IF...
いつかあるかもしれないし、ないかもしれない物語。
01.王妃と陛下の昼下がり
ある日の事である。その日俺は体調が悪かった。
そりゃあもう、朝から最悪だった。
健康優良児で20数年間生きて来て、そりゃあ時々風邪を引いたりもしたし……グランディアに召喚されてからは、キャパオーバーで気絶したりなんかもした。
しかしそう言った類の物とはまた別の、誰の所為でも何の因果も無い、どうしようもない不調だった。
ある意味での、健康な症状だった。
広い寝台の上で丸まり、腹を抱えるようにして唸る。
「うう……うううう゛う゛う゛ーっ」
声を出していると、辛さが緩和される気がするから不思議だ。
痛みには強い方だが、この何とも言えない気持ちの悪さ。全身の倦怠感と、胸のむかつきは二日酔いのそれのようでもある。吐き気も同様だ。
でも何かが、違う。
グランディアに来て数年で嗜むようになった酒は、何時からか陛下との晩酌が習慣になった。弾まない会話でも、酒が入れば無駄に楽しくて、深酒した翌日は昼過ぎまでグロッキーになった事もある。
もう酒は飲まない、と誓っても夜になればまた飲んでいる、そんな事を繰り返して。
それはそれで良いのである。
けれどこの体調の不良は、今日が最悪――というだけで、もう何日も続いている。
あと何日続くのかも分からない。
そういうものなのだ。
いや、そういうものだと言う話なのだ。
如何せん初めての経験なので、これが普通なのか、普通だと言われても当然なのか、分かりかねる。
「死ぬ…。もうマジ無理…」
そう呟いてしまってから、罪悪感が押し寄せて来る。
すいません。ごめんなさい。嘘です。大丈夫。
心の中で謝罪を羅列して、深呼吸を繰り返す。
そこで、部屋の中に規則的に刻まれていた音が止まった。
ギシ、と何かが軋む音の後、人の気配が近付いて来た。
誰か、と考える意味も無い。
寝台に近付いて来た『誰か』は、当たり前のように寝台に腰掛けた。
視線だけを向ければ、怜悧な眼差しをほんの少し緩めて、美貌の主が手を伸ばして来た。
――リカルド二世。グランディア王国の国王陛下にして、俺の夫、というやつである。
俺の額に張り付いた前髪をよけるようにしてから、優しく頭を撫でられる。
相変わらず言葉は少ないが、格段に優しくなった――のは、立場が名目上のものではなくなってから。その前から、時々は。
「辛いか」
と問う声は無機質。
咎める視線になるのは許して欲しい。どうして俺ばかり、と思ってしまうのも。
俺の横に転がるようにして、頭から腹に手が移動される。
俺の手の甲の上から腹を摩り、陛下は口元に小さく笑みを刻んだ。
それで辛さがなくなるか、と言われればそんな事は無いのだけれど、恨めしい気持ちは薄れるから不思議だ。
これはいわゆる、悪阻だった。
陛下とのただの契約が、形を変えて本物になって。まさか自分が、妻になって、母親になろうとする日が来ようなんて未だに信じられないけれど。
女らしくもない、王妃らしくもない、トラウマを抱えたままの、臆病なままの、そんなナガセツカサのままで良いのだと受け入れてくれた陛下の隣に、幸福感とともにある。
幸福なのだ、と思える。
「ふへへ」
と自分でも分かる気持ち悪い笑い声を上げて、俺は陛下の手を包み込むように両手を重ね変えた。
俺とは違う温度の、大きな手。
甘えられる、甘えて良いのだと思える温もり。
「気持ち悪い笑い方をするな」
と素っ気無く紡がれる言葉すら心地良い。
「仕事はいーのかよ」
「良いに決まってるだろう」
「またシリウスさんに怒られるぞ」
笑い混じりに言えば、無言を返される。
妊娠が分かってからと言うもの、陛下は執務を抜け出しては顔を見せた。無表情を決め込んで、俺の乱暴な行動がお腹の子に障るのが不安だとか、寝相が悪いから寝台から落ちていやしないか等と余計な理由をつけても、陛下でも浮かれるのかと驚いたものだが。
そうしてシリウスさんが迎えに来るまで、何のかんのと居座っていたのだ。
素直に俺が心配だと言えないところが陛下である。
そして、それを素直に喜べない俺も。
まあ兎に角そんな経緯があって、陛下は寝室に執務机を持ち込んで、目の届く範囲で仕事をこなすようになった。
そしてそれをライドやウィリアムさんにからかわれるのは、もはや日常茶飯事なのだ。
人は変われば変わるものだ。
陛下も、俺も。
俺の腹を摩っていた陛下が、ふと何かに気付いたように半身を起こす。
サイドテーブルの上に置かれた籠から、オレンジを手にし、おもむろに皮を剥きだしたのは……多分俺の腹が鳴ったからだろう。
器用な手がオレンジの一粒を俺の口に運んで来る。
俺はそれをひな鳥よろしく口で受け取った。
「……ん、ぅんまい」
「そうか」
飲み下すのを待って、更にもう一粒。
指先が微かに唇に触れて行く。
まだ腹に膨らみは見れず、エコー写真なんて物がない世界であるから、子宮の中で育っている姿も鼓動も分からない。
実感はこの悪阻だけ。
侍医に不調を訴えて、「ご懐妊です」と言われた時は、二人して呆気に取られたりして。
無表情に、素っ気無く、それでいて甲斐甲斐しく世話を焼く陛下が、ただ単純に世継ぎの誕生を喜んでばかりじゃない事を嬉しく思う。
俺との子を、生まれて来る命を共に待ち侘びる。
昔には想像も出来なかった、この幸せな昼下がりが、俺はとても愛しいのだった。
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