03 取捨選択の自由


 週末の居酒屋は程好く混雑して、けれど駅からは少し距離があるからか騒がしいという程でも無い。
 待ち合わせたのは、通勤途中の駅の、小さな居酒屋だった。半個室の部屋と、リーズナブルだけど美味しいご飯と豊富なお酒が楽しめる、全国展開のチェーン店。
 予約をしておく、と言われて、何も考えずに店員にそう告げて。案内された個室で、座ろうとした動作のまま、固まった。
 先に着いていた相手は掘りごたつ式のテーブルの向かい、煙草の灰を灰皿に落とそうとした状態で、同じように固まった。
「……」
 沈黙が落ちて、長くなった灰が音も無く落ちて、そろそろ不自然に曲がった腰が痛いなんて考え出した頃。
 先に状況把握を済ませたらしい相手が、抑揚の無い声で告げた。
「……とりあえず、座りませんか」

「あんたに紹介したい男が居るんだけど」
 そんな風に、夕ご飯の後の寛ぎタイムに何とは無しに言われた。
 台詞自体はそう珍しい事も無い。部屋着でソファに寝そべって操作していたスマートフォン上の指が、微かに止まる。
「――へ?」
 顔を上げると、カウンターキッチンで洗い物をしていた母親と目が合う。
 今の台詞の発信源は、その母親に違いない。というか、母子二人の家庭なのだから他に誰かが居よう筈もなかった。
 紹介。男。
 母親の台詞の断片を拾い集めて、若干秒考えてる。
「結婚するの?」
「そんなのは分からないけど」
 間髪入れずに失笑交じりに返ってきて、またしても考える。
 両親が離婚したのは、20年以上前のことだ。父親の記憶なんて殆ど無く、物心ついたらうちには母親しか居なかった。幼少期には寂しく思う事はあったが、母子二人の生活はそれなりに楽しく平穏だった。
 大学を卒業して勤続年数も7年、私ももう30歳になろうとしていて。そんな折に母親が男を紹介しようと言うのだから、てっきり再婚の報告だと思ったのだが。
 水音が止まって、母親が手を拭いているような気配。共に会社勤めであったから、夕飯作りは当番制だった。今日の夕飯当番は私で、そうなると後片付けは母親の当番、というのが我が家の取り決めだ。
「お母さんの同僚に、松本さんて居るでしょう?」
 松本さん。その名前を咀嚼するように噛み潰すまでも無く、馴染みのある名前。と言っても母の話を聞く程度のその人の顔は知らない。職場が移動になってからの付き合いのシングルマザー同士、年も同じで馬が合ったらしい、そんな程度の情報だった。確か私より幾つか年上の一人息子が居るらしかった。
「その息子さんがね。ああ、良太くんていうんだけど」
「はあ」
「これがまた、良い男なのよー」
 そこでちょっと眉が寄る。女手一つで私を育ててくれた母親には、感謝の念ばかりがある。大学にまで行かせて貰って、自由に育ててもらった。50代に足を突っ込むような年でも若々しく溌剌として、女性としての手本として憧れている。そんな母親である。
 再婚に、反対する気は無い。
 無いけれど。
「……ちょっと若くない?」
 お義父さん、と呼ぶには、年が近過ぎる。いや、まだ年上なだけマシかもしれないけど。いや、でも。待て。
 動揺のままに起き上がって困惑した顔を向けると、母親と目が合う。
「何言ってんのよ。2つも年上じゃない」
 いや、私にとってはそうだけどもね。愛し合う二人に年の差なんてとは言っても、流石に世間体が――等と常識人のような事が言えるわけも無く、ごにょごにょと口を動かす。
「別にあんたが結婚しようとしまいと、気にするわけじゃ無いんだけど。良太くんもまだ結婚してないし、付き合っている相手もいないって言うし、なら義理の母親同士になるのも面白いわねーなんて松本さんと盛り上がってね」
「……はい?」
「お見合いしろ、って言ってるわけじゃ無いのよ。ただ、知り合ってみるのも面白いかと思って」

 ――そんな話をしたのが昨日の事なのだ。
 そんな流れがあった上で、今日、母親と、約束をした外ご飯。
『明日休みだし、久し振りにお酒飲みたいわー』
 母親の提案を蹴る理由も無く、のんべえの私が週末のお酒の誘いに抗う必要も無く。
 同じ時間帯に同じ名前で予約が重なり、店員の思い違いで別の部屋に通される――なんてハプニングが起こった事は、経験に無い。無い、上に、昨日の母親の言動と今日の突然のお誘い、母親の性格、それらを思い浮かべて、納得がいってしまった。
