template by AAA -- material by NEO HIMEISM







BACK  TOP  NEXT



07 来たりし者 17



 別に俺は、ラシーク王子が嫌いなわけでは無いのだ。
 好き嫌いを言う程ラシーク王子の本質を知らないし、多分に引け目もあるし。
 だってラシーク王子は本来、俺なんか仲良く出来ない程遠い世界の住人なのだ。この世界に来てから関わっている人はほとんど王族だけど、一人を除いて、皆俺に優しい。
 それは俺が異世界人だからこそ。そしてティア達が厚遇してくれるからこその、ラシーク王子のこの態度なのだろう。
 だけれど、ありがた迷惑――なのだ。
 考えてみたら何で俺、こんな事になっているのだろう。城を歩き回る許可を得たり、夜会に出たり、ウージの人に素性を明かしたり……その都度必要な事だったかもしれないけれど、話の流れに乗りすぎたかもしれない。
 日本に帰るまで、誰にも知られずにひっそり隠れ住んでたくらいの方が絶対良かったし、返還出来ないと知ってこそのバックアップ体制を皆が敷いてくれたからって、ダ・ブラッドなんて大層な身分を作らずとも、それこそゲオルグ殿下が貧民窟から拾ってきた、無知で常識知らずの小姓とかにでもなっていた方が良かった。
 そうしたら。

