75 年を取っただけの子供を大人と言うのか。



aperitivo.01






 これは、イタリアの片田舎の話だ。

 長閑な田園風景の中、ぽつんと、けれど人並みに栄えた街。
 何故栄えているのかって言えば、この街自体が簡単な遊園地みたいなもので。
 この街を取り囲む田園は大金持ちのロッティ家の所有で、元々はその田園で働く為に雇われた男達を家族毎住まわせる為に出来た小さな町だった。
 その頃の主、アルテジオ・ロッティは変わった男で、自分と農民との間に一切の線を引かない男だった。その上サービス精神が高く、雇用主という立場にそぐわないと噂された。
 ロッティ家は商家で地方に多くのワイナリーを持つ。特に有名なのがワインの製造だったがそれ以外にもいろんな商売に手を出していたと聞く。兎にも角にもこの街はワイン製造の為の葡萄を育てる為に作られたのが始まりだ。
 アルテジオは忙しい男でこの街の外れに大きな別荘を持っていながらも、そこにやってくるのは年に一回、それも数日間滞在するだけだった。けれどアルテジオはその度に、子供達にとても多くのお土産を持って帰ってくるのだった。
 それがサーカスの一団だった事もあったし、この地方では滅多にお目にかかれない雪を荷馬車で持ち帰った事もあった。あるいは収まりきらない蔵書を持ち帰って図書館を建てたり、子供達にせがまれて小さな飛行場と飛行機を用意した事もあった。また仕事の相手を大勢引き連れて滞在した事もあった。
 そうこうしてアルテジオが没した時、この街は始めの閑散としたもの悲しい雰囲気を一掃していた。
 ロッティ家の男は代々商才に恵まれたが、その酔狂な性も代々引き継がれて、今ではその小さな町が観光地のような賑わいを見せる。
 まあ実際観光地扱いで、見慣れない顔がちらほら。

