19 道端を飾る花


 何時か英雄が歩いた道に、毎日誰かが花を供えていく。
 祖国を勝利に導く為に戦地へ赴く英雄が、白馬に跨って行過ぎた長い長い道――。
 私は自宅のベランダからそれを眺めて、胸の痛みに窮する。
 
 彼の死を悼む花は道端を美しく飾るけれど、私にはそれが苦痛でしかない。
 「英雄になんてなりたくない」と泣いていたあの人を思い出す。


 出逢った頃の少年時代、彼はただ、年の離れた弟を溺愛する鍛冶屋の息子だった。私もまた年の離れた妹をそれなりに可愛がってはいたけれど、それを遥かに凌駕する溺愛っぷりだった。長身痩躯の線の細い美少年であった彼はそれとは反対に豪胆な性格の持ち主で、無骨な造りの弟はこれまた正反対な繊細な性格を持ち、何時も兄の背中に守られているような子供だった。
 泣き虫な弟は、それでもその年代の子供が憧れるように伝説の英雄の話を兄にせがんでは、「英雄になりたい」というのが口癖だった。

 今でも、鮮明に思い出せる。

 弟の夢を叶える為に、彼は剣を持った。自身の技術を弟の糧に、と、それだけを願って一心不乱に剣を振っていた彼の、次第に長くなっていく影を、私は何時も自宅のベランダから眺めていた。
 そんな努力家の彼だったからか、その上達振りは目覚しく、非凡なる才能が明らかになると、彼は騎士として戦争に臨む事になる。
 あれよあれよという間に、彼は英雄と呼ばれるようになっていた。
 けれど周囲の羨望が高まる程に、彼は笑顔を失った。
 その理由を私だけは正しく知っていた筈なのに、私は何も出来なかった。
 やがて騎士になった弟が、兄と比較される事で潰れ、騎士への夢を絶って鍛冶屋を継いだ時――その弟に嫁いだ私の妹は、大きな瞳を涙で濡らし、嘆いたものだ。
「神様はひどい。彼が何をしたというの」
 何処にいるかも知れない存在を恨んだ所で事態は好転する筈も無いのに、しかし妹はそうするしか術が無かった。
 誰かが何をしたわけでもない。
 兄も兄で、弟も弟で。
 強いて言えば運命の悪戯とでもいえばいいのか。
 そんな風に笑ってみたとして、自嘲にしかならない。
「英雄になんてなりたくない」
 そう零して大戦に赴いた彼に、私は何も言えなかった。


 戦は大勝を治め、彼は真実、英雄になった。
 凱旋は華々しく、街を活気付かせた。
 誰もが光りの隅に蔓延る、影に気付かなかった。


 英雄になりたがった弟は心を病み、英雄を殺す事で己の安寧を計った。
 そうして英雄は、死を受け入れる事で、英雄の名を拒んだ。



 だから、私は私の夫を、けして英雄とは呼ばない。





「英雄になんてならなくていい」

 夕闇の中、剣を振るっていた幼い少年。
 白馬に乗って、遠い戦地へ消えた彼。
 二つの影がゆらり、ゆら。重なりながら離れながら、揺れている。
 私は何時も、自宅のベランダから、彼を眺めて呟いた。


 道端を飾る花を見ると、彼を思い出す。
 英雄なんかじゃない。
 子供のように泣きじゃくった、彼を。





関連作 : 「彼の世界を変えるひと」





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