16 第一印象から決めてました

「可能性の話」の続編のようなお話です



 ある休日、ナンパして来た男。
 断わるつもりだったのに、何故かちょっとツボに嵌って、マクドナルドで小一時間程度話す事になった。

 男の言葉にウソが無ければ、彼の名前は手塚 健吾。21歳で、一年浪人したらしい都内の大学二年生。あたしがたまたま立ち寄った駅ビルの中の、靴屋でアルバイトをしているらしい。その前をあたしが何度も往復していたのが気になって、バイト終わりに声をかけて来た、らしい。
 健吾があまりに話し上手だった所為で、あたしは自分の名前も学校も学年も、友達のゆっこや奈々子の事を話してしまった。
 そろそろ帰らなければ、と言ったあたしを健吾は引き止めたが、母に怒られると告げたら、簡単に引き下がった。せめて携帯番号とメールアドレスを、と食い下がる声に唸って逡巡していたら、それにもすぐに言葉を翻し「分かった」と去った。
 拍子抜けする位に、あっさりと手を振って。
「またね」
 なんて言われても、もう接点なんて無いと思った。

 所詮ナンパだしね。
 あたしにそれ程魅力があるとも思わない。何だそれ、と思わなくも無かったけど、それなりに楽しかったのに、と少し寂しかったし困惑もしたけど、割り切った。
 携帯番号くらい、教えても良かったかも。何かあったら着信拒否するって手もあるんだし。アドレスを教えてメールの遣り取りぐらいなら、続けても良かったかも。そんなに悪い奴にも見えなかったし。何より、言動がちょっと変ってて面白かった。
 ――そんな風に、帰りの電車の中で考えなくもなかったけど。

 それでも、例えばこちらからバイト先に乗り込んでいくような可愛気は、あたしには無かったわけで。
 ――というか、そんな事を翌日すぐ行動に起せる程の未練を、健吾に感じていたわけでは無かったわけで。



 昨日の、今日だ。
 それなのに、学校が終わったばかりの校門前で、あたしは再び健吾に捕獲される事になる。
 睦美だから『むっちゃん』と呼ばれる話をした時から、やつはあたしを『むっちゃん』と親しみを篭めて呼んで来た。
 今も、目をパチクリと瞬かせているあたしに近寄ってくるなり右手を上げて、「むっちゃん」と嬉しそうに呼んでくる。
 隣で、一緒に帰ろうとしていた奈々子が「もしかして」と呟いた。――昨日の話を、そりゃ、あたしもお年頃ですから、ナンパされたよなんて武勇伝にして語ったりなんかしちゃってたわけで。
 健吾は愛想良く奈々子に応じながら、固まったままのあたしの眼前で手を振った。
「おーい?」
 楽しげに細まる瞳に、あたしは眉間を寄せた。
「何で、いるの」
 学校名を教えた。昨日出会った駅から、二駅先のこの場所だ、そう遠い場所では無い。やつの生活圏内と若干被るから、もしかしたら他でもすれ違った事があったかもしれないね、なんて世間話もしたが、これは明らかに待ち伏せだ。
 少しの高揚感と、大きな猜疑心。
 それが如実に表れたあたしの声に、健吾はふっと唇を綻ばせた。
「昨日、言い忘れたから」
「……何を?」
 ティーシャツにダウンベスト、だぼっとしたネイビージーンズ。足元は、スポーツメーカーのロゴが入ったスニーカー。昨日と違って今日は、右耳に小さなフープピアス。髪の色は変らず、暗めの茶髪。ダウンのポケットに両手を突っ込んだ状態からは、その指に昨日と同じようにごつい指輪が嵌っているかまでは分からない。ただ、少し袖を捲った腕には、いかつい腕時計。
 身体を前屈みにして、あたしを見上げるようにしている。こちらの表情を窺っているような、うろたえるあたしを観察しているような。
 奇妙な居心地の悪さを感じていると、奈々子に肘の辺りを突かれる。
「あたし、先に帰ってるね」
 なんて、そんな普段無い気遣いを今発揮してくれなくていい!!
 ――のに、健吾は飄々と「ごめんね?」なんて言いやがる。
 奈々子はあっさりと手を振って、小走りで行ってしまう。その先に、他の友人を見つけたようだ。
 酷い!!
 健吾は駅の方向へ向かっていく奈々子を見送ってから、こいこい、とあたしを手招いた。確かに、校門の前に立ち止まっていたら、帰路につく学生達の邪魔になるだろう。
 でも少し離れてみたからと言って、それで何が変るというのか。チラホラと向けられる視線が、痛い。アレに見えるはクラスメートの田村君。こちらを指差して、首を捻って、友達と何か言いながら行ってしまう。
 何言ったの、今。
「おーい、むっちゃーん?」
 一人あたふたしてたら、また健吾が目の前で手を振ってる。そこでやっと真正面から健吾を見つめれば、満足そうに頷いて。
「で、話の続きだけど。俺と、付き合って?」
 ――こんな所で待ち伏せされていて、次の言葉が予想できない程鈍くはないつもりだ。ストレートにぶっこんで来るとは思わなかったけど。
「……あの、」
 でも、何て答えていいのか分からなくて、しかも告白なんて人生初なものですから、あたしの動揺は推して計って欲しい。
 しどろもどろになるあたしの前に、健吾はすっと左手を差し出す。
 それから、お願いします、というような感じで頭を下げる。
 ひいぃい!!
 傍目から見たら、さぞおかしいのだろう。通り過ぎ様の人間が、何あれ、と笑ってる。針の筵とはこういう事なのか。
「第一印象から決めてました!」
 ひいいいっやめてくれぇえ!!
 思いっきり引き攣った顔で、あたしは何を言うより前に、健吾の手を取っていた。
 でもそれはけして返事、という意味では無くて、この恥ずかしい状況から一秒でも早く逃れたかったからだ。その証拠に健吾の手を引っ張って駆け出した方向は、帰路の駅へ行く道では無く、反対方向。
 この場から、健吾を連れ去る事しか考えてなかった。兎に角、学校の前から去りたかった。周囲の目から逃れたかった。
 それなのに、何を勘違いしたのか――と言ったらあれだが、ただ掴んでいただけの健吾の手が、あたしの指に指を絡めるようにして握りなおされる。
 それは、つまり、恋人繋ぎ、というやつに。
 進行方向を向いたまま、あたしは息を飲む。振り返る事は出来なかった。
 背後から、嬉しそうな健吾の声が聞こえる。
「これから、よろしく」

 ――別に、OKしたつもりは、これっぽっちも無いんだけど。
 遠回りして駅に辿り着くまでの間、それから電車に乗ってからも、健吾の手を離さなかったあたしが、後でどんなにNOと言っても、お話にならないだろう。



 ――それにしても。
 第一印象から決めてました、って、何それ。
 何かの番組の、告白シーンで使われたのを聞いた事がある、台詞。それがリアルで使われる事があるものなのか。
 しかも、第一印象って。
 あたしと健吾の出会いはナンパじゃないか。

 何でこいつの決め台詞は、いちいちあたしのツボに嵌ってしまうんだろう……。





関連作 : 「可能性の話」 「種明かしをしよう」「ストロベリーチーズケーキ」





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