントルノ(副菜)はフルーツトマトと水牛のモッツァレラチーズのカプレーゼ」
 業務後で腹を空かせていたのか、皿の上の料理が見る見る無くなっていく。ルーカは味わっているのか?と疑問を投げ掛けたくなる程がっついている。対するアーノンは神妙な顔で料理を突いており、見事に対照的な双子だなとどうでもいい感慨を得ながら、コルディオはその様子を見守っていた。
「最後のドルチェ(デザート)はアフォガートにした」
「全体的にシンプルね」
 離れたテーブルに腰掛けていたターニャがそのままで問うと、ニコルは頷いて、
「さっきも言ったが、本命はクリスマスだからな。今の時期は安価で売る。物足りなさを残して、次の来店に繋げる。味は言うまでも無いだろ?」
「そうね、文句無いわ。それにドルチェに後味の残るアフォガートってのは、女性に売れるわね――って事で、コルディオ、ドルチェ持って来て」
「っ何でだよ!!」
 ターニャはそれまでも自身では料理を取らず、スタッフを顎で動かして自分の席まで料理を運ばせていた。何時もなら幼馴染で使い勝手に慣れているコルディオにその役目を負わせる彼女だが、一応はシェフとしてのコルディオの立場上遠慮してくれていたらしい……というのは何となく分っていた。料理が出揃いほっとしたのであろうコルディオが緊張を解いたのを見て取ったか、一応遠慮はしたじゃないと言いたげにターニャが視線を寄越して来た。
「第一、アフォガートは何時ものメニューだろ」
「だって食べたくなっちゃったの。さっき残ってるの見たのよね」
 確かに今日の料理でアフォガートは幾つか残っていたが、ならその時に食べてりゃいいだろと悪態をついたコルディオだが――結局の所、ターニャに頭が上がらないのは過去からの習慣というものだろうか。ぶつぶつと文句を言いながらも、一度キッチンに戻って冷蔵庫から例のブツを取り出し、ターニャの元へと向かった。
 しかし途中、ぎょっとして足を緩める。
 談笑するターニャとフレンツォの横には料理を食べ終えたイジョールが戻って来ている。
 相手が感じるようにコルディオだって、彼への苦手意識は取り除けていないのだ。出来れば避けて通りたい、と思っているのはお互い様だろう。
 どっちにしろ仲良くなりたいと思える相手で無いのは確かだ。
「って、何してんのよーコル!! 早く!」
 しかし回れ右したコルディオをターニャは見逃さない。顔を上げたイジョールの視線がコルディオに向いて、眼が合った瞬間強張った。
「……」
「何よ、むっつりして。何か文句あんの?」
 眉間に皺を寄せてケーキをテーブルに置いたコルディオの態度に、ターニャが声音を落としてくる。
 しかもフレンツォが席を立つまでは笑顔を浮かべていたというのに、突然豹変してみせた。
「お前にじゃねーよ」
「じゃあ誰に文句があるってのよ」
「……」
「何よ?」
 押し黙ったコルディオへの追及の手を緩めないターニャのすみれ色の瞳が剣呑な色を帯び始める。
 分れよ、他に居るわけねーだろ、と心中で毒づくコルディオになどちっとも気付いてないと言いたげだ。
 その隣のイジョールは【誰】に対してコルディオが不機嫌であろうか分っているくせに、ただ顔を俯けている。
 コルディオはその態度に益々腹が立って、舌打ちした後、
「うっせーな、隣の誰かさんに決まってんだろォ!」
 我ながら子供みたいな当て付けっぽい答えを返してしまっていた。
「は、イジョール?」
「そんな態度取られりゃ、ムカつきもするっつの」
「はぁ? 何言ってんのよ、あんた」
 コルディオの苛立ちに呼応してか、ターニャの声も棘を含み始めた。
「あたしにしてみりゃあんたの態度の方が相当よ? あんたがそんなだから嫌われるんでしょーが!!」
「っあのなァ!!」
 声を荒げたコルディオに、イジョールの肩がびくっと震えた。
 どんな怯え方だ。親に殴られる子供のよーじゃねぇか。
 必死に目を合わせないように、縮こまって、空気にでもなろうとしているのか――その態度が、コルディオの所為とは恐れ入る。
 しかし二人の一触即発な空気は、コルディオを呼ばわったニコルの声にかき消される。
