51 人を裁けるのは事実だけ。



aperitivo.03







 ある日、リストランテのスタッフは数日後に催されるロッティ家の晩餐会に誘われた。
「晩餐会っていっても、ごく内輪の簡単なものよ」
と彼らのオーナー、フレンツォ・ロッティは笑って言ったが、彼の言葉が真実であった事なんて殆ど無い。殊更彼が気軽く紡ぐ言葉には。
 それでもリストランテの古株は、面倒なワケ有の上に、何かとロッティ家にお世話になっている面々だ。彼らは否とは答えない。
 それにフレンツォの新妻にして新人カメリエーラが参加するのは勿論の事、彼女の幼馴染にして見事に首根っこを掴まれた新人シェフ、コルディオ・アウトーリは否応無しに参加が決まっていた。
 唯一バーテンダーのユウ・タキシマだけは、難を逃れたといっていい。「遠慮します」と一蹴して「そんなユウが好きよ」とフレンツォから抱擁されていたが、普段から一匹狼である彼の事、誰も批難すらしなかった。
 ただし、最後まで抵抗していた者も三人程、居るには居た。彼らはロッティ家というよりもフレンツォ自身に頭が上がらない程の借りがあるくせに、
「ムリムリ、僕用事がねっ!」
「俺もラマンが!」
「オレもハニーがっ!」
何てすぐにばれる嘘でやり過ごそうとする。それは勿論にっこり笑ったフレンツォに「あんた達の相手は全員参加でしょうが」と見事に切り捨てられる。
 それでも逃げ出そうとする三人の脳裏には過去の凄惨なロッティ家主催のパーティが思い浮かばれた。楽しむという事を前提に催されるそれらは、確かに客として見る分には問題ない。遠くから眺め倒す分には申し分無い程楽しめる。ただし三人はフレンツォに巻き込まれて主催者側に取り込まれてしまうのである。その時の様子は酒の力を借りても口に出したくも無い。
(ばっくれてやる!!)
 三人が同時に胸中で決意を固めた時、フレンツォは逃げ口上を奪った。
「それで三人にはお願いがあるのよ。実は当日、私ちょっと所用があってね。クラウスには運転手を頼みたいの。パーティーにはどうっしても遅刻出来ないし、その点あんたの運転は信用出来るじゃない?」
「うっ」
「アーノンには、アデリコの所でワインを見繕って来て欲しいのね? もう予約も取ったからその時間で。貴方の舌、信頼してるから」
「うっ」
「晩餐会では結婚間近の従姉妹のバーバラにサプライズプレゼントを企画してるんだけど――何が喜ばれるのか、分らなくって。ルーカならあの年頃の子が好きそうなもの、見つけられるわよね?」
「うっ」
「私の用事ちょっと時間が掛かりそうだから、クラウスは駅で二人を回収してまた戻って来てくれたらいいかしらと思うんだけど」
 こう言われては否とは言えない三人は、
「……了解」
苦渋の表情で是と頷いた。



