11 あまやどり30分


「え?」
 ぽつり、頬に冷たいものが触れた――と思った次の瞬間には、細かい雫が天上から降り注いだ。
「……嘘でしょ!」
 学校からの帰り路、空は真っ青に澄み渡っているのに。
 所謂天気雨に、道行く人は慌てて駆けて行く。
 鞄から折りたたみ傘を取り出して悠々歩いている人もちらほら居るけれど、生憎私は傘を持っていない。
 何と無く頭をガードした右手も、余り意味が無いけれど。
 駅までの距離はまだ長くて、私はとりあえず、近くの軒先に避難した。
 降りたシャッターには、A4サイズの紙が貼ってある。そこに『都合により暫くお休みします』と書いてあった。
 何の店なのかは良く分からない。
 が、とりあえずの避難先なのだから、何の店でも構わない。出来れば時間を潰せる本屋か喫茶店等に逃げ込みたかったが、手頃な場所が他に無かったのだから仕方無い。
 天気雨なのだからその内止むだろう、と諦めて、私はスカートのポケットからハンカチを取り出した。肩口や髪の毛を簡単に払って、肌についた水滴を拭う。
 見上げた空はやっぱり晴れ渡っている。
 鞄の内ポケットから、携帯を取り出す。幾つもの重たげなストラップが揺れる、携帯。
 ミニゲームで暇を潰しながら、雨が止むのを待つとしよう。
 そんな風に携帯を弄り出してすぐ、足音と共に黒い影が隣に滑り込んだ。
 携帯の画面にも影が落ちて、その画面に、水滴が飛んできた。
「あ」
 どうやら隣に逃げ込んだ誰かが、頭を振った際に飛んだ模様。
 思わず上げてしまった声に、隣の誰かの動きが、ふと止まった。
「あ、ごめん」
 野太い声が男の物だと分かった。
「あ、大丈夫です。防水なので」
 そんな事を言いながら、男の方に目をやる。
「……あ」
 お互いの顔を見合わせて、同時に声を漏らす。
「……ども」
「………ども」
 偶然、というか、当然というか。まあ、通学路なのだから、同じ学校の生徒とかち合ってもおかしくない。
 隣の誰か、は、同じ高校の、だけれど顔を知っている程度の、隣のクラスの男子生徒だった。
 避難が一足遅かったのか、短めの前髪から水滴が滴って、白いワイシャツは僅かに透き通っている。
 もう一度、犬のようにぶるるっと頭を振って水を払っても、余り意味が無いようだった。
 名前は、確か――小野くん? いや、小田くんか?
 何て事を考えていたら、彼は盛大にくしゃみをした。ちょっと鼻が出てしまったのか、手の甲で乱暴に拭う仕草をしながら、鼻を啜っている。
「……」
 その様子を観察しながら、私は記憶を探り続ける。
 隣のクラスの、小野だか小田だか。サッカー部に所属しているからか日焼けで真っ黒で、昼休憩には購買に駆けて行く運動部集団の中に、居た。
 中学も違ったし、共通の友達も居ないし、隣のクラスといえど接点は無い。
 きっと隣の彼も、私の名前は知らないだろう。
「……使う?」
 濡れたままの髪の毛が哀れで、私はハンカチを差し出した。少し湿ってはいるけれど、まだ吸水力はあるだろう。
「……」
 ちょっとくたびれたハンカチを、小野だか小田だか君が見つめる。
「えと、私もさっき雨拭いただけだから、多分綺麗」
「多分?」
「……多分」
 ふっと、口元が綻ぶ。あ、唇の脇に小さなホクロを発見。
「サンキュ」
 私の手より大きな手がハンカチを浚っていく。指先が微かに触れて、離れた。
 それから彼は濡れた額や髪の毛、露出した腕なんかを拭いて、ちょっと困ったようにこちらを見て――目が何を訴えているのかわかったので、私は無言のまま掌を差し出した。
 ハンカチを返すべきか迷ったみたいだったけど、洗って返されるとか面倒だし、あげてもいらないだろうから、私がちゃんと回収する。
「えーと……」
 言い掛けて止める、その顔は雄弁に物を語る。
「相川」
「……俺、野田」
 指先で自分を指しながら名乗ると、彼もそれを真似た。
 -――小野でも小田でも無かったけど、惜しい!
