11 白い葉書
携帯電話の普及と共に、手紙が激減したのは当然だろう。
だって携帯メールは数日の隔たりなく、すぐに相手に届くのだ。便箋を埋める為の文字に頭を悩ませる事も無いし、字の汚さなど気にとめる必要も無い。
意志の疎通だって電話より簡単だったりするのだ。
そのかわり無機質なメッセージは何処となく味気ない気もする。言葉ばかりが立派過ぎて感情が置き去りになっているような感覚が間々あった。
それでも便利には違い無く、最近では新年の挨拶すらメールで行うお手軽さ。これならうっかり葉書を買いそびれる事も無いし、出しそびれも防げる。元旦過ぎての年賀状には、「こいつもしかして俺の事忘れてたんじゃねぇだろうな」等という疑惑を持ってしまうが、これも防げるのだ。
社会人にもなればメールで済ませられないような相手も勿論居るが、それでも年賀状を作成する労力を削減できるとなれば重宝する。
そういうわけでもうここ三年程は例にも漏れず俺は、世間の流行に便乗して携帯メールで済ませてしまっていた。
ああ、でも例外が一人。
毎年、彼女にだけは。
何時も結局伝えたい気持ちの一つも語れず、干支のイラストのスタンプと【あけましておめでとう。今年も元気にやってくれ】なんて、悩んだ挙句同じ文言を記した。メールアドレスは知っていたし、他愛無いメールの遣り取りもあった。実家に帰省すれば決まって遊ぶ集団の中に居る。それなのに、彼女に対しての年賀状だけは欠かさない。
出会ったのは小学生の時。同じ学区内で、登校の班が同じだった。同じクラスになったのは中学になってではあったが、顔を合わせればそれまでも挨拶を交わした。
――初恋の相手だった。
今年24になる俺は、恋の一つや二つもしたし、結婚してもいいかもしれないと思う女も居た。それでも初恋というのはずっと心に居残るのか、彼女の事はずっと頭の片隅に引っ掛かっていた。帰省の度、仲の良かった連中と一緒に彼女と遊んだが、そうするとやはり彼女を「ああ、いいな」「やっぱり好きだな」なんて思う。
そしてそう実感する度、今年こそは彼女に想いを告げようと思って、筆を取るのだ。白い年賀葉書を睨んで、たった一言を書く為に何度も何度も葉書を駄目にして、結局は勇気足らず何時もの文言で終わる。
でもその習慣も、今年で終わりだ。
葉書を購入したのは一週間前。やっとの思いで「好きです」の一言を追加した年賀葉書は手元にある。投函ポストに明日、入れようと思っていた。
懐かしい友人からの電話は、仕事を終えて帰宅した夜。
『久し振り』
と、少し疲れた声が、それでも元気に言った。
しばらくお互いの近況を交えた後、彼が続ける。
『そういえばさ』
「うん?」
『佐藤双葉居るじゃん?』
その名前にドキっとする。中学の同窓である友人は、彼女の親友の彼氏だった。二年程前にその親友と結婚して今は一児のパパだ。地元で暮らす彼らの家に、彼女は頻繁に遊びに来るのだという話を聞いた事はある。
『あいつさ、年明けたら結婚するんだって』
相手がどうたら、と、友人は面白そうに言う。けれどその言葉は俺の耳を右から左へすり抜ける。
一拍置いて、信じられない気持ちで呟いた。
「え?」
『だから、結婚』
できちゃった結婚だって。あいつも母親だよ。
結婚の二文字が、頭の中で踊っている。
続いて浮かぶのは、彼女の笑顔。顔をくしゃくしゃにして、本当に楽しそうに笑う、子供の頃から変わらない笑顔。出逢った頃の小学生の姿。赤いランドセルを背負って登下校していた頃。セーラー服に身を包んだ中学生の彼女は、どんどん女の子らしくなった。短かった髪を伸ばし、化粧を覚え、進学校へ進んだ。高校を卒業して短大へ入り、会社へ勤め、地元一の企業の受付嬢になった。それでも、子供の頃から変わらない笑顔。
「結婚?」
『そうだって』
この友人にも、俺が彼女を好きだった話はした事が無い。初恋なんだって言うのは照れがある。そんな相手を今でも好きなんて、一途だなんだとからかわれる気がしていた。
