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07 来たりし者 8



 後になって、仰々しい出迎えはたった十数分で終わりなのか、とか、残された貴族の皆さんはこの後どうなるのか、とか、何時の間にか目の前から消えたリカルド二世陛下がどこに行ったのか、とか、疑問に思った事は一杯あったけれど、その時の俺の脳内はパニック状態でほとんどマトモな思考を保てなかった。
 俺の手首を引っ張って足を急かすユージィン少年の形の良い後頭部を、動揺のまま見つめる。背の高さは、俺と変らないか少し低い位だ。
 大股で歩くユージィン少年と俺の後には、ゲオルグ殿下とラシーク王子が続いている。ラシーク王子は何やらシリウスさんと会話をしているが、内容までは聞こえてこない。
 最後尾をハンナさんに付き従われたティアが着いてくる。周りにはティアとゲオルグ殿下の近衛兵も居る。
 途中でラシーク王子は、申し訳無さそうに表情を曇らすシリウスさんに促されて、方向を変えた。ユージィン少年はラシーク王子に軽く手を振って、「後でね」なんて答えて。
 それから数歩進んだ所で一度振り返ったユージィン少年は、俺を見てにんまり笑った後、また前を向く。
 意味が、分かりません。
 結局先ほど待機した部屋でメイドさんを全員下がらせるまで、ユージィン少年は手を離してくれなかった。
 部屋に俺とユージィン少年、ゲオルグ殿下にティアとハンナさんが残る。
 向かい合ったユージィン少年は手首を離した後、すぐに俺の片手を両手で握り込んだ。
「異世界人にお会い出来るなんて、感激だよ。僕はユージィン、どうぞよろしく!」
 出迎えの際の言葉とは矛盾するように、初対面の挨拶をして、ユージィン少年は愛くるしい無邪気な笑顔を見せた。
 握り返す事の出来ないままの俺の手を、「握手握手」と振って、今度こそ本当に放れる。
 独楽鼠のようにくるくる変る表情、動き。跳ねる兎にも似た動作で、少年は方向転換する。
 向いた先は、ソファに腰を下ろしたゲオルグ殿下だ。
「父上、これで宜しかったですね?」
「ああ、文句無い。約束通り此度の出奔は咎めずにおこう」
「やった!」
 何だかよく分からないゲオルグ殿下とユージィン少年の会話の終わりに、少年の笑顔が弾けた。
 誰も、事情を説明してくれる気は無いようだ。というか、ティアとハンナさんも戸惑い気味に首を捻っている所を見ると、事情を知っているのは、殿下と少年のみのよう。
「あの……殿下?」
「何だ?」「何?」
 窺うように問い掛ければ、同じタイミングでゲオルグ殿下とユージィン少年が顔を向けてくる。
 そうか、どちらも殿下なのか。と納得しながらも、どちらが答えてくれても構わないので問いを重ねることにする。
「ちょっと、話についていけないんですけど……さっきのは何なんです?」
疲労感満載の俺の声音は、ひどく固い。
 対照的に、顔を見合わせる殿下と少年は、何やら生き生きしている。ユージィン少年は最大級の秘密事を打ち明ける子供みたいに、ゲオルグ殿下は悪戯を思いついた子供みたいに。間違いなく親子だと断言できる含み笑いを浮かべた。
 殿下、殿下、キャラが崩壊しちゃあいませんか。
 疲れていても、心中での突っ込みは間髪入れない。
「父上、どうします?」
「まあ、どうしてもと言うのなら、教えない事も無いな」
 ああ、もう!! その前振り、面倒臭い!
「っどうしても! 教えて欲しいです!」
 その言い方がおかしかったのか、ユージィン少年は目玉が零れ落ちそうな程目を見開いて、次いで声を立てて笑い出した。
 何だろうな。俺のこの、初対面の人に笑われる率の高さ。
 俺の胸に去来した虚しさなんて、伝わるわけがない。というか頓着しない態度で、ゲオルグ殿下は軽く咳払い。
「そこまで言うのなら、教えぬわけにもいくまい」
 何処までもったいぶるのだ、と心の中で悪態をついたけれど、ゲオルグ殿下はやっとで真相を語ってくれた。
「この所、お前の身分が噂されているのは知っているだろう。だからこそ、変な勘ぐりをされる前に、ダ・ブラッドとしてのお前を確立しておこうと思ってな。セルジオに手を回させて、余の妻の遠縁の家名を買い取ったのだ。とうの昔に没落して継ぐ者もおらず、名前だけが残った廃れた家だがな。お前の生家としては、十分使えるであろう」
 ――という風に始まった話は長かったので、端折る事にする。
 いわく。
 貴族としての階級を持たぬ家名の出身の俺は、両親を不慮の事故で亡くし、頼る親類も無い幼子だった。その為、遠縁に当るゲオルグ殿下の奥さん――ユーリ様の保護の元、キルクスという山奥に住むスザンナ・イルフォードさんに預けられた。スザンナさんはユーリ様の生家や他国の王家の家庭教師を務めた優秀な方だが、変った性格の持ち主で、教師を引退した後は村落から離れたキルクスで一人、隠れ住むように暮らしているのだという。そのスザンナさんに預けられた幼少の俺は、彼女にグランディアの礼儀作法や歴史を教え込まれて育った。使用人も居ない家での暮らしだから、掃除洗濯料理もそうだし、狩りや釣りなども叩き込まれ、野生生活で自然に養われた武術剣術は素人のスザンナさんの目にも、才あるものと映った――とか何とか。
