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08 絡まるイト 3



 俺がファティマ姫に抱いた感情は置いておいて、ブラッドとしての俺は、彼女に最大級の敬意を払って対峙し続けた。
 ファティマ姫は特に無茶を言うわけでは無かったが、ブラッドの出生や立場を物珍しさを隠さずに聞きたがった。事実の欠片さえ無い設定上のそれでも、「退屈な所で育ったのね。同情するわ」などと言われた時には、やはりこの人を好きになれないと再確信したものだ。
 それでも表面上は穏やかに、ラシーク王子のフォローもあって、和やかなムードが室内に広がっていた。
 しかししばらくして会話に飽きたのだろう、ファティマ姫は「退屈ね」とラシーク王子に声をかけた。
「陛下はまだ、兄上のお相手をしているのかしら」
 兄上、というのは、ファティマ姫と共にグランディアにやって着た王太子殿下の事で、陛下というのは勿論、リカルド二世陛下の事だろう。
 俺にとっては唐突な話だったが、どうやらラシーク王子にとってはそうでは無いようだ。
「先程ユージィンも言っていたでしょう。兄上も陛下も、姉上と違って暇なわけでは無いんですよ」
「でも久し振りにお会いするのよ。夜会まで待たせるなんて、酷い仕打ちだわ」
 せっかく会いに来たのに、と続けるファティマ姫。耳を疑うような事を言う。
 するとこの人の目的は、リカルド二世に会う事だというのだろうか。ティアの成人式を祝う為では無く、己の不祥事で離婚した、かつての夫に――すごい神経だ、と、驚くと共に感心してしまう。
 そんな風に傍観者を気取っていたら、ラシーク王子がけして自分に味方をしないと分かったのだろう、つまらなさそうに鼻を鳴らしたファティマ姫の視線がこちらに向いた。
「ブラッドはわたくしの味方ね?」
 色気たっぷりに微笑んでいるのに、言動はひどく幼稚だ。
 同意できる要素が一つも無いので、俺は苦笑する。あえて問いには答えずに、
「私は、ファティマ様のお相手が務まらぬ自分が、心苦しい限りです」
「まあ」
ご機嫌取りの為だけに言えば、ファティマ姫は瞬時に上機嫌になる。
 この短い時間で、ファティマ姫の扱い方が分かってきた。裏も表も無く、ただ持ち上げておけばそれで良い。
「いいわ。ブラッドに免じて、陛下を許すことにしましょう」
 ――許す許さない等言える立場でもあるまいに。
 ラシーク王子が吐き出したため息を耳に聞きながら、厄介な相手のお守を押し付けてくれたユージィン少年を呪った。



 彼女の話を聞いていてわかった事がある。
 ファティマ姫はリカルド二世陛下に未練がある。未練、というのは違うだろうか、彼女は今でもリカルド二世の妻のつもり、なのかもしれない。
 彼女がお気に入りの場所、と連れて行ってくれたのは、何時かティアが案内してくれた温室だった。
 侍女やイクタルさん、ラシーク王子を部屋に置いてきぼりにして、何故かたった二人で。
 ファティマ姫は何時かのティアのようにアレクセス・ローズをリカルド二世陛下に喩えて、うっとりとした視線を白い花弁に向ける。
「美しいわね」
 天上から差し込む日の光を浴びて、光り輝く白い薔薇。細い茎に棘は無い。
 美しいと言えばそうだろう。けれどやっぱり、俺はアレクセス・ローズとリカルド二世を結びつける事が出来ない。
「気高き至高のアレクセス・ローズ」
 俺の腕に自身のそれを絡めながら、というより胸を押し付けるようにしながら、ファティマ姫は語る。
「王妃の肖像画にこの薔薇が描かれるのは知っているでしょう? わたくしもその時を待ち侘びていたのよ」
