13 これくらいの距離がちょうどいい

「保健室メイツ」の続編のようなお話です



 香水の匂いが苦手。人が一杯居る空間が苦手。人混みも苦手。炎天下の校庭や、雨の後の独特の空気も。
「苦手なものが一杯」
と、苦笑するように言ってから、綾小路は髪を耳にかけながら。
「甘えてるのは分かってるけど、保健室は居心地が良くて」
だから入り浸ってしまうんだ、と、そんな風に小さく告げた。
 それはけして俺が居るから、なんて理由では一つも無いのに、自分が居るこの空間をも好んでくれているように感じて、馬鹿な俺は高揚していた。

「本当に持って来たの!?」
 保健室のベッドに横になった綾小路が、身体を起しながら驚いたような声を上げた。
「……おう」
 意気揚々と大きな荷物を抱え上げている俺が馬鹿みたいじゃないか。そんな、有り得ないものを見た、という表情は。
 学生鞄にも、旅行鞄にも入らない物。俺の部屋の押入れに突っ込んだまま長い事放置されていた、でかい紙箱。それを入れた紙袋は、中々運ぶのに難儀した。まず、バイクに乗せられない。縦にしても横にしてもバイクの幅を超えるので、くくりつける事すら出来なかった。仕方が無いので電車で通学して来たが、改札の出入りでぶつけたりした。
 そうまでして運んできた荷物。
 綾小路が望んだから、押入れを漁って持って来てやったというのに。
『人生ゲームがやりたい』
とポツリ呟いたのは、昨日の綾小路。
 確か家にあったっけと返したら、目を輝かせた子供みたいな顔に出会った。
 何時もの事ではあるが、わざわざそれを探し出して、苦労もして、保健室に直行してやったというのに。
「うわぁ、うわぁ」
 興奮したみたいな声を出しながら、そこには嬉しさというより、俺を小馬鹿にしたような動揺。
 本当に持って来たよ、こいつ。有り得ないんですけどー。
 俺の友人なら絶対に言うだろう言葉を、何とか飲み込んでいるように見えるのは邪推が過ぎるか。
「何だよ、やりてーつっただろ」
「言ったけども」
 凄めば、困った様な声。初対面には脅えてばかりいたこいつも、保健室の仲間と化して半年も経とうものなら、俺が少し不機嫌を晒した所でびくつきもしない。
「大変だったでしょ?」
「だったよ。わざわざ電車で来たしな」
「あは、マジで」
 堪えきれずに噴出す。小さな顔の中の更に小さな唇が尖る。
「じゃあ、折角だから」
 ババ抜きにも7並べにもウノにも、将棋にもオセロにも飽きた。保健室に持ち込んだ手持ちのゲームは、やり飽きてしまった。大抵俺が負けるのも、つまらない要因の一つだと綾小路は散々言うのけれど、それでも俺が満足するまで付き合ってもくれるのだから、綾小路はいい奴だ。
 携帯ゲームの類は、綾小路は好きで無いらしい。
 俺と違って純粋に体調不良で保健室を利用している綾小路は、こうやって俺に付き合って遊んでくれていても、顔色は中々に悪い。小さい画面を長時間眺めているのは、頭が痛くなるらしい。
 俺が手渡した人生ゲームを広げながら、懐かしいと呟く綾小路の顔色は、やはり今日も少し悪い。
 白い肌なんかは本当に儚げで、綾小路という苗字も相俟って、何だか深層のご令嬢、というような印象を受けないでも無い。
 言えば「普通の家庭だけど」と笑う綾小路は、俺にとってしてみれば、異生物。
 突いただけでも倒れそうだし、細い手首は少し力を入れただけで折れそうだ。
 今まで側に居なかった人種に、戸惑ったのは最初の内だけだが。
 実際の綾小路は消えそうな程に儚くも無いし、触れれば壊れてしまう程に弱くも無い。
 どこにでも居る、普通の女だ。
「順番、じゃんけんね」
 屈託無く笑い、ゲームを始める同級の女。見慣れないクラスメートで、見慣れた保健室仲間。
 あっさり最初のチョキで負けた俺を放置して、ルーレットを楽しそうな顔で回し出す。
 ベッドに乗り上げた俺は胡坐をかいて、ジンセイゲームを間に置いて綾小路を見る。
 手を伸ばしても、少し届かない。そんな距離。
 俺たちは何時も、この距離分遠い。ゲームを間においてでしか、関わらない。
「川瀬の番だよ」
「おう」
 この距離がちょうどいい。

 ――そんな風には。

 そんな風にはもう、思えなくなっている。
 何時の間にかがっしり、心の中心に居座ってしまった女。
 意識すらされていないのなら友達のままでいい。――なんて嘘だ。
「川瀬?」
 返事をしたものの動かない俺を、訝しげに見上げてくる綾小路には、屈託しかない。
 無邪気に、純粋に、ただゲームを楽しんでいるだけの。
「おーい?」
 前にのめるようにして、俺の顔の前で掌を振っている綾小路の細い手首を、捕まえる。
 驚いたように見開かれる瞳。
「川瀬?」
 この手を手繰り寄せたら、何かが変わるのだろうか。
 もしもこの距離感を違えたら?
 細くて、小さくて、白くて、柔らかくて、綺麗で。
 俺のものとは違う、温もりを、もし。
 戸惑うだけの瞳。怯えも怒りも無い、俺の心の内なんて素知らぬ顔。
「……ガキ」
 呻くように言って、内心では離し難さを感じながらも、掴まえた手首を離す。
 顰められた眉根が、見る見る怒りのそれに変わる。
「ちょっと、何よ突然!」
「別に」
「っていうか、川瀬の番なんだけど!!」
「はいはい」
 お前の頭はゲームの事だけか。そんな悪態をつきながら、やっとでルーレットに手を伸ばす。

 人生ゲームのように、俺の恋の行方ももっと単純で分かり易ければいいのに、と阿呆な事を考えた。





関連作 : 「保健室メイツ





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