「わたし」の話。


 わたしは、内気で気弱で、コンプレックスの塊だ。何もかも自信が無くて、人の目ばかり気になって、言いたい事の半分も口に出せない。
 昔からそうだった。何を言っても怒られそうで、嫌われそうで、人の顔色ばっかり窺っていて、言葉を濁して笑っていれば大抵の事はどうにかなったけれど、それは虚しくって、人間関係も上っ面ばっかり。
 それが嫌でたまらなくて、でもどうする事も出来なくて。

 そんなわたしだから、多分、あの人に惹かれた。憧れた対象が男の子だったから、それが恋愛感情に直結したんだと思う。

「早苗、またケンの事見てるー」
 と。友達の美香のからかい混じりの言葉を受けて、わたしははっとした。慌てて否定しようとする前に、ルイが話に入る。
「またぁ?」
 にこにこ、とかニヤニヤ、とかそんな生易しいものじゃなくて、明らかに侮蔑の篭った視線を受けて、わたしは下を向いてしまう。
「違う、そんなんじゃ……」
「いい加減、諦めなさいよねぇ」
 あんたじゃ釣り合わないんだからさ、と容赦の無い笑い声。
 何時も行動を共にしているクラスメイトの美香とルイは、ギャル系の女の子。お洒落が大好きで、自分に自信があって、何にも物怖じしないクラスでも目立つタイプ。
 中学から仲の良いという二人は、入学当初友達を作れずにいたわたしをグループに誘ってくれた。それはとても嬉しかったのだけど、明らかにわたしとはタイプが違う。話の内容も洗練されていて流行に敏感で、わたしは付いていくのがやっとだ。
 半年も経った頃、わたしは彼女達の中での自分の立ち位置というのを悟った。パシリ、とは言わない。引き立て役、とまでも言わない。だけどあきらかに格下だと馬鹿にされている。
 そう思ってしまうだけかもしれない。
 彼女達は明け透けで言葉に容赦が無いから、わたしの鈍さを「グズ」と呼んだり、内気さを「暗い」と笑ったり。
 意図して言っているわけでは無くても、わたしは傷ついてしまう。
 傷ついても、何も言えずに笑ってる。「酷いなぁ」って笑っていれば、済んでしまう。
 けどそうしていたらいつの間にか、クラスの皆がわたしに対して彼女達同様の態度を取るようになった。
 でも、しょうがないと思う。
 しょうがない、と。
 自分が悪いんだからって。
 そう感じながらも、心の中で彼女達を非難しているのだ。
「大体、ケンがあんたなんか相手にするわけないんだからさ。あたしらだって、駄目なのに」
 身の程知らず、と真っ向からの瞳に言われているようだ。
「だから、あんたに似合った男、紹介してあげるわよー」
「三組の遠野とかいいんじゃない? ネクラメガネの」
「あたしだったら絶対パスー」
 何が楽しいのか分からない会話。見た目で人を判断して、こき下ろして、自分が優位に立とうとして、浅はかでみっともない。嫌な会話。
 そう思いながら言えないから、
「えへへへ」
って、意味もなく笑っている。
 相手にされていない、なんて分かっている。
 でもそれは美香もルイも一緒。立場は同じじゃないって、むかっときて浮かんだ言葉を口に出せない。

 わたし達が話題に上げている相手は、高橋健という同級生の男の子。バスケ部の期待の新人で、格好良くって、学年一モテルと言われている男子だ。
 なのだけど、女の子に興味がなくって、冷たい。態度はつっけんどんで、無意味に人を睨んで威嚇しているようでもある。
 わたしとしては、怖くて近寄りたくない人だった。どうせ釣り合わないなんて事は分かっているし、それ以上に、見た目にコンプレックスを持っているわたしからしたら、モテルからって調子に乗っていて、偉そうで、嫌な人っていう勝手なイメージを植えつけていた。
 見た目で人を判断しないで、って心の中で訴えている自分が一番、相手に対してもそうだった。
 モテル=自分が優位だと思っている、だとか。目立つ人=わたしをバカにしている人、とか。格好良い=わたしとは世界の違う人、とか。
 そうやって意識しているからこそ、彼が人目を引くとか以前に、わたしの目も自然に彼に向かってしまう。
 だからこの時までは、本当に。恋愛感情抜きに――そう、羨ましくって妬ましくって、目がいってしまっていたのだと思う。

