01 荒廃と再生



 仕事とは様々なもので、夢を叶えて好きな職に就いた者も居れば、趣味と実益を兼ねている人間もいる。一方生活の為、単純に条件を重視する場合もある。大義を掲げる者あらば、その日暮らしの者もいる。
 しかしどんな職業に就こうと、職場環境や人間関係は無視出来ない。
 俺は大学卒業後、大きな展望も抱かずとりあえず就職した口だが、この会社に骨を埋めても構わないと思えていた。
 明るい同僚達に、綺麗なオフィス。充実した福利厚生。そこそこの給料。パワハラもセクハラも無縁で、縦の風通しも良い。新人も長く居付き、寿退社も育休休暇もどうぞどうぞと言う雰囲気だった。
 ――ある日までは。
 その日、を境に、職場の空気は一変した。
 別に、特別何があったと言う訳ではない。新規で大きな案件が飛び込み、連日の残業に嬉しい悲鳴があがったところまでは良かったのだ。
 しかしその後も舞い込む案件に人手も時間も足りず、職場は地獄と化し屍が蠢く四面楚歌へと変貌した。
 新人への常套文句の『慣れれば楽』も空言にしかならず、入ったそばから離職の嵐。気付けば元々び人員で数倍の業務をこなす日々に、笑いも嘆きも枯れ果てた。
 ここは荒野か砂漠かと思う程、朝から職場は殺伐として。

 憂鬱な気分を朝から抱え、溜息を吐きつつ出勤する毎日。

 ――おや?
 と首を傾げたのは、オフィス階のあるフロアにエレベーターを降りた時である。
 幻聴かと耳を疑う明るい笑い声が聞こえて来る。数年振りのことでは無いか。
 訝りながらも自然と歩調は速くなり、半ば駆け込む勢いでオフィスに入った。
 するとやはり現実に、仲間達が楽し気に談笑していた。相変わらず目の下にはくっきりとクマを浮かべ、永久記憶の如き寝癖を晒している者もいる。
「……おはよう」
 控えめに声を掛けながら自席に鞄を置くと、気付いた後輩が弾んだ声で呼ばわった。
「長野さん!」
 嬉々として駆け寄って来て、言う。
「聞いて下さいよ〜!」
「……なんかあった?」
 一瞬何かリテイクでもあったかと胸をひやりとさせるが、彼等の表情からはそうとは思えない。
「いや〜、朝の電車ですっごい美人と遭遇しまして!」
 後輩の飛島は疲れが滲んだ顔を紅潮させている。よれた襟元を宥める為に肩を叩いたついでに直す。
「今時珍しい大和撫子風の、黒髪が似合う美人でして! その子の髪が、俺のスーツのボタンに絡まってしまって」
「あー成程」
「降りる駅が近付いて来て焦りましたよ〜。いや、まあ俺は乗り過ごしちゃったんですけどね。その所為で彼女がえらく恐縮して、後日お詫びをと連絡先を交換しまして!!」
「俺の話も聞いて下さい、長野さん!!」
 飛島を押し退けるようにして手を挙げるのは、ここ数年眉間の皺が定常化しつつある牧田だ。
「電車の隣の席に座ってた女子高生が、俺の肩で!! 寝てました!」
「……お、おう。そうか」
「いい匂いでした!」
「えー変態! 牧田変態! ねー、長野先輩!」
「そ、そうだな……」
 妙なテンションで、早朝の通勤での出来事を披露している仲間達。まだ頭はついていかないが、久し振りの和気藹々とした雰囲気に気持ちが和んで来る。
 内容は兎も角として、活気が出るのは良い事だ。
「それなら、私も! これから部活なんだろうジャージ姿の男子高生二人がね!! 頬寄せ合ってスマフォを覗いてたの! ふふ、わりとイケメンよ? あれは、何かある匂いがぷんぷんしたね。付き合い立てか、その直前ね」

 ――……内容は兎も角として。
 
「いや、斎藤さん。それはなんか違くない?」
「なにがよ。同じでしょーがよ」
「いいですよねー、男子高生。まだちょっと初々しい感じの。空気感隠せないと言うか、隠す気すらないと言うか」
「そうそう!」
 もう長い事、定時よりも早く出勤しての、残業しての。
 休日出勤も当たり前、休日前の飲み会なんて儚い夢。雑談などできる空気もしたい人間もいない、そんな日々だった。
 それがみんな、なんて楽し気なことだろう。
「良くわからんが、みんな朝からいい事あったみたいで良かったなあ」
 一人縁側でお茶を飲むような心持ちで頷いたら、満面の笑みが振り向いた。
「って言う、妄想です!」
「……は?」
「「「妄想です!!」」」
 見事に揃った声で、言う。
「……」
 言葉を失った俺に構わず、彼らの話はまだまだ続く。

 ――わりと彼らはしぶとい。まだまだ大丈夫だろう。多分。








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