「コルディオ、ちっと来い!!」
「っオス!」
反射的に応えてから、もう一度ターニャと鋭い視線を交わし、コルディオは踵を返した。

 ニコルの元に走り寄ると、ニコルは腕を組んだまま苦りきった顔をしていた。
 対面には渋面のアーノンと、ニヤニヤと笑うクラウス。それから間に挟まったフレンツォはコルディオと目が合うと肩を竦めて、
「ま、あんた達に任せるわ。好きにやんなさい」
そう言って少し離れた椅子にかけた。
(またかよ……)
 うんざりするというよりは疲れたため息を吐いて、コルディオは三人に混ざった。
 テーブルを挟んで向かい合う三人。そのテーブルには料理の皿の他に白ワインが一つ、赤ワインが三つ用意されていた。
 このコースのワインは二つ。白と赤を選択できるだけで、それぞれの種のワインは決まっている。勿論お客の好みで他のワインを選んで貰うのは大いに結構だが、最近の客の傾向を思えばその可能性は低かった。昔は料理やワインに詳しくも五月蝿い客層の多い高級料理店というイメージの強かったビアンコだったが、雑誌で紹介されてからは一見さんもまた多くなった。つまりは料理にもワインにもあまり詳しくは無いが、評判の料理を美味しく食べたい、という輩だ。彼らにとって料理に合ったワインを選ぶというのは至難の業であるから、最初からコースのワインは決まっているというのが最近のパターンだ。
 そしてその白と赤のワインは一本ずつ、料理を食べたソムリエ自らが選び出す。
 博愛主義のルーカでは「どれも合うよー」の一言で済んでしまうそれが、アーノンの手にかかるとシェフの方は断罪でもされるような気分になる。
 さあ今日はどんなダメ出しが入ったんだ、と、沈黙を続ける三人の前で足を止めてコルディオは思った。
 白が一本という事は、白ワインは決まっているという事で――三本の赤は――。
「トスカーナの2001年、ラツィオのヴェッレトリ2034年、マルケのコーネロ2030年」
 淡々と言いながら、アーノンが三つのワインをグラスに注いでくれる。
「2030年て、しかもコーネロて……」
 コルディオは益々居た堪れなくなって、肩を落とした。
 どうやら今回の駄目出しは相当らしい。
 マルケ州のコーネロと言えば、最高級に分類される、ビアンコでも1、2を張る上質なワインだ。しかも2030年は良質な葡萄が取れた事で更に値を張る。
「どう見積もってもこの価格じゃ無理」
 アーノンの言葉に頷きつつも、コルディオはコーネロの注がれたグラスを手に取って、同時に料理を口に運ぶ。
「あ、仄かな酸味が広がりますね。サーモンに絡んで美味い」
「今回の料理には酸味の強いワインが合うんだよ。コーネロは後味残るから調度良い」
 コルディオはアーノンの補足に頷きながらもう一口飲み下した。その様子を遠巻きに見るスタッフからは、批難じみた視線を受けるが――それもいたし方が無い。スタッフでさえコーネロには手が出せない。
 コルディオにとっては役得というものだ。
 ソムリエ・アーノンは勿論の事、獣と揶揄されるクラウスと、コルディオの三人は舌に相当の自信がある。彼らはつまり、その舌で料理とワインの相性を見ているのだ。
 コルディオは続いて二つのワインを飲み比べ、アーノンの指示するまま、三つのワインを順位をつけて並べた。
 既に選定を終えたクラウスが「当然だな」と笑い、アーノンも「まあそうだね」と後頭部を掻いた。
 一位は比べるまでも無く、コーネロだ。しかしこれは先に述べた金額の問題で流石に厳しい。
 二位はトスカーナ産――こちらも、三人の意見は一致した。金額的にも妥当な所であるし、まったりした舌触りがクリームのペンネに良く馴染む。
 ただし、
「数が厳しいね」
と、アーノンはそれを切って捨てた。
 トスカーナ産の赤は既に別のディナーコースの料理に付随しているワインなのだ。女性に人気で、一年を通して親しまれるタイプの――。
「コイツの後釜はまだ見つかってないから、使えない」
 それならば、残る一つ――とは、誰も言わなかった。