 そんな街の一角に、評判の高いリストランテが存在して、私はそこのカメリエーラ志望の、今はただの常連客だ。
 女は要らないというのがここのオーナー、フレンツォ・ロッティ――かのロッティ家の三男坊で、私はそのフレンツォともう二年間も格闘中だったりする。
 男だらけのリストランテ、【ビアンコ】はフレンツォの趣味で美形ばかりが揃っていて、以前一度雑誌に載った事もある。女性客が絶えないが、フレンツォは家族連れや男性客向けに二階席も用意していて、私はその二階席には女の従業員がいた方が良いと訴えているのだが、如何せんここのスタッフは切れ者揃いで、フレンツォには却下の一言ばかり浴びているのが現状だ。
 それでもこの街で生まれ育った私は。このリストランテを街の誇りと思い、憧れながら生きて来た私は。
「……フレンツォってどういう人?」
 諦めも出来ず、ただ情報集めに必死だった。何とかしてフレンツォに気に入られて、そしてこの偉大な仲間の一人として認められてたい。
「見た通りの人ですよ」
 穏やかな物腰が評判の、カメリエーレの一人、ジーノは言う。
「……そういう事じゃなくって」
「……少し変わった人です」
「そういう事でもなくって」
かわされているんだか、真面目なんだか分からないジーノの答え。
 フレンツォは三十代半ば、年齢より幾分若く見え、目鼻立ちの整った容姿を持つ。長身痩躯ながらそれなりに鍛えた肉体に、黒く艶やかな髪の毛。何時もはそれを首元で一つに括っている。とても魅力的な男性だったが、残念な事に性格が崩壊していた。
 性格が悪い上に、美しいものが大好きで、何故か女言葉で話す。
 ロッティ家の商才を持って店を円滑に導くが、頭の螺子が何本か外れてしまっているのは間違い無い。
「言っちゃ悪いが、きしょい」
 ――とは、リストランテの最年少、シェフのコルディオ。
「不真面目な方だが、尊敬はしている」
 ――とは、生真面目な性格そのままの神経質そうな顔立ちを持つ、カメリエーレ長のオット。
「んー、自由?」
「んー、気紛れ?」
 言いえて妙だと笑い合うのは、モデル顔負けのスタイルを持つソムリエの双子の兄弟、ルーカとアーノン。
「………」
 言葉を探して固まるのは、人好き合いが苦手だというカメリエーレのイジョール。
「面白い人だと思うよ」
 苦笑するのは壮年のシェフ、ニコル。
「例えるならフェスタだ」
 最後は日本から来たバーテンダー、ユウ。
 粗方聞いた所、私にとって有益な情報は見つからない。
 週の二日だけ、リストランテの一角はバーとなる。開店前のその時間、コップを拭きながら回転準備を進めるユウを見つめながら、私はバーカウンターに突っ伏した。
「んー」
「そんで女嫌い。特にずうずうしい、あんたのよーな女はねっ!!」
 頭を掻きながら呻いた所で、上から声を降らした相手が肩に手を置いた。
「オーナー」
 ユウが小さく礼を取り、それにオーナー・フレンツォは
「何時見てもイイ男ね」
と甘い声を上げている。
「……やっほぉ、フレンツォ。考え直してくれた?」
「何度考えても答えは一緒よ!」
 向けていた背を反転して向かい合おうと、フレンツォは腰に手を当てて怒鳴った。
 相も変わらず女には容赦が無い。
「いちお、客だよ」
「開店前よっ」
 訂正。客じゃない女には容赦が無い。
「だいたい、何人の店に勝手に上がりこんでんのよ、あんたは」
「あ、すいません。俺が」
「コルディオは悪くないわ」
 私を迎え入れた事をコルディオが謝罪すると、今度はそっちに向き直り猫撫で声のフレンツォ。
「どうせこのバカ女が無理言ったんでしょ? 幼馴染だからって、可愛そうなコルディオ」
 同情を込めたフレンツォの言葉に苦笑するコルディオを一睨みすれば、彼はそそくさと掃除に戻る。
 二つ下の幼馴染――とは言っても、仲が良かったのは幼い頃だけだ。年頃になって遊ぶ相手が変わると一気に疎遠になった。だから彼は味方としてはほとんど役に立たない。
「フレンツォ、私、役に立つわよ」
「あんた入れるなら、役に立たなくてもニーノを入れるわ」
「……」
 きっぱりと言うフレンツォの相手は、ビアンコのドルチェが大好きな可愛らしい子供の事。
 声も無く固まった私を、フレンツォは。
「さ、邪魔よ、帰った帰った」
 慰めるわけも無く無体に追い出してくれる。

 荷物と一緒に投げ出されたリストランテを恨みがましく見上げていると、背後から聞きなれた声がかかった。
「また駄目だったのか」
 煙草を吸いながら黒いコートに両手を突っ込んだ髭を生やした男。
 人相はすこぶる悪く、そっちの世界で名を馳せていそうな印象を見た者に抱かせる。実際はその通りで、引退したとは言っても業界ではまだ名を誇る凄腕。用心棒兼カメリエーレ、実際はフレンツォの長兄に以来されたお目付け役、そしてフレンツォの無二の親友。
 唯一私に味方してくれる存在だ。とは言っても協力的では無いのだが。
 その理由は「華が無い」という女好きたる理由。
「言ってるだろ、子供が気に入る事を言って、やれって」
「前から思ってたけど、それ分かんない」
 煙草を踏み潰しながらクラウスはため息をついた。
「だからガキが喜ぶ事なら大抵気に入るって言ってる。それこそアルテジオが連れてきたっていう、サーカス団を見て大はしゃぎする類の」
「――フレンツォって、こう言っちゃなんだけど、変なだけの大人でしょ?」
 私がわからないと首を傾げると、もう一度ため息。
 それからクラウスはリストランテに入る手前でこう言い放った。
「年をとっただけの子供を、大人と言うのか」

 ――確かに。



2008/03/04