07 自分からやっといてアレなのですが、 前編


 お互いに理に適っていると思ったのだ。

 目を大きく見開いて固まった理子の顔。
 笑うと変顔になる、なんて良く聞くが、理子はそんな事なく、どんな顔をしていても顔形が崩れない。
 突拍子も無い俺の提案に、動揺しているのがありありと分かった。「え?」と聞き返してくる表情から、そこにどんな感情が沸いているのかは読み取れない。
 理子だって告白に辟易している筈だし、俺とカップルだなんだと噂されている現状を苦く思っているだろう。だから俺と理子がカップルだという事にしてしまえば、その手の話は振りかからないと思ったのだ。
 理子に一年前から好きな奴が居るというのは知っていたが、その誰かと付き合う気配も無いし、告白するような素振りも無いから、俺と理子とでカップルを演じても別段困らなのではないか。
 そう考えての提案だった。
 だからぽかんと口を半開きにしたままの理子に、そう説明した。

 そしたら、どうだ。
 返って来たのは、嫌悪感露な侮蔑の篭もった視線。
「ばっっっっかじゃないの!?」
 溜めに溜めて吐き出された低い声に、そうやって一蹴されたのだった。



 理子の家を訪れてから二日後の月曜日。
 理子の不興をかって、DVDを焼くなり土産にした菓子類全てを突っ返されて、蹴り飛ばされる勢いで雨の中を家に帰った。何か言う度に語尾に「バカ」とつけてくれた理子は、帰ってから俺が悪いのだろうと思って送った謝りメールも無視ときた。
 休み明けの学校でわざわざ理子の教室まで謝罪しに行く気は更々ないが、今日の昼は理子や佐久間ら友人八人と共に昼食を取る日だ。さり気に気遣いの理子はまさかその中で不機嫌顔という事はないだろうが、俺に対しての態度は氷点下ものなのだろうなと予測出来てしまう。
 そう考えると憂鬱で、朝の部活中もため息が漏れた。
 佐久間のように笑顔の下の真意が分からなかったり、日向のように何時も飄々としていて何を考えているのか分からない奴に比べれば、感情が正直に行動や表情に出る理子や高塚は分かりやすくて良い。特に俺は人の気持ちを深読みするのが苦手だから、楽で好ましかった。ただ俺の不用意な一言を後々まで引き摺る理子は、厄介だった。冗談交じりの悪態さえ、彼女は素直に飲み込んでしまうから、俺と理子はわりかし喧嘩腰の付き合いだ。特に二人になるとその色が濃厚だ。
 相性が悪いのかと言われれば――不思議と二人で居る時の空気は居心地が悪くないのだから何とも言えない。
 こうなれば理子のご機嫌が直るまで下手に出てやるか、等と考えてみても――結局、出来ないんだろうなと自分の性格を思って頭を垂れる。
 何がそこまで理子の逆鱗に触れたのか分からないから、殊勝な態度で謝ってみても的を射ず、それが更に理子を怒らせる。何を悪いと思って謝っているんだ、という話になってしまう。
 だからといって「何を怒っているんだ」と聞いた所で、理子は一人で完結して「もういい」になってしまうから、今度は逆に俺のむかっ腹が立つ。
 終いには二人ともいきり立って言い争って、それからやり過ぎたと感じるまで止まれない。やっと止まった頃には何時も、理子が酷く傷付いた顔をしているので困ってしまう。何時もやり切れない気持ちが残るから困ってしまう。
 もう二度と同じ轍は踏まないぞ、とその度に思うのだ。
 だから考える。
 一体何が気に入らなかったというのか。
 
