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幕間 緋色の椅子にて 1



 その『城』は、雪深い谷間の村に建てられた。
 その国の都より遥か遠くの、国境とは名ばかりの境界線に程近く、針のように尖った山に四方を取り囲まれた――かつては、緋の眼の民の隠れ里であった。
 降り積もる雪に幾度も雪崩を繰り返し、やがて崩れた上に更に雪が降り積もり、里はその度に高度を増し、山頂に近付いた。
 雪は起伏の激しい大地をなだらかに平らげ、失われた針の山に守られていた里への侵入を容易くした。
 侵略者がその里を見出した時、里の民の運命は決したのだ。
 ――やがては侵略者の村となり、その王の弟が村を与えられたのは十数年昔。
 彼が連れた侵略者達によって、村は整えられ規模を増し、『城』が立った。
 『少女』は生まれた時にはもう、侵略者の奴隷だった。

 ルカナート城は円筒のような塔を中心に、分厚い切石を積み上げた横長の長方形をした何とも殺風景な外観をしていたが、その分頑丈だ。
 年中雪を被る屋根に洒落た形は必要が無い。吹雪かない日が珍しい、それ故に、目に美しい外観等望むべくも無い。
 大事なのは豪雪に耐える程に堅固で、内に篭る熱を漏らさぬ事。
 複雑な技術を弄さぬ為に、ルカナート城は一年と経たずに完成した。
 ――その僅かの間に、少女の仲間の多くが姿を消したが、城の誰もがそのような事に頓着する様子は無い。
 少女もまた、それを口にする事は出来なかった。
 城の内部は、外壁に沿った廊下と、その廊下に囲まれる幾つもの部屋で成り立っている。長方形の左右、それから円筒に階段があり、建物は地下を含めて四階建てだ。地下には貯蔵庫や武器庫、それから牢屋がある。
 円筒だけは更に二つ階数があり、そこが城主の居住だと聞いてはいたが、そこへどのように至るのかは少女には分からない。
 少女が動きえる許された区画は、地下の牢屋だけなのだ。思い出したように現れる城主の息子に首輪を引き摺られ、中庭を這い蹲って見れるのは、城から続く回廊の先に、幾つかの建物が繋がっている様だけだ。
 城が建ったばかりの頃――少女の仲間が消えて幾日か後、少女は一度だけ、何所か広い部屋に連れられた。焚かれた香の匂いに、つんと鼻をつく様な奇妙な匂いが混じっていた。
 少女が鼻を引く付かす間も無く、少女の飼い主は首に繋がった鎖を乱暴に引いた。喉を潰されてからというもの、彼女の口は呻き声しか発しない。その様を飼い主である情趣の息子は、さも楽しそうに眺めている。
 両足に繋がった小さな鉄球が、床の起伏に躓いて五月蝿い。
 凍えた剥き出しの手足には、幾つもの擦り傷が出来た。
 少女が痛みや冷たさに呻けば、少年は満足そうに笑う。
 そしてやはり、容赦の無い力で鎖を引いて、少女を引き摺るのを止めなかった。
 年の頃は、少女より少年の方が少し、若かった。少女が彼に引き合わされたのは、彼がまだ四つか五つの頃。世話係を命じられた当時少女の声は健在で、小鳥の様に清廉な声で歌えば、少年はそれを喜んでせがんだ。
 けれど一年も経たぬ内、少女は鎖で繋がれ、無体を強いられるようになった。喉を潰され、暖炉の焼き鏝を身体で受け止める位はまだ可愛いものだった。
 手足の腱を切られてからは、彼女は抵抗の一つも許されぬ、『物』になった。
 ただ思い出したように少女を引き摺りにやって来る少年が、やがて飽きて彼女を見放すまで――少女には選べる死も無いのだった。
 床を滑っていた少女の身体は、やがて顔面から石の段差に衝突して止まった。
 十段ほどの階段を、少年は軽やかに跳ねるような足取りで登り行く。鎖は手放され、少女は一時の自由を与えられていた。
 億劫に見上げる先、石造りの大きな椅子が見える。
 脇には、それより少し小振りだが、目に鮮やかな真紅の布張りの椅子。
 少年が嬉しそうに、その赤い椅子に腰掛ける。
「どうだ?」
と小首を傾いだ少年に問われ、しかし何を聞かれているのかも分からずに、少女は瞬きを繰り返した。
 少年の身体には大き過ぎる、毛皮のコートが不釣合いだという事しか分からない。
 少年には少し高いのだろう、足がぶらぶらと揺れていてそれも見っとも無いように思う。
 勿論、少女がそれを口にする事等出来ない。
「美しい色だろう」
 少年の小さな手が、椅子の縁を撫でて行く。
 その表情は恍惚として、陶酔していた。
「この赤は、俺の為の、他に無い、赤色だ」
 少年の十の誕生日の為だけに、建てられたのがこの城だったと少女も知っている。その為に、恐らく自分の仲間達が消え失せたのだという事も。
 そして自分が、この少年の『奴隷』であるからこそ、生き長らえたのだという事も。
 だからこの城は、彼の物だ。いずれ継ぐべき、彼の領土だ。
 少女は目を眇め、少年が指す椅子の緋を見つめた。
 それはただの赤色で、何も珍しい色とは思わなかった。
 少年がうっとりと、その唯一を賞賛する言葉を、虚ろな表情で聞く。
 その緋色が、何か。
 少女は知っている。
 知っているのだ。
 つい先頃まで、少年の傍らに在った娘。帝国から嫁いで来た尊い同胞は、それらしい矜持を持って、在った。
 娘は奴隷である少女にも優しかったし、差し出された幾度もの手をちゃんと覚えている。凛と背を伸ばし、少年を真っ直ぐに見て非難を浴びせた。
 あの、美しい声。庇ってくれた小さな背中。
 そしてそれ故に、疎んじられた。
 娘が消えて、緋色の椅子が、そこに在って。
 ――ああ、どうしてこうなったのか。
 少女の瞳から、ほろほろと滴が零れる。
 出会った頃の、少年を思う。はしゃいだ声で少女に歌をせがみ、寒いと泣いて少女を寝台に引き上げた。
 父親を真似た偉そうな口調が覚束無げで、少女が思わず相好を崩せば、唇を尖らせて不機嫌になっていた。
 少女がまだ、声を失う前の事。
「お前は、すぐに泣く」
 幸せそうに椅子の背凭れを撫でていた少年が、少女のくぐもった嘆きに気付いた。
 煩わしそうに舌打ちを零し、椅子を飛び降りて少女に迫る。
 ぐいっと鎖を引かれ、少女の頭が浮いた。
 無理矢理伸ばされた首の骨が軋む。
 苦悶の表情を浮かべ、それでも少女は泣き続けた。
「……っ」
 言葉はもう、遠い昔に失ってしまった。
 それでも、少女は呼んだ。
 呼ぶ事を許されていた名残の、少年の幼名。
「ィゥ゛……」
引き攣ったような掠れた、呻き。
 しかしそれらを拒むかのように、少年のつま先が少女の顎先を蹴り上げる。
「泣くな、呼ぶな」
 少女の体が仰向けに倒れると、少年はその腹の上に右足を乗せて、冷たく言った。
 酷薄な笑みが、少年の顔に浮かぶ。
 最早それは、少女の知る少年では無かった。
 少女を見る目は、虫けらを見下ろすそれ。踏み潰しても痛くも痒くも無い、けれど自身の足を汚す事は厭わしい。
 再び緋色の椅子に舞い戻ってそれに掛ける頃、少年の瞳はもう、少女を認識しなかった。




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