信じない女 03 美咲は、素直な女だ。 そして、真面目な女だった。 男を押して押して落とす猪突猛進なオンナだが、その実慎重に、相手の態度を見ながら引く所は引いてみせる。逆に引き際が良すぎるくらいだ。 毎回という程付き合った数が多いわけではないが、彼女の恋愛は相手に別れを告げられて終わる。追い縋る事をしないのは、彼女自体が数ヶ月前から別れの気配を感じている所為だが、周りから見れば潔すぎるのだろう。 別れた次の日に笑顔を見せるのは強がりでしかなかったが、周りは俺と同列に「去る者は負わない主義」と見た。 特に三年もの長い間付き合っていた彼氏に振られた翌日に、同僚が主催するという合コンの参加を嬉々として受ける様子は、切り替えが早いにも程がある。 始業前の会社でそんな会話をしていた美咲たちを、俺は主任との打ち合わせ中に聞いていた。 ただの空元気だと何故気付かないのだろう、と舌打したら、何を勘違いしたのか主任が「機嫌悪いの?」なんて問われた。 機嫌が良いか悪いか、と言われたら、頗る良い。 昨夜長年の想いを告げた俺の胸の内は晴れやかで、それが本人に正しく伝わっていないとしても、充分満足していた。告白するのが目的じゃないのだから、それはいいのだ。 美咲の反応は尋常じゃないくらいで、昨夜帰り際に電話をした時なんかは、うろたえ振りが分かり易くて笑えた。 会議を終え美咲達の会話に混ざった時も、美咲は身構えた。その後夕食に誘った時も動揺を見せ、新人の歓迎会となった就業後の飲み屋でも、俺を意識しているのが分かった。 俺の何時も通りの態度を怪訝に思っていただろう。 平静を保つ俺の背中に張り付く美咲の視線を感じる度、高揚感は増した。 今、美咲の頭の中は俺への疑問で一杯だろう。素直な美咲がストレートに俺の言葉を受け止める事も、真剣に悩む事も知った上で、だから俺は、美咲を無視した。 元彼の事を思い出す暇もないくらい、俺の事を考えればいい。 怒りでいい。気持ちが昂ぶれば昂ぶる程に、俺の告白は重く圧し掛かる筈だ。冗談だと思い込もうとする程に、あの夜を何度もリプレイするだろう。 無かった事になんてさせない。 簡単に、振られてなんてやらない。 真剣に告白すれば、真剣に振られるだろう。 「友達以上に思った事ないし、思えない」 ――そんな風に、美咲は考える余地もないくらいきっぱり告げて、杞憂を捨てた後は、何もなかった毎日に戻ってしまう。 それだけは御免だ。 彼女のペースには乗らない。彼女に準備期間など与えない。 悶々と悩み、俺を意識し続ければいいのだ。 例え俺に恋情を感じなくても、俺の告白を、一生忘れないくらい、何度も思い返せばいい。 そして俺は何度も同じ事を繰り返す。 彼女が俺の心に馴染んでいくように、一歩ずつゆっくりと、彼女を絡め取る。 だから、今は信じなくていい。 数日も経てば、初日程の動揺は見せなくなっていた。 美咲は時々何か言いたそうに視線を寄越したが、その度に俺が「何?」と知らん顔をすれば、「別に」と不機嫌に顔を背ける。 仕事中の美咲は聞き分けの悪い部下ではあったが、仕事振りは真面目で、本人を目の前にしては誰も言わないが、俺も主任もチーフ達も、彼女には大いに期待していた。 特にデザイン会社に勤務していた経験がある美咲は、同じパソコン仕事だとは言っても畑違いだと嘆くものの、技術に溺れて使用者の利便を忘れがちな俺達にとって、彼女の意見は有用なものが多かった。 別に友人だから優遇しているわけでは無いのだ。 他部署からはそんな風に揶揄される美咲を、俺達は十二分に信頼していた。 何かと風当たりの強い美咲を、だからと言うわけではないが、皆無駄に構う。