 ――まあ何度考えても、答えは出ないのだが。



  二時限目を過ぎた辺りで、久し振りに雨が止んだ。移動教室の途中「お」と声を上げた友人につられて顔を上げれば、雲の切れ間から僅かな日の光を拝めた。
「晴れっかな」
 と続けるのは、陸上部の友人。いい加減室内練習ばかりで飽きたとぼやく。
「晴れた所で今日の体育は室内だろ」
と、こちらは陸上部員の意図など掴んでない的外れな返答。四時限の体育の心配なんざ誰もしとらん。
「雨でも晴れでも今日は室内だろうが。バレーだよ、バレー。先週と一緒に決まってんだろ」
 元々梅雨の時期は外が使えない事が多い所為か、室内授業が主だ。帰宅部には部活動の事情など関係ないので、彼の頭の緩さに関わらず最初から視野に入っていなかったのだろう。
「あー陸部なぁ」
 言われて「はいはい」等と理解したような口振りながらも、その調子はあくまでも他人事だ。
「晴れるといいわなぁ」
「なぁタケ。こいつ殺してもいいかな」
 陸上部員は脱力したように俺の肩に寄りかかりながら。
「いんじゃね? 馬鹿は死ななきゃ治らねぇだろーし」
 俺は然程興味が無い、という顔で、背後の帰宅部を見やった。
 そいつはこっちの会話なんざ耳に入っていない様子で、口笛を吹きながら空を見上げている。何故か曲はキューティーハニーだ。しかも異様に上手い。
「おめぇの話だよっ!」
 その呑気さに無性に腹が立って、俺は持っていた筆箱を帰宅部に向かって投げつける。
 投げるものは何もバスケットボールに限ったものではない。見事に奴のでこを急襲した筆箱は、その後ろを歩いていた別のクラスメートがキャッチする。
 帰宅部は声も無くしゃがみ込んで悶えたが、俺らは当然のようにそれを無視。
 若干苛立ちが治まって笑顔が浮かぶ。
 筆箱を返され「サンキュ」と返すその瞬間、背後からは雄叫び。
「タケ、てめぇ〜!!」
 涙声。思わず爆笑しながら振り返ると、帰宅部が捲り上げるむき出しのデコが赤くなっていて、大爆笑。陸上部員と二人腹を抱えてしまう。その間に追いついてきた帰宅部が自分の筆箱を投げてくるが、それは当然避けた。
「せめて、キャッチぐらいしろよっ!!」
 帰宅部の筆箱は目標物を失って廊下に見事なスライディングをかました。
 先に行った筆箱を小走りで追い抜いて、階段を駆け上がるその間も、俺と陸上部、辺りに居たクラスメートは笑いっぱなしだ。
 自分で筆箱を拾い上げる帰宅部が憐れで、それにももう笑いしか沸かない。
「マジで痛かったんだからな、タケ。デコが腫れたらどうしてくれんだよっ!!」
「いいじゃねぇか、ぷくっとキュートで可愛いぜ?」
「っぶははははっ」「ぎゃははっ」
 先程奴が口笛で吹いていたキューティーハニーの歌詞をもじって言えば、またもや爆笑。帰宅部は一瞬きょとんとして、それからやっと「ああ」と合点がいったのか、自分も可笑しそうに笑い出した。そのテンポの遅さがマジでウケた。
 俺らはそんな風にもう何が何だかわかんないくらいの、兎に角笑い死にそうな集団となって教室への道を辿っていた。
「……いや、子供じゃないんだからさ」
 ――奇異な視線が向けられてたって、気になんてちっともしてなかったわけだが。
 まさか知り合いの視線すら気付かないとは。
「これ高校二年生?」
 呆れ顔の佐久間と日向は廊下の側。廊下側の窓の向こう、つまり教室の中には、小馬鹿にするようなニヤニヤ笑いを見せる羽田。その向かいに机に突いた腕の上に無表情な顔を乗せた、理子。どうやら四人で歓談中、という様子。
 二年生は全員同じ階に教室があるわけだから、こうやって会ったってなんら不思議ではない。
「いや、お前らも最初から見てたら笑ってたって!!」
 集団の中の一人が、目尻の涙を拭いながら佐久間に寄り付く。……風に見せながら、狙いは理子だ。
「菅野さん、こいつのデコ見てみ?」
 ラッキーとでも言いたげに、陸上部員は帰宅部の肩を組んで理子にぐいっと近づけた。その顔が窓を越え様とした瞬間、佐久間と日向が左右から押さえにかかる。ナイス連携プレー。
 理子は突然近付いた帰宅部の顔に若干身を引いた。
「赤くなってっしょ?」
「……みたいね」
「あの狂暴男が筆箱投げつけてきてさっ!」
「ひどい男だよ全く……」
 先程まで一緒になっていた友人たちまでうんうん頷いているから不思議だ。
 全員の視線がいっせいに俺に向く中、一番奥の羽田だけはニヤニヤ笑いを止めない。
「あー成程、一番のガキはタケだったわけ」
 とか言いながら、日向が見たのは理子で。ついで俺に向いた日向の顔には、羽田のそれが移ったような不敵な笑み。
「身体は大人、心は子供?」
「あーコナン逆バージョン?」
 にっこり笑顔の佐久間は目が全然笑ってないし、帰宅部は何も分かってないのにそこで話に乗るな。
 何だ、こいつら。この短時間の間に何を悟ったんだ、一体。そして何時でも俺が悪者か。悪者扱いか。
 まるで一昨日俺が理子を怒らせた場面を見ていたかのような。見てもいないのに理子は悪く無い、と決めてかかっているような。体中から「さっさと謝れ、土下座しろ」オーラが流れ出ているように感じるのは、俺の思い違いだろうか。
「……あー……」
 項を掻きながら視線を落とす。
 この完全なアウェイ感。
 俯いた顔を上げれば、やはり理子は無表情。でも目線が合うだけほっとする。
「すんませんっした」
 とりあえずはこの気まずい場面を抜け出したくて、軽く、けれど心から謝罪する。ぺこ、とお辞儀もつけてやる。
 勿論これは帰宅部に対して、では無く、結局原因が何だかさっぱり分かってないけどお怒りの理子に対して、で。
 羽田は相変わらずニヤニヤ笑顔。佐久間は若干表情を柔らかくして苦笑。日向に至ってはもう面白くて仕方が無い、という満面の笑み。クラスメート連中は「分が悪いな、タケー」とからから笑い、勘違い男帰宅部は「タケが俺に謝ったよ、兄ちゃん!」とかわけのわからない演技で陸上部に抱きついている。
 さて、理子は――といえば。
 皆の中心で小首を傾げながら、口パクだけで「バーカ」とか言ってくる理子の唇は笑みの形を作っていて。
 ほっと吐息が漏れた。





BACK  TOP  NEXT



Copyright(c)09/12/29. nachi All rights reserved.