 だけどひょんな事から。

 高橋君に対してのイメージが変わった。



 用があるから代わりに、と押し付けられたクラス全員の提出物。当番の女子は明らかに、ただ面倒だったのだと思うけど、断れなくって「いいよ」なんて言ってしまったわたし。たかが職員室に届けて帰ってくるだけなのに、なんて受け取ってしまってから思っても仕方が無いからため息しか出ない。
 たかがプリント用紙、全員分といってもそう重いものではない。だけどそれがとても重く感じてしまうのは、気分故だろうか。
 とぼとぼ、廊下を歩むわたしの足は普段以上にのろい。
 無駄に廊下の端っこを歩いてしまうのも、視線を俯かせて歩いているのも、気弱さ。何時もの事。こんなちょっとの事でも、自分の情けなさが嫌になってしまう。
 きゃははは、とどこかの教室からは明るい女子生徒の笑い声。何がそんなに楽しいのだろう。わたしは何時からあんな風に笑ってないだろう。
 そんな事にもため息。
 窓の外に視線をやれば、空は快晴。朗らかな秋の空。わたしの心は憂鬱なのに、憎らしい程綺麗に澄んだ空。
 そんなどうしようもない事にもため息。
 暗い気持ちで階段を降りていると、逆に上ってくる男子生徒の集団。
 話しているのは他愛も無いゲームの話なのに、これもまた楽しそうで羨ましい。肩を叩き合ったり、小突きあったり、からかったり。わたしと美香達も同じ様な行動を取っているのに、彼らはとても自然だ。
 そんな彼らが幅を取って上ってくるから、もっと端に寄って歩いてよ、とか、妬み半分思ってしまう。
 思っても口に出す所か顔にも出せないから、俯いた顔をさらに下に向けて、わたしは出来るだけ端に寄る。それこそカニ歩きをするような形。
 そんな不自然な格好だったからか、斜めになった腕の中からプリントが落ちてしまった。
 ばらばらと階段を滑り降りていくそれを見て、声も無く固まってしまう。
 ああ、ついてない。
 ついてない、ついてない、ついてない。
 当然の様に誰も手伝ってもくれない。あーあ、なんて今しがた通り過ぎて言った男子達のあきれた声が背後に聞こえる。
 もしこれがルイや美香だったら、別に当たったわけじゃないけど彼らのせいにして怒って手伝わせそうだな、とか。
 わたしがもう少し可愛ければ、社交的であれば――綺麗だと噂の菅野さんだったら、頼んでもいないのにあっちから手伝ってくれるんだろうなとか。
 そんな埒の無い事を考えてまた憂鬱になっている自分が嫌になりながら、わたしは慌ててプリントを拾い出す。
 上ってくる人、降りていく人は迷惑そうな顔。あからさまに舌打ちしてくる人には泣きそうになる。
「すみません」
謝る声すら小さくて、か細くて、こんな事すら躊躇ってしまう自分が嫌。
 常に自分の行動を後悔している日常。
「日下部、お前ら手伝えや」
 ふいに、視界に無骨な手が映る。紺地の学生服の袖、その先の指が、落ちたプリントを拾う。
「あー?」
 予想外の展開に思わず顔を上げると、素早くプリントを集めてくれている男子生徒の姿。
「俺ら、当たってねぇよ?」
 下方の高橋君が、階段上、恐らく先程の男子集団の一人と話している。
「おめぇらが広がって歩いてっからだろーが」
「えぇ〜?」
「いいから拾え」
 唖然とするわたしを無視して、交わされる言葉。無駄に響く声。
 何かモメ事とでも思ったのか、不思議そうな視線が集中しているのが分かる。
 文句を言いながらも高橋君に促されるようにして、男子集団がプリントを拾い出す。わたしもはっとしてプリント集めを再開すると、程なくして全て回収し終わった。
 信じられない気持ちでいるとわたしの腕に高橋君が皆から集めたプリントを乗せてくれる。
「ほら」
と、素っ気無いそれに、言葉を発する前に高橋君は傍らを通り過ぎてしまう。
 日下部という名前らしい友人と何事かを話しながら、何事もなかったかのように行ってしまう。
 ありがとう、そんな一言すら喉に引っ掛かる。
 口をぱくつかせている間に、その背中は階段を上り終え、左折して壁の向こうに消えてしまう。
 一度もこちらを見なかった、というか、恐らくわたしが視線を無理に外していたせいもあるのだろうけど、あっけない程のその一瞬。