 それは相手の、松本良太さんも同じだったのだろう。
 会社帰りと思われるスーツ姿。ネクタイを外して、同席者が来る前にビールを頼んで飲み、あまつさえ煙草を吸う――初対面の相手を待つ男のする事じゃ無い。
 私を見るなり固まった態度といい、相手も予想外の事態に困惑して、それから納得したようだった。
 促されて座った私に、店員が注文を伺うのに「ビールを」と答えてしまってから、初対面でビールを頼む自分を「しまった」なんて思う余裕も無いまま。
 松本良太さんの動揺具合も、煙草を吸っては吐いてる様子から窺える。
 それからはたと気付いて、
「失礼」
 と煙草を灰皿に押し付けようとする動作を、制する。
「大丈夫です。あの、私も煙草、良いですか」
 コートに突っ込んでいた煙草をおもむろに出して、一言。
 女が煙草にビールなんて可愛げが無い、と言われる事もしばし。そうは思っても。思ってもちょっと、この状況は。いくら見合いとはいっても、ねえ。いや、見合いじゃないけど。無いけども。
 松本良太さんは嫌な顔一つせず、自分の方に寄せた灰皿を中央に置いてくれる。
「有難うございます」と堅苦しく礼を言い、火を点ける。
 煙を肺に吸い込めば、幾分冷静になれる。
 何とも言えない居心地の悪さと、仕事の疲れも相俟っての気だるさ。そんなものを共有するように、苦笑を交わす。
「常盤さん、ですよね」
「はい、そちらは」
「松本です。松本良太」
「常盤杏子です」
「初めまして」
「初めまして」
 そんな短い挨拶の後、頼んだ私のビールが届く。
「……えーと、とりあえず乾杯しましょうか」
「そうですね」
 半分減った松本良太さんのジョッキと突き合せ、呟くように乾杯を交わして。
 改めて部屋を見てみると、2人で少し余裕がある程度の半個室で、とても4人が座れるような席では無い事が分かる。そうすると、母は。私達の親は。
「困った母親で」
「いえ、こちらも」
 申し訳無い気持ちで頭を下げると、同様の顔で松本良太さんも返してくる。
「お互い様という事で」
「そうして頂けると」
 二人して恐縮して、頭を下げ合って、目を合わせて、同時に溜息。
「……なんかもう、あれですよね」
「ええ。なんて言うか、こんな丸投げの紹介があるかって言うか。いや、あの母なのでありなんですけど」
 私の言葉にふっと呼気を吐き出すように、松本良太さんが笑う。眉を上げて厳しめの表情を解くと、ああこの人飴と鞭の使い分けが上手い上司タイプだな、なんて感想が涌く。何時もは厳しくて堅くて怖い上司なのに、時々小さく笑んで成果を褒めてくれる。それだけで敬遠していた若い部下が、虜になっちゃうタイプの。
 跳ねた鼓動を自覚して、慌てたようにジョッキを煽る。
「良い飲み具合ですね」
「あ、すみません」
「いえ、気持ち良いなと」
 一緒に出て来たお通しに箸をつける所作は、綺麗だ。「いただきます」と手を合わせたことからも、親の育て方が伺えるというか。
「貴女の事は常盤さん――お母さんの話と一緒に、名前は聞いてたんですが」
「あ、私もです。松本さんと、その息子さんの話」
「それが昨夜、会ってみないかと言われて」
「それも同じです」
 見合いなんて堅苦しく考えないで良いから、なんてに言われても、母親に男を紹介される状況も両家でご対面なんて状況もごめんだった。だからすかさず断って、終わった話の筈だったのだ。
「正直な話、見合いじゃないと言われても、そういうわけにも思えず」
 同じです。同じ。
「常盤さん云々じゃ無く、話の突拍子の無さに断ったんですけど」
 うんうん頷きながら、松本さんのハスキーな声を聞く。
「まあちょっと話が変わって、一度話してみるのも良いかもしれない、なんてそういう流れになったんです」
 思わず目を瞬かせると、松本さんは頬を人差し指で掻いて、ちょろっと視線を泳がせた。
「だから私の所為です。申し訳無い」
 居住まいを正して頭を下げる松本さんに、とんでも無い親近感を覚える。
「……もしかして、松本さんも何か条件を?」
 昨日の夜の話、には、続きがある。断った後の、その先に。
 似た所のあるお互いの母親の事、もしかしたら私と同じ展開に松本さん母子も発展したのかもしれない。そうに違いない。
 驚きに目を見開いた後、松本さんはまさか、と呟いて。
「常盤さんも?」
「はい」