 しかし、そんな風に名乗り合ってみても、続いて会話が成立していくわけでも無い。
 お互い、雨宿りの為に隣合っているだけだ。
 なのだから、私は中断していた携帯ゲームを再開する事にした。
 のだけれど、再開してすぐに、野田くんが携帯画面を注視している事に気付いて、顔を上げる。
「何?」
「いや、最近みんなそれやってるなと思って」
 私がやっていたゲームは、確かに最近流行している、パズルゲームだ。テトリスなんかに近くて、時間制限が2分と短いから、本当にちょっとした時間に出来る。有名なゲームで国民の大半が遊んでるとか何とか。
「野田くんはやらないの?」
「俺、小さい画面で何かするの苦手」
「へえ〜」
 さっき見た大きな手では、確かに操作しにくいのかもしれない。
「っていうか、ゲーム自体あんましない」
「私もするのはこれぐらいだけど」
「ふ〜ん」
 野田くんはゲームが気になるのか、じりじりと間を詰めながら画面を覗き込んでいる。
 ちょっと、やりにくい。
「やりにくい」
 思ったらすぐに言葉が出た。
「あ、悪い」
「良いけど」
 謝罪はしたものの、良いと言ってしまったからか、野田くんはそのままの姿勢だ。
 私はやっぱり集中出来ないので、1ゲーム終わった際に、携帯をしまった。
「止めんの?」
「見られてると気になるから」
 そんなもんか、と悪びれずに呟いて、野田くんは項を掻く。
 お互い手持ち無沙汰になって、何と無く空を見上げた。降り方は、最初の激しさが弱まってはきているものの。
「……止まないねぇ」
「……だな」
「……」
「…………」
 ――はい、会話終了ー!!!
 赤の他人でも、多分隣で沈黙してたら落ち着かないかもしれない。電車の中とか、当たり前の場所では差ほど気にならないけれど、場所が変わるだけでどうにも落ち着かない。
 けど、なまじ知ってる相手なだけ、沈黙が重い。
 ゲームの所為で縮まった距離の分、息苦しい気もする。
 だけど、だからと言って距離を取るのも感じが悪くなかろうか。
 人一人、入る隙間も無い。傍から見たら、どんな距離感だろう。とりあえず、他人の距離感では無い、気がする。
 野田くんは軽く背後のシャッターに寄っかかって、くしゃみを一つ。
 あーそういえばこの人、濡れたYシャツ着てるんだっけ。
「寒い?」
「ちょっとな」
 気持ち悪そうに肩を掻いて、それからはっとした顔になって。
「相川、ちょっと鞄持ってくれない?」
「良いけど」
 差し出された鞄を受け取って、何事かと野田くんに視線を滑らせると。
「――ちょっと!!」
 彼はおもむろに、Yシャツを脱ぎに掛かった。
 捲れた裾が、あっという間に持ち上げられる。運動部らしく引き締まった腹筋が目に飛び込んできて叫んでしまった。
「え?」
 上半身裸になった男がYシャツ片手に、怪訝そうな顔を向けてくる。
「脱ぐなら脱ぐって言ってよ!!」
 顔に熱がたまるのが分かる。突然の衝撃に、心臓が逸った。
「あ、悪い。脱いだ」
「見て分かる!」
「相川、鞄」
「は!?」
「鞄、開けて。中にシャツ入ってるんだわ」
 ああ、そう! 着替えるのね!!
 私は乱暴に鞄のチャックを開けて、野田くんが指示する通りにシャツを抜き取った。
「サンキュ」
 表にスポーツブランドのロゴが大きく入った、黒地のシャツ。
 それを着て、片手に持ったままのYシャツをどうするべきか迷うように逡巡して、無造作に鞄に突っ込んで。
「全く……」
 今だに騒ぐ心臓を抱える私なんて知らん顔で、野田くんは満足そうに笑った。
「――あ、相川」
「何」
「雨止んだ」
 嬉しそうに弾んだ声に、そっぽを向いていた視線を上げる。
 濡れた道路に出来た水溜り。そこに落ちるものは何も無く、ただ青空が映っていた。








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