 そんな些細な、けれどわたしにとっては奇跡に近いその行動一つで、高橋君のイメージは変わった。

 優しくされる事に免疫が無いから、単純だと自覚してしまっても、芽生えた恋心をどうにも出来なかった。
 きっと高橋君本人にしてみれば、既に記憶に無い行動かもしれない。わたしに好意を持っているから、拾ってくれたんだなんて思う程自意識過剰ではないし、むしろ高橋君はわたしの存在なんて知らないって分かってるんだけれど、それからのわたしの心のはしゃぎようったらもう、恥ずかしいくらいだった。
 高橋君の姿を無意識に探してしまったり、高橋君の名前を聞くだけで反応してしまったり、高橋君の話題に耳を欹ててしまったり。
 今までだったら告白の返事に「興味ない」なんて答える嫌味な冷血漢と感想を持ったくせに、今ではそれが、硬派なんだな、とか、真っ正直に答えてくれていい人だななんて思ったり。
 愛想が無い、態度が冷たいなんて嘆く女子生徒が、それでも彼に好意を抱く理由が共感できたり。
 馬鹿みたいだけど、全部が全部素敵な所に見えた。
 特に【放送ジャック】と呼ばれる事件以後は、友人想いで人の目なんて全然気にしない行動力のある所がすっごく素敵に思えた。
 高橋君の周りには何時も人が居て、それも彼の人柄故なんだろうなと、その姿を見つける度にほんわり胸が暖かくなった。現実では彼の周りには気後れしそうな目立つ人ばかりが集まっているからとてもお近づきにはなれないけれど、自分がその傍らで同じ様に集団の中で笑っている姿を妄想したりした。
 近づく事も、話しかける事も、ましてや彼の姿を遠くから見つめる事すら躊躇われる自分だから、告白なんて出来る筈もないんだけれど、どんどん膨らんでいく恋心は、日常を鮮やかに彩っていくようにも感じた。
 現実は何にも変わっていないけれど、不思議な事に毎日が楽しく思えた。
 今日はどんな高橋君が見れるのかな、どんな噂が聞けるのかな、って、そう思うだけでワクワクしたし、何時だって切欠があれば逃げ出したかった学校生活が楽しみになった。

