03 きのうの夜のこと

取捨選択の自由」の、前夜の彼の話。



 明日は金曜。一週間の忙しかった仕事に、やっとけりがつく。持ち帰った作業をパソコンで終え、首を揉みながらリビングに入る。
 リビングのソファでは、母親が読書に夢中――かと思いきや、俺に気付くと母親は読んでいた本を閉じた。ブックカバーは本屋のそれだ。既に部屋の本棚は蔵書で溢れているのに、またコレクションを増やしたのか、とは言えない。俺も同じ穴の狢だからだ。
「ねえ、良太。あなた、今彼女居なかったわよね?」
「……居ない」
「どれくらい居なかったっけ?」
「……3年?」
 指折り数えて、経った月日に感慨を覚える。当時から仕事優先で、他に好きな男が出来たとふられたのが最後。
 母子家庭の一人息子である俺は、32歳になっても独身で母親をそれなりにヤキモキさせているのだろう、と思う。
「そう。ところで、私の同僚の常盤さん、覚えてる?」
「ああ。覚えてるよ」
 うちと同じような家庭で、同年代で、酒飲み同士で、肩書きも同じ。母の仕事関連の話では時々聞く名前だった。
「あなたより2歳下のお嬢さんが居るんだけど、調度良いからお見合いしてみない?」
 冷蔵庫にあった牛乳パックにそのまま口をつけて飲み下そうとしていた俺は、盛大に噴いた。
 何時もなら、ちゃんとコップに注いでいるんだ、言っとくが。誰への言い訳か知らんが。ただ今日は、手に取った時の重さで飲み切ると考えたから、だ。
 兎に角霧のように舞った牛乳は床に飛び散り、俺は噎せて体を折った。
 激しく咳き込む息子を無視して、母親は話を続ける。
「まあお見合いって言っても、四人で普通に飲みましょう、みたいな? 料亭で、後は若いお二人で……なんてやんないからさ」
 何が楽しいのかけたけた笑い、常盤さんは綺麗だからきっと娘も可愛いわよーなんて言っている母親を、俺は生理的な涙目になって睨んだ。
「馬鹿言うなよ」
 顔の造詣にはそれ程五月蝿くないつもりだ。というか、常盤さん自身の美人度も知らないし、万が一別れた旦那に似ていたらどうするというのだ。旦那が不細工かどうかも知らない話だが。
「見合いとか興味無い。今は仕事のことしか考えられないし」
 その仕事人間の所為で、幾度女にふられたか。仕事と私とどっちが大事なのか、なんて質問、ドラマや小説の中でしか聞かないと思っていたのに実際そうやって問い質されると、恋愛脳な女共をうんざり思う気持ちしか湧かなかった。満足される返事がどちらかなんて分かりきっていたが、言った所で状況が変わるわけでもなし。
「仕事と恋愛を天秤にかけて、仕事を取るのは当然でしょう。でも、仕事の事ばっか考えてるのは、あなたが相手に大した気持ちを持ってないからでしょ?」
「……」
 無言は肯定と同じ、とは分かっていても、図星をさされて二の句を継げなくなる。
「常盤さんとこのお嬢さんも、似たようなものらしいわよーあなたと。付き合うとか結婚とかは置いといて、馬は合うと思うわけ、母親談義の結果としては」
「あーそうかい」
 こういう時は話を畳むに限る。
 床に飛び散った牛乳を拭き取りながら、俺は憮然と言った。
「だが断る」
 しかしその応えも、母親の予想通りだったのだろう。
「私のコレクション、絶版の本多いじゃない」
「……それが?」
 何時の間にかキッチンへ移動してきた母親が、床に蹲るオレを見下ろしていた。にたり、と悪巧みを目論むように笑うその顔は、年齢にそぐわず若々しい。
「あなたの好きな本、譲ってやっても良いなあとか」
「……」
「だから、付き合うとか結婚とかは置いといて」
 大事なことだからもう一度言うけど。そう前置いて、
「付き合うとか結婚とかは置いといて」
 母親の本棚には、宝が眠っている。ネットオークションでは有り得ない値がはるものもしばしあり、その内容も洋書や学問的なもの、恋愛、ミステリー、歴史もの、等とジャンルも多岐に渡る。
 母親の影響で、俺も無類の読書好き。かつ、気に入った作者の作品は全て揃えたいコレクター体質も譲り受けた。あと一冊でコンプリート、という作者の絶版された本の持ち主が母親であった為、高値のネット取引を躊躇しているところに、この提案だ。
 自分の本棚に、その一冊が加わる。
「とりあえず、会ってみない?」

「会う」と即答して、結果如何は問わないという約束を取り付けて、母親が約束を反故にする前に自分の部屋へ引っ込んだ俺は、壁一面に設置された本棚を眺めて、にやつく頬を押さえられないでいた。
 常盤何某には悪いが――というか、相手がどんな心積もりかは知らないし興味が無いが、会うだけ会って、適当に話して、それで終わりだ。
 顔だけ出して、電話がかかってきたふりでもして席を立つのでも良いか。母親達の会話に相槌を打って、適当に流して、帰る。
 面倒ではあるが、それでこの本棚の、ここに。俺は母親に譲ってもらう算段の本を、発売順に並んだ本の隙間に思い浮かべる。

 ――まさか翌日に早速場を設けられて、相手がチーズケーキに釣られて来たなんて事実を知るとは想像すらしてなかった。




関連作 : 「取捨選択の自由」





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