 ファティマ姫は正妃候補としてリカルド二世に嫁いだが、彼女は側室止まりだった。側室というのは、公的な愛人のようなものである。側妃と呼ばれ、国王の妻に相応しい賞賛を戴きながらも、国王の世継を生む為だけにしか存在しない。国母となればまた相応の地位があるだろうし、国王の妻というだけで、それはもう傍から見れば名誉に違いないだろう。
 けれど王妃は、国王の唯一だ。国王と共に国を治め、国王を援け、民を統べる。側妃と同じ様に世継を生む役目もあるが、比べるべくもない程、貴き存在が王妃だ。
 ファティマ姫は王妃になりたかった、と。なりたいのだ、と迷う事無く言う。
 王妃にしか許されないアレクセス・ローズを描いた自分の肖像画が、欲しい、と。
 王の薔薇を背に、王妃の薔薇を胸に、描かれる王妃でありたい、と。
「ブラッドも、わたくしにこそマゼル・ローズが相応しいと思うでしょう?」
 今度は自分をマゼル・ローズに喩え、自分こそが国王の唯一に相応しいと。そんな事を堂々と言い放つファティマ姫は、そこで何故だか更に強く胸を押し付けてきた。
 柔らかい感触と生温い熱が薄い布越しに腕に触れる。少し目線を下ろせば、きっと見事な谷間を拝む事が出来るのだろう。
「他に嫁いだのが間違いだったわ。わたくしはこの国に留まり、王妃となるべきだった。そうして陛下をお慰めして差し上げるべきだった。わたくしは幼かったのね」
 ――目線を落として、悔いるような言葉を吐いたファティマ姫を、俺はどこか遠い事のように見下ろす。
 何時かのティアが思い出される。
 震える指でマゼル・ローズの花弁を撫で、唇を噛んでいた可憐な少女。
 リカルド二世にもマゼル・ローズのように寄り添う相手が居たら良いのに、と、寂しげに微笑んだティア。
 永遠を共に歩いていけるような相手――それが、今目の前にいるファティマ姫なのだろうか。
  だってティアと同じ様に後悔を滲ませながら、ファティマ姫はただ自分の境遇を嘆いているだけだ。実の無い理想を口にして、幻想を追っているだけ。そして過去を、幼いの一言で済ませてしまう。
 反応を窺うようにこちらを見上げたファティマ姫の瞳が、悲しみを湛えて潤んでいるのを見ても、同情の欠片も浮かんでこない。
 それ所かその表情さえも、気丈に微笑んだティアの姿に重なる。
 ここでファティマ姫に同意してあげれば彼女が満足する事は分かっていたけれど、ティアの言葉が脳内にちらついて、どうしても口を開けない。
 ただファティマ姫の黄金色の瞳から、居心地悪く視線を外すだけ。
 その視界に、向うから歩いてくるラシーク王子が映った。
 ファティマ姫が振り向くのも、同時だった。
「シャイフ」
 どこか煩わしげにラシーク王子を呼んだファティマ姫の腕が、俺から離れていく事にほっとしてしまう。
「お邪魔だったようですね、姉上。ですが貴女のご友人が訪ねていらっしゃったので、言伝を」
「そのような事、王子の貴方がすべきでは無いわね? 侍従の誰かを寄越したら良いのよ」
 何故だか二人は喧嘩腰だった。
「それで、誰が訪ねて来て?」
仕切りなおすように肩にかかった髪の毛を払い、ファティマ姫はさも億劫だという空気を醸す。けれどラシーク王子が訪問者を明かすと、先程まで涙を流さんばかりだった表情はさっと華やんだ。
 レナード・ウィンスロー公爵。それも女性名ではなく、男性名だ。
「懐かしいこと。それで、レナードは、どちらに?」
「外までご一緒に。こちらにお呼びして良いなら、お通ししますが?」
「いいえ、わたくしが行くわ」
 よっぽど親しい相手なのか、声まで愉悦に満ちて、ファティマ姫は今にも飛び出していかんばかりに見える。