 優秀な教え子をキルクスで一生過ごさせるのは勿体無いと、この度スザンナさんはユーリ様を頼る事に決めた。そうしてオルド家を後見人として、ダ・ブラッドはアレクセス城にやって来た。
 ――つまり、そんな過去が俺に出来上がった。
 ユーリ様にとってのスザンナさんは、家庭教師以上に友人であり、姉である存在。そしてスザンナさんにとっても、ユーリ様は格別の教え子であったそうな。スザンナさんが引退してキルクスに籠もった後も、ユーリ様は度々キルクスを訪れて友交を保っていた。ユージィン少年は母と共にキルクスを訪れる際に、俺と友人になった。
 ――という、設定も付随した。
 そして、ただ留学生活に飽きたというだけでラングルバートを飛び出て来たユージィン少年だが、俺に会う為に留学期間を早めた、という正当な理由を後付する事にしたらしい。
 それらの事を信じ込ませる為の芝居が、さっきの件だ。
 それから俺の今までの紳士化教育も、城や貴族の生活に慣れる為の訓練だった、という事になる。
 キルクスでスザンナさんは自給自足の生活をしており、人と会う機会すら滅多にない。当然そこで育った設定の俺も、閉鎖的な生活に慣れている。外の世界に放り出されて、すぐに馴染む事は難しい。知識があろうと、言葉が通じようと、場所が変り人が変れば、戸惑う。
 だからダ・ブラッドには、訓練が必要だった。
 ちなみに、俺の名前はブラッドで定着するそう。ライドが適当につけた、ただ【黒】という意味のそれでは流石にいい加減過ぎないかな、と杞憂したけれど、ブラッドという名前は珍しいものでも無いそうだ。王都にも探せば一人や二人居るんじゃないか、とハンナさんは言ったし、そもそもブラガット家の使用人に昔ブラッドという人が居たんだって。だから簡単にその名前が思い浮かんだんだろう、という、名付け理由のネタ晴れが意外な所から転がり出た。
「貴族としての身分は無いが、オルド家の後見の上、ユーリとスザンナ・イルフォードが背後に居れば、お前の生活は安泰であろう。努力と実力次第では、宰相職も望める程にな」
 そんな風に締め括って、ゲオルグ殿下の長い話は終わった。
 前国王のご落胤説だとか、ゲオルグ殿下の隠し子説が使用人の間でも実しやかに噂されていたんだって。
 うちの血筋の顔じゃないのにな、なんてゲオルグ殿下はカカと笑ったけど、王城に身元不明の人間が居るなんていうのは、俺が思う以上に重大な問題らしかった。
 ユージィン少年に抱きつかれた時には、その突然の行動に若干拒絶を示してしまったけど、ブラッドの為に一役買ってくれたんだなぁ――根底に、己の無謀加減を隠す為、という理由があっても――そう思えば、ユージィン少年を見つめる俺の表情は、緩んでしまう。
 そんな風に俺が事態を脳内で嚥下していると、潤んだ声が、背後から聞こえてきた。
「叔父様、ありがとうございます!」
 高く響いた声は、ティアだった。胸の前で祈る形に組んだ指に、とても力が入っているように見える。
「そなたに感謝される覚えは無いぞ?」
 ゲオルグ殿下の言葉に同意する意味で頷く。感謝するのは俺だろう、と。
 でもティアは、目に一杯の涙を溜めて、ふるりと顔を振った。その時に幾粒かの涙が頬を伝う。
 綺麗な涙。程良く色づいた頬を滑り落ちる雫を、ティアはその細い指で拭った。
「ツカサを召喚したのはわたくしですし、安全を保証すると約束したのもわたくしですわ。それなのにわたくしは、ツカサに何もしてあげられない――ルークの事も、感謝してもしきれない位ですのに、そのせいでツカサを苦しめてしまっただけ。ツカサの世界にお還しする術も見つけて差し上げられなかった」
 沈んだ声で、痛まし気に歪んだティアの顔を見て、言われているのは俺の事なのに、何故か他人事のような同情心しか浮かばなかった。
「ツカサの事は、我ら皆の問題であろう。我らは一心同体、誰が成そうと同じ事」
 素っ気無い言葉だったが、ゲオルグ殿下は優しく微笑んでいる。
 俺も、似たような気持ち。実際何かしてもらわなくても、その気遣いだけで嬉しいと思ってしまう。
 だから、ありがとうを言うのは俺なのだ。
「ティアも、ゲオルグ殿下も。ユージィン殿下も、ハンナさんも、ありがとう」
 順々に顔を見て、彼らと目が合ったのを確かめて、ここに居ない人の分も含めて、俺は告げた。
 召喚された事は恨めしくても、少なくとも彼女達に出会えた事に、感謝はしている。
 そんな気持ちを込めた精一杯の感謝に、ティアの瞳に涙が盛り上がる。
「ツカサッ」
 走りよって来たティアを抱き止める。力一杯背に回された腕に戸惑うけど、最近は彼女達の素直な感情表現にも慣れてきた。気後れしてしまう事も多々あるけれど、嫌じゃない。
 何時も愛情を計り切れないでいたあちらの世界に比べて、居心地が良い――と思ってしまうのは、こういう所があるからだ。
 この人たちと一緒に生きていけたら――そんな未来はまだ描ききれないけれど、そのしっぽを掴んだような、気がして。
 ゆるゆると伸ばした腕で、ティアの背中を抱きしめ返した。




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