 馬鹿みたいだけど。

 少しでも高橋君に近づける自分になりたいって。
 前向きな気持ちを抱いてから、わたしは少しだけ変わったように思う。



「ねーねー早苗ぇ」
 美香が綺麗に化粧した顔ににんまり笑顔を浮かべて、近づいてきた。わたしの机に乗り上げて腰掛ける、何時もの彼女の行動。
 どうして人の席に座るんだろう、この人。常識無さ過ぎ、とか今まではすっごく嫌悪を抱いたし、そんな風に扱われる自分の机が、まるで自分自身のようで不愉快だったけれど。
 今は、ちょっとだけ寛大になれる。
「なぁに」
「この間さ、男の子紹介するっつったじゃん?」
 携帯をかこかこ操作しながら、とある写真をわたしに見せてくる。
「コレ、あたしの彼氏のガッコの子」
 見せてくるのは派手な外見で、ポーズを撮っている三人の男の子。一番右側がその中でも一番美香好みの、彼氏。真ん中はぽっちゃりめだけど金髪。左側は髪の色はまともだけど、ピアスとか指輪とかがいっぱいついている。
「今度の休み、彼らと遊ぶから。ちょーっとあんたにはランク高いかもしれないけど、狙ってみたら?」
 いちいち嫌味ったらしい言い方。そう思っても、今までのあたしだったら愛想笑いしか出来なくって。嫌だって思っても、当日なし崩しに参加して、それでわたしの態度を怒られるんだろうけど。
「タイプ違い過ぎて、わたしには合わないんじゃないかな?」
 恐る恐る、だけれど。美香の目を見て返事も出来ないんだけど。携帯を凝視して、言葉を選んで、それでもしっかり主張してみた。
 これが精一杯。だけどわたしにしてみれば、大きな一歩。
 心臓はばくばく煩いし、美香の反応が怖くて仕方が無い。無いけど。
「あのあの、何話していいか分からないから、また空気壊しちゃうかも」
 前例を挙げて言えば、一拍あけて、美香が唸る。
「そしたらあんた、三組の遠野とかみたいなネクラメガネがいいわけ」
「えっと……遠野君がどんな人かは分からないけど、少なくともメガネの人は、き、嫌いじゃ、ないよ…」
 どもってしまうのがわたしらしくて情けないけど。スカートを握り締める掌が汗を掻いているのが見っとも無いけど。
「それに前から思ってたけど、なんで、毎回遠野君が出てくるの?」
 沈黙が怖くて、美香の表情が気になって、上目遣いに美香の顔を窺うと、美香は別段何時もと変わらなかった。
「中学一緒だったから、例に挙げやすいんだもん」
 って。なんでもない事のようにあっさり言う美香は、わたしをマジマジと観察しているようだった。
「あんた、どんなのがタイプなの」
 とても質問にそぐわない詰問調の問いかけだったけど、思ったよりはマトモに会話が出来ている事にほっとする。ほっとしついでに美香の顔を真正面から見ていた。
「タイプって……分かんない」
 小首を傾げるわたしに、美香は呆れ顔。
「じゃあ誰紹介したらいいのさ」
「……分かんない」
 少し考えてから小首を傾げて言うと、大きくため息をつかれてしまう。綺麗にネイルした指先でセットした髪を掻き揚げて、少し威圧的な雰囲気を醸して。
 でも、どうしてなんだろう。前に思っていたより、そこまで怖いと感じないのは。
「あんたケンが好きじゃん。だからこの左のなんかさ、ちょっと似た系統の顔だしいっかと思ったんだけど」
「いや……特に高橋君の顔はタイプじゃ……」
「はぁ?」
「ご、ごめんなさい」
「じゃ、何。何なの。誰がタイプなの」
「えと」
「性格で選んでんの? 何、冷たいヤツがいいの?」
「違います」
「じゃ、どんな」
「……分かんない……」
 矢継ぎ早に聞かれると、考える暇も無い。だからぽんぽん、会話が続いているのかもしれない。何かもう頭がパンクしそうになっていて、美香が何を思っているのだろうとか気にしている余裕も無かった。
「何盛り上がってんの、珍しい」
 そんなこんなしていたら外出していたルイが教室に戻ってきて、話に加わった。
「あ、聞いてルイ。早苗のくせして、あたしの紹介にケチつけんのよ」
 うっ。上から目線がまた出た。と卑屈な思いが過ぎった瞬間、
「へぇ、珍しい」
 ルイは楽しそうにカラカラ笑って、
「でっしょー?」
 応じる美香も、にっと口の端を上げて笑い出した。
「ケンが好きだからイヤだっつーんだよ、この子」
「そこまで言ってないっ!」
「あんた、ケンはやめなよ。振られんの分かってる相手、好きでどうする。他に目をむけなさい、いい加減」
 思わず否定すれば、今度はルイが酷い事を言う。いや、その通りだけれども。
「どうせ、あたしじゃ高橋君には似合わない。不釣合いだって分かってるもん……」
 分かってるのに、どうしてわざわざ、わたしを傷つけるのだろう。どうせあたしなんて不釣合いだ。ネガティブな気持ちが沸いてきて、俯くと
「ケンはいい男だけど、早苗には早苗に似合う人がいるんだって」
「そうそう、こいつらかどうかは置いといて」
 美香の手が頭に、ルイの手が肩に置かれる。慰めるように、撫でている。
「――え?」
「まね、あんた何時も本当雰囲気ぶち壊してくれるけども。それはあんたが悪いんだからね?」
「何時も下向いて人の話聞いてんだか聞いてないんだか。笑顔引きつってるし、話振っても適当に相槌打って止めるから」
「……ん?」
「男慣れしてないのは分かってっけど、もう少しヤル気出せ。来たからには」
 二人を交互に見て、わたしは目をぱちくりと瞬かせた。
 なんだか。何だろう。
「っていうか、これ今更言うの何だけど」
「それもそうだよ」
「しかも早苗がこんだけ喋ってんのとか珍しくない? 何時もあたしらの話聞いてるだけなのに」
「確かに。今までは何だったんだって話ね。これが地なのかよ、って」
「人見知りしてんだったら、長すぎだっつーね」
「あたしらももっと突っ込んでれば良かったね。話すの苦手なんかと思ってたわ」
 理解が追いつかない。
「えと、苦手だけども……」
「「面倒くさっ!!!」」
 二人は同時に言い放ったのだけれども、その表情は愉悦に満ちていた。
 けしてわたしを馬鹿にしている雰囲気でもなく、わたしの何時もと違う態度に苛立っている風もなく。
 確かに言葉は乱暴だし、痛い言葉を無造作に投げてくるけれど、今までに感じた程の悪意は無いように思える。
 そう思ったら、肩から力が抜けてしまった。
 行き着いた答えは単純明快。
 全部、わたしの被害妄想――というか、先行したイメージで決め付けていただけなのかもしれない、という事実。
 わたしは二人の上っ面しか見ていなかったのかもしれない。外見だけで、こういう人なのだと決め付けていただけかもしれない。
 人の上辺だけを見て判断して、だから簡単な人間関係しか作れないとそんな風に。



 些細な事で、高橋君を好きになって。多分にそれは憧れだったけれど。
 ただ同じ学校に通っただけ、何の繋がりももたないまま卒業していくだけだとしても。
 わたしは、高橋君が好きだった。

 友達想いで。
 真っ正直で。
 怖くてぶっきら棒で。
 冷たくて、乱暴で。
 時々優しくて。

 彼について知っていることは少ないし、それでいい。

 わたしを前向きにさせてくれた高橋君が、わたしは好きだった。

 彼の目は、わたしを見ない。
 彼にとってわたしは、誰でもない。
 わたしが気弱だろうが、根暗だろうが、オタクだろうが、美人だろうが、ブスだろうが。
 そんな事は彼は気にしない。
 彼にとったら、誰だって等しい。
 結局のところ、そこに憧れて、惹かれたのだ。



 ――これは、高橋君を好きになって変われた、「わたし」のお話。




TOP



Copyright(c)10/04/03. nachi All rights reserved.