 ここで三位のワインに決まるのならば、アーノンは最初から迷わずそれを出して来ただろう。しかしそうしなかったという事は、なのである。
 コルディオも唇を噛んで、ニコル同様深い溜息を吐き出した。
 シェフにとっては最大の痛手、つまりは料理へのダメ出しだった。
「プリモとセコンドにはばっちり合うワインだけど、アンティパストはチェンジで」
 アーノンは、その氷が張った様な冷たい色の瞳を、ニコルにひたと向けて宣告した。
「すっげえ合わない」
 プライベートでは恋人だと聞いている二人だが、こういう時には容赦が無い。お互いが自分の仕事にプライドを持っているからこそ衝突する、そしてそれをプライベートに持ち込まなければ、プライベートを持ち込む事もしない。
「レモンの酸味、ヨーグルトのまろやかさが完全に被りますね。これと合わせて飲むと後味が強くて。しかも濃厚な匂いにプリモが潰れます」
 それでも、あまりに二人が殴り合いでも始めそうな勢いで睨み合っていたものだから、コルディオはフォローのつもりで言った。
「塩胡椒のきいた舌鮃のスライス、とか……の方が、合うと思います」
控えめに別の料理を引き合いに出すと、ニコルは軽く唸ってから腕組を解く。
「舌鮃か――確か今日、ストックあったな。……了解、変更する。後はこっちで任されていいか」
「任せる」
 ニコルが諾を見せたところで、辺りの雰囲気が変わる。
 緊張した面持ちで固唾を飲んで見守っていたスーシェフを筆頭としたシェフ陣はほっと胸を撫で下ろし、遠巻きにしていたスタッフは食事を再開する。
 アーノンは話は終わったとワインを片しにかかり、クラウスは欠伸を一つ落として踵を返した。
「ただ――フレンツォ!!」
 その場で待機するコルディオを一度見てから、ニコルは帽子を被り直す。
「なぁに?」
 のんびりとした口調でオーナーが答える。
「今季サーモンを多く取り寄せたから、サラダに新メニュー入れていいか」
「勿論、貴方に任せるわ」
「分った、コルディオ、付き合え!」
「はいっ!」
 やっと矛が回ってきて、コルディオは姿勢を正して返事をした。
「それじゃ、十分後にキッチンで」
「はい」
 言ってキッチンへ向かっていくニコルを見送って、コルディオはふ、と小さく息を吐いた。
 これにて、品評会は終了だ。後は食事を終えたスタッフを追い出して、後片付けをして、来月に備える。
 正しコルディオにはもう一仕事がある。
 変更が必要なアンティパストの調理に付き合うのだ。新人にとっては避けられない後始末というやつだ。
 何よりシェフ長の料理を手伝うのは、コルディオ自身の糧になる。
 だからこそ文句を言う気は毛頭無い。
「コル、休憩はいんな。後片付けはこっちでやっておくから」
「いいんですか?」
 背後から声を掛けてきたスーシェフの申し出にコルディオが目を見開くと、スーシェフは苦笑を浮かべて肩を竦める。
「俺ら、先に上がっちまうからね。それぐらいは」
「有難うございます、お願いします」
願っても無い申し出に深く頭を下げると、彼はコルディオの肩を気軽く叩いて。
「お疲れな」
 軽く手を上げて去る彼も見送って、コルディオは在り難く休憩を取る事にした。

 一人早々とロッカールームに引っ込んで、備えられたソファに腰掛ける。柔らかい皮のソファに沈み込むとどっと疲れがやって来る。
 首元のボタンを外し息を吐くと、部屋の壁に掛かった時計が目に入った。
 閉店後に始まった試食会は、三十分ほどで終わる。それでも閉店時間自体が最後のお客によってずれ込んだ為に、もうあと一時間もすれば日が変わる。
 明日は休みとはいえ、この後に新作を作るとなると――帰る時間は何時になるのだろう。
 ニコルの腕は確かだから、そう長い事かからないだろう事は分っている。彼の事だから既に幾つか候補の料理を思い浮かべているだろう。
「……疲れた……」
 けれど昼間の込み具合が何時もと段違いであったから、コルディオの疲労は極限近かった。
 ついでにコルディオの朝は、今日も早かった。
「……コーヒーでも飲むかな……」
