22 保健室メイツ


 泣く子も黙る、我が校一の不良、川瀬。
 時代錯誤なリーゼントがこれでもかという位似合う強面の彼は、他校生や上級生との喧嘩が絶えず、怪我を負っては保健室にやってきて、そのまま居ついて授業をサボル。
 対して、私、綾小路は、同じ様に保健室の常連だったけれど、川瀬とは大分様子が違う。
 私は昔から病弱で、保健室とは友達だと言ってもいいくらい。特に汗臭さとか香水とか、という匂いが充満する教室にいると、十分もしないで眩暈を起す。だから教室で授業を受けられることは殆どない。
 だからと言って大人しいだとか清楚だとかと勘違いされては困るが、川瀬と仲睦まじく過ごせるほどに擦れているという事も無かった。
 それでも互いを「川瀬」「綾小路」と苗字で呼び捨て出来る程度には、打ち解けている。それもこれも、保健室で顔を合わせる機会が格段に多いせいだ。
 当初、私はベッドに横になってばかりだったので、言葉は愚か顔を合わせる事すらなかった。カーテンで隔てられた向こう側で治療を受ける川瀬と、保険医との会話を何とは無しに聞いていた。その結果、『顔が怖いせいで絡まれる』とか『正義感が強過ぎて喧嘩をしてしまう』だとか、少女漫画にありそうなギャップなんてありもせず、ただ単純に喧嘩が好きな不良だという事が分かった。
 むかつくヤツがいたら片っ端から殴る。無免許でバイクを乗り回す。時にはカツアゲだってする。少年院に入っていた、というのだって噂じゃなくて真実だった。
 そんな川瀬であったから、私は毎日極力息を殺して、ベッドの上で存在感を希薄にしていたのだ。
 ――とは言っても、わざわざカーテンを引いているのだから、ベッドに『誰か』が居るのは一目瞭然だったわけで。
 ある日の授業中、私は貧血を起して保健室で休んでいた。多少回復したとは思えたが、それでも吐き気すら沸くような不快感を抱えていた。
 浅い眠りを繰り返す状況の中、誰か――辺りを憚らない大声で川瀬だとは分かった――が遠慮も無く、カーテンを開けた。
 開けた、とは言え、布団の中に顔を潜り込ませていた私には、隣のベッドにでも寝るつもりなのだろう、くらいしか思わなかったのだけど。
 次の瞬間、布団さえ無遠慮に剥ぎ取られ、私は目を見開いて固まった。
 そして、色んな意味で眩暈がした。
 布団が攫われた勢いで私の制服のスカートは捲れ上がり、顕になった太股を見て「おーいい眺め」なんて薄ら笑いを浮かべる川瀬は、頭から血をダラダラ流していて。その血は顔を伝い落ち首を滑って、シャツさえ真っ赤に染めている。
 一体何事かと跳ね起きたせいで、さらに気持ちが悪くなる。
 けれど川瀬はそんな私の様子にもお構い無しで、横柄に声をかけてきた。
「あんた、これどうにかしてくれ」
 これ、と指すのは自分の頭。
 どうやら保健医が留守のようで、だからこそ頭の怪我を治療する相手が居ない、という事なのだろうが、人に物を頼む態度とはとても思えない。
 ――思えないけど、そこで刃向かう体力も気力も、ましてや不良川瀬が恐ろしいので、私はダルイ身体で何とか、それに応じた。
 怪我は流れた血の割りに軽く、汚れを拭き取って現れた額の傷は、消毒する位で良かった。だから私はさっさと治療を終えて、愛しいベッドへ戻るつもりだったのだ。
「終わりました」
と勝手に取り出した救急箱を仕舞いこみ、返事も待たずにベッドへ向かう。
 その後を、何故か川瀬がついてくる。
「……あの……」
「気にすんな」
 そしてドカっと、私が寝ていたベッドの枕元に腰を下ろす。
 えー何なのこの人。
 勿論、思った事は口にしない。代わりに表情は引き攣ったけど。
 どう反応するべきか分からず、私は黙って隣のベッドに移動――しようとした手を、掴まれた。
「あんたの寝床はこっちだろ」
 三つあるベッドは大抵空いていて、窓に一番近いベッドを私は指定席のように陣取っていたけれど、別に寝れるなら何処でもいい。
 けれど睨むように見据えてくる三白眼に、刃向かうのは得策じゃない気がした。
 かと言って、何だか良く分からないこの状況で、至近距離に川瀬の姿を感じながらベッドに潜りこむ気にもなれやしない。
 まさかこれって、貞操の危機とか言わないよな、と、川瀬の顔を上目遣いに見上げてみても、その真意は窺いようも無い。
 暫く無言で見詰め合って、焦れたような川瀬がベッドを叩くのを、今度こそ退ける事が出来なくて。私はおずおずと、ベッドに入った。
「寝ろ」
 そして彼の圧力に負けて、座る姿勢を寝る姿勢へと変える。
 お前が勝手に起したんだろうが、なんて勿論言えません。
 唯一出来る抵抗として川瀬が座る側に背を向けてみたのだけど、それは糸も簡単に仰向けに直されてしまう。
「あの、川瀬君」
 一体何がしたいのだろう、という意味で声をかける。万に一つの可能性で気遣ってくれているのだとしたら、そんな善意いらないから消えてくれませんか、という気持ちも込めてみた。
 それなのに返って来たのは、不満そうな呟きだった。
「……川瀬」
「……は?」
 何故いきなり名乗りあげているのか、あなたを知らない人間は我が高に居ないだろうし、まして今私は名前を呼んだよね?
 その答えはすぐに返る。
「タメで同クラだろ」
「……」
「綾小路?」
 私たちはお互い、別の理由で、クラスとは縁が遠い。教室で見えた事は多分一度も無かっただろう。
 それなのに川瀬が、同じクラスだという事や、私の名前を知っている事に驚いた。
「そうですけど、あの」
「敬語」
「……は?」
「必要ねぇから」
 ――まあ、ぶっちゃけ、そんな事言われても、という話だった。
 会話をする理由も必要もないので、呼び方も敬語もどうでもいいだろう、という事情で、私は川瀬から逃れたいが為に、ただ「うん」と頷いた。
 分かったから、話を進めていいですか。寝たいので、あっちへ行ってくれませんか。
 それなのに満足がいったのか強面を綻ばせた川瀬は、子供にするように私の頭を撫で、その上でもう一度、笑った。
「保健室って、暇だよな?」
 寝ろといった口で、私に暇潰しに付き合えと、つまりそういう事だった。