 こんな羽目に陥らなくても、良かったと思うんだ。

 憂鬱な気持ちになりながらも向かったグランディア城の鍛錬場で、その扉に控える門番の厳戒態勢に、嫌な気はしたんだ。
 だけどそれをラシーク王子の警備だと言い聞かせて、たった数秒逃避した。
「…………」
 どうしてあんたが居るのだ、と、ゆっくりと開かれていく扉の隙間を見ながら思った。
 最初に目に入ったのは、室内の眩しい光。それから耳に入ったのは、小さな笑い声。
 ラシーク王子のそれと分かったが、視界に映りこんだのは、別の人間だった。
 後姿まで美しい、国王陛下。何時か見たような薄手のシャツに、身体に張り付くような紺地のズボン。体のラインが良く分かるスッキリとしたシルエットは、意外な筋肉の隆起さえ窺える。肩甲骨の先まで伸びる髪の毛は、柔らかそうな金髪。
 ラシーク王子の笑い声が潜んだ為か、扉の開閉音の為なのか、国王陛下が振り向くのがまるでスローモーションのように映った。
 扉が開き切る頃には、陛下の身体に隠れていたラシーク王子諸共、こちらをしっかりと認識していた。
「ブラッド殿、」
 お待ちしていました、と喜色に滲んだラシーク王子の声にはっとして、慌てて、礼をする。右肩に添えた左手が、僅かに強張る。
 垂れた頭を持ち上げた頃には、陛下の視線はもう俺には無い。
 俺の視線も、当然のように、意識して陛下から逸れた。かわりに、走り寄ってくるラシーク王子に目を向ける。
 ラシーク王子の姿は、何ていうか、衝撃的だった。
 何時も露出の激しい王子だが、今は上半身裸で、装飾品の一切を取り除いている。ラシーク王子の通常装備だと思っていたピアスも、ターバンも、ネックレスも、腕輪も指輪も、何一つ無い。腕を覆っていた奇妙な袖も、足先さえ裸足。今ラシーク王子の身体を覆うものは、膨らんだ仕様の下穿きのみ。普段から露出していた胸を見ても分かる通り、引き締まった体躯。
 でも目を見張るのは、その両腕。普段隠されているそこには、肩口から指先まで、禍々しくも美しい黒色の、優美な刺青が刻まれているのだ。細い蔦のような印象の線が絡まりあいながら、手の甲で華とも文字とも取れるような紋章に繋がり、そこから長い爪へと繋がっている。
 はっきり言って、異様。
 なのに、目を奪われる神々しさがある。
 それが普段隠されているからこそ、殊更に。
 腰帯に挟んでいるのは、グランディアの物とは違う、剣。黄金の鞘は、三日月のように反り返っている。
 生まれ出でてすぐに、バアルの赤子はその腕に刺青を刻む。戦神バアルの加護を祈り、その永遠の僕たる証というそれは、バアル国民の象徴。それを拝める機会は、滅多に無いと聞いた。その刺青の種類は多種多様、それぞれ意匠が異なるらしい。それが人の目に晒されるとすれば、彼らが剣を持ち、バアル神の使徒として剣を振るう時。それから、彼らの伴侶との褥での事。
 彼らにとって戦とは、バアル神に奉げる儀式なのだという。
 だからこそ軽々しく腕を露出しないと聞いていたが、俺が今、彼の腕を凝視していても問題無いのだろうか。
 ラシーク王子は俺の驚きに満ちた表情を前にしても、ただにこりと笑うのみ。
 一瞬その瞳が俺の全身を舐めるように移動したのは、気のせいだろうか。
 そして、陛下の視線もまた、突き刺さるように感じた。ふ、と顔を向ければ、そのタイミングで陛下の顔は逸らされる。
 ――一体なんだ。
 っていうか、
「陛下がいらっしゃるのなら、私はお邪魔では……」
 これは嫌味のつもりだけれど、殊勝に表情を曇らせて、俺は言う。
 随分前に一度かち合ってから以後、ここで鉢合わせる事は無かったのに。お互い相性が悪いのは分かっているだろうから、どちらかが退出しませんか、という意味を篭めたつもりだった。
 けれど陛下は何時も通りの平坦な口調で、それでも嘲るような言葉を吐く。
「前に構わん、と言った筈だが」
「…………」
 聞いたが何だ。
 前は前、今は今だろうが、このクソ陛下!!
 心中で陛下の首を絞め殺したい衝動を感じながら、何とか表情は平静を保つ努力をする。この場に陛下しかいなければ、ツカサとしての本性を発揮するのにもう何の躊躇いもないが、ラシーク王子がいてはそうもいかない。
「申し訳ありません」
 腰が低い、のがダ・ブラッド。
 視線を落としながら小心者のブラッドなら、謝罪を口にする。
 予想していた通り、陛下は無視とくる。
 陛下がそういう人で、その態度が俺に対して特別ひどい、という事でないのは分かっているのだ。陛下は誰に対しても、こうなのだろう。だから陛下が出逢った当初からこのいけ好かない態度を俺に向けても周りの誰も頓着しなかったし、唯一フォローをくれたのはウィリアムさんくらいのもので、誰も彼も当然の事と受け止めている。
 だから今も、ラシーク王子は平然としている。
 でも、俺の常識の中では、人付き合いに適さない忌々しい性質でしかない。こんな人間が高校の中にいれば、嫌煙されても仕方が無い。よっぽどの事がなければ誰が好き好んで関わるか、という人種なのだ。
 どんなに国王として立派でその行いを褒め称えられても、人格者だとは謳われずティアのように暖かい言葉で喩えられないのは、この性格が起因しているのだろう。
 それを本人も回りも気にした風でないのが不思議でならないが。
 国王としてはよっぽどゲオルグ殿下の方が向いていると思うんだけど、何故彼はリカルド二世に継承権を譲ったりしたんだろう。
「ブラッド殿、普段はどのように鍛錬を?」
 それで、とラシーク王子に問い掛けられ、俺は物思いをやっとで解いた。
「……そう、ですね」
 逡巡してから、当たり障りの無い答えを探す。
「特別な事は何も。ただ準備に身体を解した後は、その一環で素振りを百回程……」
 とは言え、素振り百回10セットが標準なので準備運動にはやり過ぎだけど。
「これは早朝に終えましたので、ライディティル殿に教わった騎士の鍛錬を真似ております。一人で行えるように、剣身が反射した光りを切っていく、というものと――」
 そこまで言って、チラと鍛錬場の墨に目をやる。そこには部屋にそぐわない、一見して案山子のような藁を固めた物体が置かれている。そこには幾つか目印として赤い丸が描かれている。いわゆる人体の急所とも言えるべき位置。
 その場所を正しく攻撃したり、ひたすらに藁を切り刻んで、実際の対人戦に備えている。
 銃の狙撃ゲームが馴染み易いイメージだろうか。
「それからやはり、腕立て伏せやスクワットですね」
「キルクスでは如何でしたか?」
「野山を駆け回るのが、一番の鍛錬でした」
 目新しい事は無かったのだろう、少し落胆した声音で「そうですか」と呟いたラシーク王子が、思案気に人差し指を顎に置いた。――正しくは、爪だけど。
「せっかく三人も居るのに、それぞれが素振りをするのも寂しいものがありますね」
 完全にこちらを無視している陛下も、数に入っている。
「せっかくですから、わたしは陛下とブラッド殿の手合わせを見てみたいのですが」
 そして無邪気な笑顔で、そんな提案を口にした。
 何故自分じゃなくて、陛下なのか。
 呆気に取られている間に、別の方向から応えが返る。
「面白そうだな」
 反射的に声の主を振り返れば、陛下は前髪を掻き揚げながら剣を鞘から抜いた。
 何だかやる気満々な風情の陛下が、顔の前に掲げた刀身を眺める。まるで刃こぼれが無いか確認するように両面を光りに当てて、満足がいったのかびゅっと一度剣を振るってから、それを納めた。
「ブラッドにどれだけの技量があるか、確かめてやろう」
 何時も通り素っ気無く断わってくれれば良いものを、何無駄に空気を読んでくれているのだ。否、空気が読めないからこそなのか。
 どちらにせよ、陛下が応と言うのにブラッドが否と言うわけにはいかない。
「お手柔らかに」
 苦笑と共に、それでもこちらも何となくやる気が沸いて、腕まくりをしてしまう。
 相手が陛下、であっても、相手の居る鍛錬はすごく久し振りだし、何より勝負に熱くならないわけが無い。
 いけ好かない陛下を、こてんぱんに打ちのめしてやるのも悪くない。
 高揚する心を落ち着けるように唇を舐めて、陛下がそうしたように、抜き放った剣を構えた。
「では、わたしが合図を」
 対峙した俺と陛下から少し離れて、興味を隠しもしないラシーク王子の弾んだ声音が、告げる。

「初め!!」




BACK  TOP  NEXT


Copyright(c)2011/05/09 nachi All Rights Reserved.