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09 陛下の逆襲 1



「――絶っ対に、嫌だっ!!」
 壁に追い詰められながらも、俺は気丈にそう叫んだ。
 にじり寄ってくるのは、完璧な笑顔を浮かべたハンナさん。彼女はメジャーの端と端とを握りながら、一歩一歩確実に迫ってくる。
 それに合わせて、俺は横へ横へと逃げて行くのだが、角に追い詰められて身動きが取れなくなってしまった。
「あまり我儘を仰らないで下さいませ」
 嘆息するハンナさんは普段の様子に無く殊勝な態度だが、それが演技である事は間違いない。
 先程から何を言おうと受け入れてもらえていないのだ。
「時間もございませんし、私も暇ではございません。さ、観念して下さいませ」
 ああ、このまま背中の壁と一体化出来ればいいのに。この苦行から逃れられるなら、部屋のオブジェと化してもいい。
「っていうか、冷静になろうよ、ハンナ!!」
「私は冷静でございます。さ、ツカサ様」
「いやいや、良く考えて!」
 さあさあ、と促しながらも、その行動に容赦は無い。掴まれた手首を引っ張られて愛しの壁と引き離された俺は、おもちゃを強請っる子供のように、片手で膝を抱えて座り込んだ。
「無理無理、絶対無理だから!」
「無理でも何でも仕方がございません。宰相閣下のご命令ですから」
「だって、どうして、こんな事に!!!」
「存じません」
 俺は目尻に涙まで浮かべているのに、ハンナさんはひどく素っ気無い。
 でもハンナさんが同情一杯に優しい言葉をかけてくれても、それはそれで気持ち悪いけど。
「事情がどうあれ、ツカサ様に拒否権はございません。観念なさいませ」
 それでも俺がいやいや、と首を振って座り込んでいたら、頭上からうんざりとした溜息が聞こえて、腕が放された。
「ただの採寸ですよ。何も今すぐドレスを着て下さい、と申し上げているわけではありません」
「でも結局着るんじゃん!!」
「それまでに覚悟を決めて下さいますね?」
「だから、無理だってば!!」
 半泣き状態の俺を見下ろすハンナさんの目は、実に冷ややかだ。そこには同情の欠片もなく、むしろ虫けらを見るように忌々しそうである。
 こういう時のハンナさんは、リカルド二世陛下によく似てる。
「よろしいですか、ツカサ様。私は貴方を、どこからどう見てもレディに見えるように教育するよう、宰相閣下から命じられているのです。貴方様同様、私に拒否が出来るとお思いですか?」
「……」
 ハンナさんなら断われそうだとは思っても言わない。変りに沈黙を答えにした。
「ですからまずは、貴方にドレスを誂えなければなりません」
「…………」
「……鬘と化粧の力があれば、立派なレディに作り上げる自信はあります。心配はいりません」
「……………」
 一体誰がそんな心配をしているというのか。
 そっぽを向いて無視し続ければ、ハンナさんはもう一度溜息。
「何がお嫌なのです」
「っ全部だよ!」
 思いっきり彼女を睨み上げて叫べば、ハンナさんの瞳が見る見る怒りを帯びていく。けれど怒りたいのはこっちだ。
 紳士教育を施されてブラッドとしての自分を満喫していたのに、この上、もう一つ人格を作れなんて。
 しかもそれが、女性として、なんて。
「シリウスさんは俺をどうしたいの?」
「ですから、存じません」
 こんな言い合いを何度繰り返した事だろう。
 お互いに一歩も引かないまま、睨み合う。
 ハンナさんが久し振りに現れて、彼女の授業が始まったのは二時間程前。ティアの成人式典を六日後に控えて、彼女のすべき準備は全て終わったのだというので、教師がローラさんからハンナさんに戻っただけの事だと思った。
 食事の作法から入って、歩き方や言葉遣い、お辞儀の仕方を確認された。
 ハンナさんも満足そうに頷いてくれ、問題は無いようだった。
 それから彼女が言う。
「ツカサ様にも、ティシア様の式典後の祝雅会にご参加頂きます」
 何時かのようにダンスを踊る必要は無い。ただ参加者の一人として、ティアを祝ってくれれば良い、と。難しい事は無い、ただティアの横に居てくれれば良い、と。しかもその場でティアの婚約を発表するというので、その場に立ち会える事が単純に嬉しかったのだ。
 喜びが勝って、気負う必要もないのなら良い、と「勿論」と答えたのがそもそもの間違いか。
「それはようございました。実はティシア様も、ツカサ様に付添人をして頂きたいと仰っていらして……」
 聞きなれない言葉に首を捻った俺に、ハンナさんは語る。
「ツカサ様がご参加されたラシーク王子殿下とユージィン殿下の帰城祝いの夜会とは異なりまして、祝雅会はもっと簡単なものになります」
 という説明から入って、つまり、あの夜のように仰々しい席は無いのだという。勿論国王や王女の席は設えるが、立食形式のパーティーを想像した方が近そうだった。