 何時までもソファに凭れていたかったが、このままでは寝入ってしまいそうだと踏んで、コルディオは呟きながら立ち上がった。
 味に五月蝿いスタッフが多いので、ビアンコの休憩室には本格的な道具が揃っている。コーヒーも紅茶もインスタントは一つも無く、豊富に茶葉も豆も用意されている位だ。お気に入りのブルーマウンテンの豆を取り出して、器具にかけて挽く。その時に薫る芳醇な匂いは、疲れを取ってくれるかのようだ。
 かといってあまりゆっくりしていられる程時間は無いので、早々にカップに注いでソファに戻った。
 湯気の立ち上るそれを満足そうに見つめて、今度こそ心良い溜息を漏らす。
 しかし和んだ空気は、唐突に終わった。
 休憩室の扉が開いた音を、背後に聞く。
 誰だろうとは思っても振り返らずにいたが、一向に入ってくる気配が無い。
 まさか、という思いが過ぎって視線だけを向けると、予想通りの相手がドアの前で固まっていて、舌打ちが漏れた。
「お疲れっす」
 一気に空気が冷える。
「お、お疲れ様……」
 か細い声が答えて、
「お帰りですか」
「あ、うん……み、皆ももう来ると、思うけど……」
「そっすか……じゃ、入って着替えたらどうすか」
 律儀に答えは返してくるが何時も通りのびくついた態度に、コルディオの声音も当然刺々しくなる。
 促されて拒否する事も出来ないのか、イジョールは頷いて自分のロッカーまで小走りで入ってくる。
 その様子を見つめながら、コーヒーを啜る。少しだけ気分が落ち着く。
 居心地の悪い休憩になりそうだ、と思いながらも、コーヒーを手放す気になれずコルディオがソファにかけたままでいると、着替えを開始したイジョールと視線が合った。
 一瞬で、何時も通り逸らされた。
「あ、あの」
 それでも常に無く、イジョールから言葉を振ってきた。
「はい?」
「さ、さっき……ターニャが言ってた、事、だけど、」
「ああ……」
何故だかシャツのボタンを外したり着けたりしながら、イジョールが必死で言葉を紡ぐのを待つ。
 ターニャとの諍いは今に始まった事では無いが、第三者ながら当事者という状態が落ち着かないのか、それともお人良しの性なのか、寂しそうに瞳を翳らせるイジョール。
「喧嘩、させちゃって、その……ごめん、ね」
「何時もの事ですから。気にする必要ないです」
ターニャと自分の問題で、そして昔からの幼馴染の遣り取りで、何ら気にされる事は無い。そうばっさり切り捨てると、イジョールの肩は大きく跳ねた。
「あの、でも……ぼ、僕、別に、その……嫌ってるわけじゃ、ない、から!」
 珍しく震えながらも会話を繋げたイジョールに驚きはしたが、それよりも内容の方に不快感を全面に出した疑問符をぶつけてしまう。
「はぁ?」
 こちらをチラとも見ず、落ち着かな気に視線を彷徨わせて、居心地が悪い事を隠しもしない相手に、コルディオの頭は沸騰した。瞬間湯沸かし器だ。
「あのさぁ!」
 感情のまま、先輩に対する敬語も忘れて、コルディオはカップをソーサにガチャリと置いた。
 その音にさえ、イジョールは激しく反応する。
「そんな嘘ついてもらう必要、別にないんだけど」
 吐き捨てるように言葉を繋げる。
「大体、あんたそれで俺を嫌ってないって、何。馬鹿にしてんの。そんな気使ってもらわなくても、全然、一向に、結構なんで」
「嘘なんかじゃっ!!」
「俺もあんた、ぶっちゃけ気に入らないし」
 声音を最大まで落として、コルディオは宣言する。
 分りきっていることだろうに、思わず振り返った顔は何故か泣きそうに歪んで。
 それが更に、コルディオを苛立たせる。
「つーかさ」
 怒りの納め所を失ったコルディオは、イジョールを睨み据えながら立ち上がる。
 こんなに長く見つめあった事が、かつてあっただろうか?
 今はしっかりイジョールの目線はコルディオを捉えていた。
「嘘つく時ぐらい、真っ直ぐ目を見たらどうなんだよっ」
 それだけ吐き捨てるように言って、コルディオは力任せにドアを開けて閉じた。







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2009/01/12