俺の気持ちを知らない友人は、感慨深そうに昔を振り返る。
けれどそんな話は、申し訳ないが俺の記憶に留まる事がなかった。
どうやって電話を切ったのか分からない。
ただ気付いた時には電源の切れた携帯を片手に、ぼんやりと座っていた。
見ていたお笑い番組も、何時の間にかニュースに変わっていた。
リモコンを操作してテレビを消すと、その黒い画面に自分の顔が映った。茫洋とした、情けない顔をしている自分が。
滑稽だと思った。
初恋を引き摺り、やっと告白しようと思った所でこの様だ。
机の上の、明日投函しようとしていた葉書の束を手に取る。数枚捲れば、他とは違って丁寧に書かれた緊張気味の自分の文字が【好きです】と綴られている。
滑稽だと思った。
想いを伝える前に、振られてしまった。そして永遠にその機会は得られない。
彼女は幸せになるために結婚する。子供を生んで母親になる。旦那と寄り添って生きていく。
もしかしたら、なんて希望が儚く霧散する。
笑えた。
そして、泣きたくなった。
思わず力の入った手の中で、彼女への葉書がくしゃくしゃになった。
これは出せない。
無残な告白だ。どうにも出来ない。
そんな事は分かっていたけれど、丸まった葉書の中に取り残された自分の想いが、行き場を失う事がやるせなかった。
買い残った年賀葉書を引き出しから取り出して、彼女の宛名を書き直した。
他と同じように、今年の干支のスタンプを押して、何時もの文言に【おめでとう】を足そう。
毎年出していた葉書を、今年だけ書かないなんておかしい。だから今年も、友人として年賀状を送ればいい。
それなのに白い面を見下ろし、ただ固まっていた。
彼女の姿が、記憶から蘇って視界を埋める。
子の気持ちが芽生えたのは、今でこそ思うと小学校3年生の頃だった。その頃の俺は同級生の中で、その小さな身長に似合った幼稚さが目立った。恋愛なんて興味を持たず、女の子を好きだ何だと騒いだりからかったりしている生徒を見てませているなと思っていたぐらいだった。そのませた同級生が彼女を好きだと公言するのを聞いて、「こいつは嫌いだ」と漠然と感じた。思えばあれは嫉妬だったのだろう。中学二年生になってやっと伸びた身長に合わせて俺の意識も変わり、彼女に彼氏が出来たという話を聞いて自分の思いを自覚したけれど、彼女はその彼氏と高校生になっても付き合っていて、どうにかこうしにか折り合いをつけて俺に彼女が出来た頃、彼女はその彼氏と別れた。その後も何度か同じような事があって、タイミングが合わなかったというのもあったけれど告白の機会を逸した。友達としての関係が心地良かった事もあっただろう。二十歳の同窓会、酔いに任せたように彼女が「高校の頃に好きだったよ」と微笑みながら教えてくれたけど、当時の俺は二年間付き合った彼女が居て、胸は躍ったけれど過去の話だと律して、「それは知らなかった」と笑い返す事しかしなかった。
もしもあの時、「俺も」と答えていたら。
もしもこの想いを自覚した時に、「好きだ」と言えていたら。
もしももっと早くに想いを伝えていたら。
それこそ、もしも。
今頃、俺達は――。
全部、もしもの話だ。
例えばの話だ。
白い葉書を見下ろし続ける。
書きたい言葉が、浮かばなかった。
くしゃくしゃにまるめた葉書を、広げ直す。ごわごわとした紙を、手でならす。それと真新しい葉書を並べてみる。
「好きだ」も「おめでとう」も、相応しくないと思った。
彼女の笑顔を思い出し、ただ、言うとしたら。
「君が今、笑っているならいい」
あの、何もかもが楽しくて仕方ないんだという、満面の笑みで、笑えているならいい。
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title by 悪魔とワルツを - 悲しみ方、人それぞれ
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