振られたばかりという状況も手伝って、毎日のように夕食に誘われていく彼女を、俺も二週間誘えないままだった。 やっと飲みに誘えたのは、ゴールデンウィークに入ろうかという四月の終わりだ。 五日間のゴールデンウィークは俺達にとっても天国で、部署の多くは旅行を予定しているようだった。 元々彼氏がいる予定だった美咲は、ゴールデンウィークなど無いに等しいオトコと過ごす為に予定を入れていなかったので、完全なフリーである。 飲みの合間、俺は友人の顔で美咲に聞いた。 「そういやお前、ゴールデンウィークどうすんの?」 「ん、出かけるよ?」 この時にはもう、美咲は大袈裟な反応を見せなくなっていた。邪推してしまえば、俺がデートにでも誘いそうな問い掛けだったが、完全に普段通りの会話だった。 「哲也は?」 「俺も適当に? で、何処行くんだ?」 「えーとね、とりあえずバーベキュー。誘われたから、車出してあげることにした」 「……誰と?」 美咲の交友関係は把握しているが、大学を卒業して以来、アウトドア派の友人達とは疎遠になっていた筈だ。不定休の職場に勤めていたから、中々休みが合わなかったのだ。それは俺も同じで、友人との付き合いは飲みに行くくらいのものになっていて、それ以外の休日の過ごし方はほとんどが職場の連中相手か、一人遊びと決まっていた。 だから出かけるといっても、買い物か映画館くらいのものと勝手に推測していた。 「神田君。神田花君と、その仲間達。近場でやるっていうから、どうせなら山に行こうって提案したのさ。皆喜んでくれてねー」 久し振りだからあたしも張り切っちゃって。今から楽しみなんだー。 弾んだ声音で、美咲は出会ったばかりの高校生の話をしてくる。電車で乗り合わせる度に会話をしていたら、その友人達とも仲良くなった、と。 そんな話は初耳だ。 「何人」 「は? ……えーと、神田君に、たっくんに、かんちゃんに、愛子ちゃん――七人?」 あ、あたし入れて八人か。何とも楽しそうに笑う。 一応オンナの名前も入っていたが、推測するにそこにオトコも半分混じっているだろう。 幾ら高校生とはいえ、美咲のタイプの、美咲に頼るタイプのオトコが一人くらい居てもおかしくない。 「高校生に混じる気か」 「だって、ぜひにって誘われたし」 「社交辞令だろ!」 「あによー」 俺の不機嫌に合わせて、美咲の態度が硬化するのが分かる。 「おばさんが一人混じってたら、そいつらも気を遣うんじゃねぇか? 迷惑だろ、普通に考えて」 「そんな事ありませんー」 「それに、車ってお前の家のやつ? あれ七人乗りだろ」 「何とかなるわよ」 「荷物もあんのに?」 「……大丈夫!」 少しだけばつが悪そうに視線を落とした後、ガッツポーズを作る仕草が、思いの外可愛いとか、そういう場合じゃねぇんだけど。 「あほか。事故にでもあったら、親御さんになんて言うんだ」 「何よ、心配性ね。大丈夫だってば!」 「その神田とやらに、言っとけ。俺も車出してやるから、割り振っとけって」 「……はあ?」 「保護者がお前一人じゃ危険すぎだ」 何言っちゃってんの。美咲が呆れた顔で肩を竦める。 その顔を睨みながら、俺は言った。 「あのさ、好きな女がガキとはいえ男と遊びに行くのは面白くないわけ」 本音半分言うけれど、美咲は思った程の反応はしてくれなかった。 「はいはい。あんたもバーベキューしたいわけね、要は」 完全にペースを取り戻した女は、歯牙にもかけない。 「神田君に頼んどいてあげるわよ。予定の無い寂しい男がどうしてもっていうから、参加させてあげてって」 ――そうだった。 実際美咲は、切り替えも早いのだった――。 Copyright(c)2011/02/22. nachi All rights reserved. |