 にこり、俺を振り仰いで、先程までの格好のまま固まった俺に笑いかける。
 何の憂いも無い顔で。
「貴方ともう少しお話していたかったけれど、残念だわ。ブラッド、またね?」
 性急に別れの挨拶を述べて、すっと片手を差し伸べる。上を向いた手の甲に、促されるまま口付けした。滑らかな布の感触は一瞬、その手さえすぐに引っ込められた。
 ファティマ姫の意識はもう俺なんてそっちのけで、ウィンスロー公爵とやらに飛んでしまっているのだろう。
 別段悔しくも無いし解放されて嬉しいのだが、ぞんざいな扱いにもやっとしてしまうのは仕方が無いだろう。
 潔く去っていく背中を何とも言えない顔で見送っていると、ラシーク王子が疲れたような大仰なため息を吐いた。
 振り向きもしないまま小さくなる背中から、自然と視線がラシーク王子に移る。
「申し訳ありません、ブラッド殿」
「……ああ、いえ……構いません」
「わたしにとって姉上の身勝手は何時もの事ですが、驚かれたでしょう?」
 驚いた、という意味ではその通りなので、曖昧に頷いておく。考えてみれば、この国で出逢った人間のほとんどが同じような身勝手さを披露してくれたので、何というか、こちらも慣れっこではあるのだが。
「姉上は何か無茶を申しませんでしたか?」
「ちっとも。とても楽しい時間でした」
 言いながら、俺は先程までファティマ姫と触れていた腕を何となく撫でていた。まだあの何とも言えない柔らかさと、熱が宿っているようで落ち着かない。
 自分の貧相な胸とは随分違うものだ。どうやってあそこまで育ったのだろう。
 別に羨ましいわけでは、断じて無いが。
 何となく落ちた沈黙の中、ラシーク王子がふと、何かを思い出したように呟いた。
「孤高の王は、永遠を分け与え、それを王妃への愛の証とした」
 その視線は、マゼル・ローズへと注がれいる。仄かに色づいた、薄紅の花弁に。
「マゼル妃がお亡くなりになって、ディーダ国王が彼女の肖像画にマゼル・ローズとアレクセス・ローズを描き加えた事によって、孤高の王の物語にも王妃の存在が加えられたと聞きます」
 グランディアでは誰もが知る、女性ならば誰もが憧れる恋物語。
「王妃がただ傅かれるだけで無くなったのは、それからです。王妃には王と同等の賞賛が与えられ、それと同時に重い責任も課せられる。だからこそ、王妃の称号は簡単には戴けない。それを、姉上は分かっていないのです」
 ラシーク王子らしからぬ侮蔑を含んだ言葉は、ファティマ姫へ向けて。
 一瞬躊躇うように揺れた瞳が、次の瞬間俺を射抜いた。
「リカルド二世陛下の王妃になられる方には、並々ならぬ覚悟が必要です」
 砂金の結晶のような、綺麗な瞳。暗闇に浮かぶ冴え冴えとした月のように、見るものを魅了する。それが今、大きく見開かれていた。
 こちらを戒めるようでもあり、挙動の全てを観察するようでもあり。
 何故そんな風に、こちらを見定めるように、見ているのか。今更目新しい情報など、手に入りようも無い。多くの事は既に、ラシーク王子には見破られてしまっているだろうに。
 俺が意図を掴めずに何度も瞬きを繰り返していると、心なしかラシーク王子の表情から剣が取れた。
「ブラッド殿の選択肢は、そう多く無いでしょう? 運命が貴方を絡め取る前に、貴方は選んでしまった方が良い」
「あの、それはどういう……」
 唐突に始まった講釈から、どういう流れだったのか。
「わたしと一緒に、バアルへ行きませんか」
 それは、バアルへ遊びに来ませんか、という軽い提案ではけしてなかった。




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