 ――そんな会話の次の日から、私は川瀬の暇潰しに付き合わされる羽目になった。

「あのね、何度も言うけど、私、保健室でサボっているわけじゃないのよ?」
 トランプを二枚、ベッドの上に放り投げながら念を押す。
 私と相対する川瀬は、ベッドの上に胡坐をかいた状態で唸る。どうやら私の手札から持っていったカードがご不満らしい。そりゃそうだ、持って行かれたのはジョーカーだった。
「知ってる」
「こうやって遊んでいるなら、授業に出たい位なのよ?」
 言いながら川瀬の手札を摘まんで、手持ちの札と一緒にベッドの中央に放る。
「でもそれが出来ないから、保健室にお世話になっているのであって、」
 順番がまた自分に回ってきて、カードを再び選んで、放る。
「それに、いい加減ババ抜きは飽きたし、」
「本音はそっちだろーが!!」
 ジョーカーを残し、川瀬の手札はまだ十枚近くある。それに対して私の方は、今まさに、最後の組み合わせを捨てた所だ。つまり、上がり。
「だって、川瀬弱いんだもん」
 保健室を利用する人間は、我が高には限りなく少ない。その理由はこの川瀬が入り浸っているからだが、だからこそ保健医は川瀬の治療が終わると職員室に居る事の方が多い。そして怪我人や病人はそちらに向かうのが暗黙の了解となっている。保健室が本来の目的で使われる事は、本当に少ない。
 けれど入学当初から保健室の住人化していた私は、こうなる以前まで川瀬の実害を受けていなかったわけで、それまでは本当に、本来の意味で保健室を利用していたのだ。
 サボリの川瀬は隣で惰眠を貪り、私は体調の回復を計って眠る。
 それが川瀬の怪我を治療したのを切欠に、時々こうして暇潰しに付き合わされるようになってしまった。
 最近では私の態度も軟化して、むしろ遠慮が無くなって来ている。
 教室の空気が駄目なだけであって、一日中体調が奮わないわけでは無いので、私ももしかしたらサボっている事になってしまうのか。
「あーちきしょう。もう一回だ!」
「えーまたババ抜き?」
「当たり前だろ。弱いなんて言われて引き下がれるか!!」
「いいじゃん、トランブ如きが弱くったって」
「うるせぇ。いいから、ほら。配れ!」
「えー……」
 大体二人でするババ抜きなんて、面白さが半減所じゃない。自分が持っていなければ必ず相手がジョーカーを持ち、手札が少なくなってくれば、それを探すのは容易だ。それなのに川瀬ときたら、あまりにお粗末。
 でも前にわざと負けたら、それは見破られて怒られた。
 そんなこんなで私は、対戦数=勝利数という、ババ抜きクイーンの称号を欲しいままにしている(二人で言っているだけの称号で、尚且つ川瀬の場合はキングになるので、どう転んでも自分だけの称号だが)。
「……しょうがないなぁ」
 言いながら、差し出されたトランプを配っていく。
 こっちはうんざりとした溜息を隠してもいないのに、全く。そんなに暇が嫌なのか、川瀬は腕まくりまでしてヤル気を示している。
 今度は負けねえ、と何度聞いたか知れない台詞に、小さく笑う。

 保健室には今日も、サボリの不良と私の二人。





関連作 : 「これくらいの距離がちょうどいい





title by 悪魔とワルツを - 目指す場所は遠く、深い

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