 全員が気軽に会話を交わす、それ程格式張らない集まり。従って近しい身分の人間や友人などで固まる事が多い。特に貴族令嬢などは母親や友人と小さな集団と化す。
 付添人とはすなわち、今回の主役であるティアの傍に立つ事が許された友人代表だという、貴族令嬢の誰もが憧れ誇れる立場なのだという。
 こういう場でのティアの付添人は大抵ハンナさんやローラさん、昔はゲオルグ殿下の娘さんであるジュリスカさんが務めたそうだ。
 つまりその一人として、ティアの横に居て彼女の話相手になって欲しい、と。
「勿論、構わないよ!」
「それはようございました。ティシア様もお喜びになられます。実は宰相閣下からもそのようにするよう、命じられていますから」
 ここから、話がおかしい方向に傾きだしたのだ。
 何でここでシリウスさんが出てくるのだろう、と瞬く。しかもそれが命令ってどういう事だろう。その答えはすぐに判明した。
 つまり、だ。
 そもそも付添人というのは、女性なのだという。
 言われた瞬間は良く理解できなくて、「はあ」と相槌を打った気がする。
 すぐには自分が女装をする――まあ本来女なのだから、女装というのはおかしいが――という意味だとは分からなかった。ツカサとしては無理でも、ブラッドとしてティアの傍に居れば良いのだ、と、ただ単純に考えて。
「それに、ツカサ様をティシア様のご友人だとお披露目する良い機会ですから」
 何だか宥められているような気がしないでもないハンナさんの語調の意味は、やっぱり分からないまま。
 ハンナさんはそれからしばらく、話し続けた。婚約者のいる女性や既婚女性が、家族や親族でも無い男性とあまり親しくするのは好ましくない、という事を。不倫や不義を疑われる事もあるし、二人きりでお茶をするなんて言語道断――という件は、頷けるものがあったのだ。
 それがティアとブラッドにも通じるとは気付かずに。
 ティアが結婚してからも、その家にブラッドが用も無く遊びに行ったり滞在していたらおかしい。特にルークさんが不在の時分には。
 そんな話の最中に、俺はやっとハンナさんの言葉に違和感を持った。俺に再三ブラッドとしての自覚を持て、と、少しでもツカサの片鱗を見せれば不快そうであったハンナさんが、先程からずっとツカサと俺を呼んでいるし、何やらツカサとブラッドを別人として扱っているような。
 何時に無く回りくどい話し方をするハンナさんが、一番の違和感だった。
「……どういう事?」
 尋ねてやっと至った結論は、俺はツカサでもブラッドでも無い、もう一つの人物を演じるという事実だった。
 それもブラッドという人間以上に受け入れがたい、ティアの友人である『女性』として。
 例え男だと誰しもが疑わない俺でも、体格的には女性として充分許容範囲だ。背丈だってハンナさんと同じくらいだし、長い髪の鬘をつけて化粧をし、ドレスを着れば立派に女性として通用するだろう、とシリウスさんは言っていたそうだ。
 胸に詰め物をしておけば、それがまさか男性――いや、そもそもが女なんだけど――だとは思わないだろう。公の、それも王族の祝い事の場で女装している男が紛れているとは誰も思わないだろう。
 その主張には激しく同意だし、徹底して女装したのに男に見られては立つ瀬もない。そんな事になったら流石にショックだ。
 だけれどそんな事はむしろどうでも良くて、今まで男と間違われ続ける人生を歩んできて、好んで選んで来て、どうして今更そんな格好が出来ようか。
 だって意識的にはあるべき姿に戻る、というより、女装をするという、何だか屈辱的な状況だ。
 別に世の女装趣味の男性を悪く言いたいわけではけしてない。そういう意味では自分は好んで男装している女だし。
 ただそれが自分にとって好ましいか好ましくないかという、そこが問題なのだ。
 事情は分かったし、今後のティアとの付き合いを思えば、確かにそうした方が良いのは分かるけど、でもだからって何故。
 他にも選択肢はあるだろう。ティアに会いに行くのだって、巧い理由があればいい筈だし、それこそその辺りはシリウスさんでもリカルド二世陛下でも何か用件を作ってくれれば解決しそうだ。そもそも結婚後のティアとルークさんの家に、ブラッドが滞在する状況って何だ。ツカサとして使用人になれば、万事解決しないだろうか。
 ティアの誕生日も成人も婚約も一緒に祝ってあげたいけど、別にだからってわざわざ女装してまで祝雅会とやらに出たくは無い。ブラッドとして遠巻きに祝うだけでも構わないし、それが出来ないなら部屋で大人しく待機していたい。
 俺の嫌がる事を強要するティアでは無いし、付添人の件は諦めてもらおう。
 そう思って祝雅会の参加の撤回を申し出たが、当然の如く却下されて今に至る。
 そこに宰相シリウスさんの意向が乗っている限り、選択肢は無い、という事だった。




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