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 晩餐会の夕、駅で合流した三人は車に乗り込んで、フレンツォを回収に向かう。
 トランクに詰め込まれたワインボトルと女性好みのプレゼントはトランクを押し上げる程の量で、クラウス・ルネッリに悪態をつけられながらも、銀髪の双子は何とかそれらをトランクに納めた。
 後部座席には疲れた様子の双子が、ぐったりとした様子で座る。アーノンは胸元までの長い銀髪を、ルーカは肩までのそれを、共に首元で結って前に流している。きっちりとした正装着で座す姿は目を見張るほど美しいというのに、背凭れに見っとも無く寄りかかる姿は、残念な事に気品の欠片も見出せない。
 運転手のクラウスは、フォーマルな装いとはいってもそれを着崩していて、撫で付けた赤茶の髪といい、凶悪な面といい、どう見てもまっとうな人間には見えない。煙草を咥える唇から時々覗く鋭い犬歯は、更に極悪な雰囲気を彼に纏わせる。
 彼らはことさら、こういった装いで向かう場所が嫌いだった。
「……ね、本当に行くの……?」
「行くしかないだろ、ああ言われちまったら。荷物とフレンツォ前にして逃げられるわけもねーし」
「フレンツォから逃げたら後がこえぇよ」
 まだ覚悟が決まらないルーカが聞けばうんざりした声のアーノンが答え、クラウスまでもが同調した。
「フレンツォの仕返しってさ、子供のそれみたいに容赦無いよね」
 フレンツォなる人は、年を取っただけの子供だ。
 誰をも受け入れる包容力、人を諭す巧みな言葉――その影に隠れてしまいがちだが、その実態はただの子供なのである。
 だからして年を重ねる毎に順調に内面をも成長させてきた彼ら大人にとって、フレンツォの行動は予想の範疇外にあった。だからこそ晩餐会と、彼の希望を違えた後が怖かった。
 フレンツォの二人の兄がその場に居れば上手く手綱を握ってくれたに違い無いのだが、多忙で知れる二人はこんな田舎街に居を構えない。元々ロッティ家の本家はナポリにあり、兄弟達はナポリを拠点に主要都市に構えた別荘を渡りながら暮らしている。フレンツォだけがこの街をアルテジオと同じように愛して、暮らす――故に、この街の主こそがフレンツォと言えた。
「でもクラウスってさ、元々フレンツォのお目付け役として付き添ってんじゃなかった?」
「あいつの兄貴達はそれも望んでたけどな、俺が目付けってタイプか?」
「無理だよね」
「所詮用心棒が手一杯だ。俺に出来るのはアイツを危険から守る事くらいだわな」
 アーノンとルーカがフレンツォとであったのは13歳の時であるから、それからもう十年以上が経った事になる。
 その当時もクラウスはフレンツォの護衛として付き従っていたが、その頃闇の世界で生え抜きのスナイパーとして頭角を表して来ていた彼は、尖りっぱなしのまさに狂犬だった。研ぎ澄まされた刃のような印象、狼のように生まれながらの狩人としての隙の無さだった。
 けれど傲岸不遜、唯我独尊、一匹狼であるクラウスが飼い犬としての立場に甘んじている事は、アーノンもルーカもずっと不思議に思っていた。
 フレンツォと連れ立つ姿は、守られる人と守る人という関係にしては異様だった。仕事としてお互いの利害関係が一致しているというよりは、損得無しで、ただ一緒に居るのが自然なのだとでも言いたげに。
 実際一緒に居る姿は、不自然でしか無いのだけれども。
 家族が持つ絶対の絆のようなものがあるように見えたし、揺るぎ無い信頼を交わしているようでもあった。
 友人と呼ぶには、年齢差もあればどう見ても趣味が合うとも思わない。勿論家族でも無い。
 フレンツォの気性は、確かにどんな人間でも受け入れるだろう。彼の懐は際限無く広く、そこに一身に心を砕く。
 けれどクラウスにとっては、恐らく一番嫌悪するような相手がフレンツォだ。損得勘定の無い行為はただの欺瞞だと嘲笑しては、フレンツォのようなお節介焼きを罵倒して唾を吐き捨てるようなクラウスだ。
 それなのにフレンツォに対しては悪態だけに留める。それさえも甘えているだけに見える。
 だからこそ二人の関係は上手く言っているのだろうが、何故そういう関係に至ったのかという事は、誰にとっても不可解だろう。
「何でフレンツォには弱いの?」
今までに何度か同じ質問を投げ掛けて、その度に「どーだっていいだろ」と素っ気無く返されて来たにも関わらず、ルーカは聞いた。
 不思議そうに首を傾げる双子をルームミラー越しに見返しながら、クラウスはやはり。
「さあな」
「そろそろ教えてくれたって良くない?」
 唇を尖らせるルーカは、二十半ばだというのに愛らしいという形容が良く似合う。隣に掛けるアーンンは年相応に落ち着いていて、むしろ老獪ささえ感じられる。二人の見目の違いは右の眦にほくろがあるか無いかだけなのに、随分印象に違いがあった。
 クラウスにとっては自分とフレンツォの出会いから今に至る経緯なんかよりも、そっちの方が不思議な話だ。
 こういうのも≪隣の芝が青く見える≫というやつなのだろうか――ちょっと違う気もする。
 背後で文句を垂れているルーカを無視してそんな事を考えていると、ルーカはまだ諦めがつかないのか、クラウスの座席の背中部分を後ろから蹴り出した。厚みのあるそれだから大きな衝撃は無いが、とてつもなく煩わしい。
「うぜぇ!!」
 怒鳴りながら思わずハンドルを切ると、車体は大きく揺れ、ルーカとアーノンは突然のそれに態勢を崩した。
「うをっ……!」
アーノンは頭を窓に打ち付け、前のめりになっていたルーカは運転席に体当たりする。
 その様子を、クラウスは歯を剥き出して笑った。楽しそうにハンドルを右に左に切りながら、前を行く車を追い越そうとスピードを上げて器用に遮蔽物を避けていく。
「ちょっわ、」
「黙ってろ、舌噛むぞ」
 獰猛な獣の顔がミラーに映って、背後の双子は息を呑んだ。
 何が彼のスイッチになったのか分らない。今の今まで公共ルールを守って制限速度で走っていたにも関わらず、誰にとっても迷惑でしかない行動を取り出してしまった。
 最近はなりを潜めていた、狂犬といわれる所以の、全く予想出来ない行動である。
 前部座席の首根っこにしがみ付いて、双子はなす術も無く彼の暴挙に巻き込まれた。

 ――そういや、昔こんなよーな事があったな……。

 凄まじいスピードで背後に消えていく街の風景を冷静に見つめながら、クラウスはふと、そんな事を考えた。
 あれは、そう。
 まだ、クラウスが孤独な少年だった時代だ――。







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2009/03/28