 単純に、母親の横暴の末の、この見合いもどきというわけでは無いのだ。会うのか、会わないのか、ちゃんと選ぶ自由を母親はくれた。
 そして私は母親が出した条件に大いに揺れた後、先の答えを覆して、松本さんと同じように「会ってみても良いかなー」と曖昧に告げたのだ。
 そこに、松本良太さん、という人の良し悪しやら情報やらというのは介在していない。好みのタイプであるかどうかすら、関係が無かった。見合いのように写真を交換する事も無く、見た目も性格も学歴も仕事内容も全て関係の無い所で、ただ『会う』という事だけを了承した。
 それが松本良太さんでも、誰でも、だ。
 だからこそ申し訳無く思い、居た堪れなく感じた。
 ――のはお互いだったという事で。
 緊張感がふっと霧散したのが分かる。なんだ、と安心したように呟く松本さんが、まるで友達のような気安い存在に変わる。
 同じ仕事をやりきったというか、同じ混乱を乗り切ったというか、同じ戦場を生き残った同士に対する、連帯感にも似たものが身の内に浮かぶ。
「どんな条件だったかは聞かない方が良いですよね」
「そうしてくれると助かります」
 今度こそ素で笑い合って、これは思ったより楽しくお酒を交わして、適当に終われそうだななんて思った矢先。
 どこからか、聞き慣れた声が聞こえてきたのだ。歌うように笑う、生まれた時から付き合っているあの独特な声。
「それで杏子ったらね〜」
 狭い店内で、同じ名前の人間がそうちらほら居て堪るか。
 紛れも無い母親の声が、私の名前を楽しそうに出す。声に聞き覚えの無い松本さんでも、『きょうこ』と目の前に居る人間と同じ名前が飛び出た事に瞠目した。いや、固まった私を見たからだったのかもしれない。
「昔っから私の作るチーズケーキが大好きなんだけどね?」
「よいじゃない。可愛いじゃないの。チーズケーキで釣られてくれるなんて、今時ないわよ」
「まあね。そりゃ私の娘だから可愛いんだけどねー」
「やだ、顔のことじゃないわよ。顔知らないけど」
「言うよね〜」
 ――一昔前に流行った言い回しで、何を肴に飲んでるんだ。
 この、計った様な何とも言えないタイミングが憎らしい。恨めしい。
「チーズケーキ……」
 呆気に取られたように呟く松本さん――良太さんの方だ――に、今度視線を泳がすのは私の方だった。
 そして同じように固まるのは、今度は良太さんの方。
「で、良太くんはどうだったの?」
「うちも同じようなもんよ」
 その瞬間、松本さんが腰を浮かした。
「出ましょう」
「え?」
「今すぐ店を出ましょう」
 ハンガーに掛けたコートを手繰った手は、そそくさと荷物を纏め始める。母親達の会話を私の意識から逸らすかのように、「さ、早く」とビールを飲み切るようにジョッキを掲げ上げる。その手を、私は押し留めた。
「駄目です」
「え?」
「フェアじゃないです」
 私はにっこり笑顔を貼り付けて、断固としてジョッキを受け取らなかった。
 上手く笑えている自信は無い。
 その間にも母親達の会話は進んで、良太さんが諦めたように大仰に溜息をついて天井を仰いだのと同時。
「うちは本よ。絶版になった私のコレクションを、譲ったの」
「何の本?」
「イギリスの恋愛小説」
 そこで母達の爆笑。
 良太さんは頭をがしがしと掻き混ぜて、私が「恋愛小説……」と呆気に取られて呟くと、「ミステリー色が強いんです」と言い訳のように語調荒く言った。
「……恋愛小説……」
 それでも衝撃のままもう一度呟けば、良太さんは私を睨むようにして、
「貴女もチーズケーキですよね」
「わ、悪いとは言ってませんよ」
「俺もです」
 言い合ってから、肩が震え出し、喉に込み上げた笑いを、同じタイミングで吹き出す。
 私は母の手作りのチーズケーキが食べたいが為に、良太さんは恋愛小説を譲ってもらう為に。お互いが、『会う』選択を選び取った。
 つまり、そういう事で。
「笑わせないで下さいよ〜」
「そっちこそ」
 くつくつと引かない笑いを響かせながら、そのお陰で寛いだ私達は知らない。
 母親同士の会話が「お似合いよね〜」と帰結した事を。
 その後の母親同士の会話は、全く耳に届いてこなかった。もしかしたら私達を肴に美味しく酒を飲んでいるのかもしれないけれど、私もまた母親への愚痴を肴に、この夜を楽しんでいたから。








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