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06 愚者の挽回 5



 ルークさんが言葉を噤んでも、陛下は口を開かなかった。
 ただルークさんに固定された宝石のような双眸は、何時も通り感情に乏しいけれど、怒りや嘲りは浮かんでいないように見えた。眼差しは冷たいけれど心なしか険が取れて、けれど複雑そうに揺れたようにも見えた。
 本当にちょっとした機微なのだけれど、そう、思えた。
 そんな風に陛下の極僅かの変化を察知出来る程度には――俺の心象故かもしれないけど――陛下の観察に慣れたのかもしれない。
 何にせよ決断を迫られた陛下がだんまりを続ける限り、話は進まない。
 聞き入れてはもらえなかったけれど言いたい事を言って溜飲が下がったのか、俺は穏やかな気持ちで見つめ合う二人を眺めている。
 前に判決を下されたルークさんと陛下の間にどんなやり取りがあったのか俺は知らないけれど、その時のルークさんと、今陛下に対峙するルークさんは、全くの別人だと言っていい筈だ。俺が初対面のルークさんに感じた危うさは、今はどこにも感じられない。どこまでも好印象を与えられながらも、その言葉や表情に、陛下さながらの不快感を抱かずにはいられなかったルークさんとは、違う。
 不透明だった意思は今は明確に、その言葉に宿っている。
 少なくとも陛下が拒絶した要素の一つ、ルークさんの人格というやつに置いては、問題ない筈だ。
 そもそもがルークさんという人の世間の評価も、困った生活態度を除けば上々なのである。
 後は家の問題だけど、既にルークさんは煩悶を捨てたのだ。
 黙ったまま見つめ合う二人にもう一度視線をやってから、俺はフォローするつもりで口を開きかけた。
 ――のだけれど、何ともタイミングよく俺に移動して来た陛下の瞳に睨まれて、息を吸い込むだけで終わった。
 やっとで、陛下が言葉を発する。
「……貴様に、クラウディ家が捨てられるというのか」
 それは問いかけではなく、出来る筈もない、という否定が篭った言い方だった……ように思う。
「バルバトスが、貴様を手放すとも思えぬしな」
 その理由が、愛情故か、利用価値故かは俺には判断出来ない。
 陛下の双眸が怜悧な光りを乗せて細まったが、応えるルークさんに躊躇は無かった。
「私の選択に、父の意志は関係がございません。私はクラウディ家との全ての縁を、断ち切る所存でございます」
「果たして、出来ようか」
「致します」
 ちら、と陛下の目線が横に滑ると、視線を受けたシリウスさんが待ってましたとばかりに言葉を紡いだ。
「クラウディ家を敵に回してまで、ロードを擁護する者は当然いないでしょう。頼れる親兄弟の後ろ盾を失い、富は勿論職も無い、棲家も持たない。今日の食事にも困る。そういう人間の成れの果ては、物乞いか盗賊か――良いパトロンを見つけて寄生して生きていくか――」
「ティシアの相手には最も相応しくないな」
「然様でございます」
 淡々と交わされる陛下とシリウスさんの会話を、俺は首を傾げながら聞いていたのだけど――結局そういう結論に持っていくか!!
 一度鎮火した憤りが再燃しかけた俺だったけど、陛下の唇がしなる弓のように上がるのを見て、全ての思考能力を失う。

 笑っていた。

 今度は何の見間違いでも無く、陛下の表情は確かに、静かな微笑を浮かべていた。
 それはティアが浮かべる天使のような、とは形容しがたい。愛らしいとか、こちらまでつられて笑みを湛えたくなるような笑顔とか、そういう風にも表せない。
 ただ、笑った。
 ただその造詣美しい顔を、さらに魅力的に見せる。
「それでも、ルーク・クラウディよりも、はるかにマシではある」
 俺が瞬きも忘れて、有り得ない事態を現実に出来ない間にも、恐らく陛下のそんな様子に慣れているのであろう、長い付き合いの面々は、笑ってみたり呆れてみたり、脱力してみたり。
 ただ一人、何の事情も知らないまま、目を白黒させていたウィリアムさんは。
「……これこそ、何の茶番なんです?」
 完全に流れから取り残された事が不満なのか、うんざりした声音を漏らした。
 でも、その時になっても俺は放心したまま。
 今は潜んでしまった陛下の微笑が脳内にこびりついたまま、離れていく気配が無い。
  器用な手先が巧みな技術を持ってすら作り上げる事が困難な程、有り得ない優美な曲線で、ほんの少し口角を上げただけの、些細な変貌。
 けして、俺自身に向けられたものでは無い。そして、俺自身に向けられる事は、無い。

 ――狡い、と。

 何故そんな感想が浮かんだのかは、分からないけれど。



 結局陛下の微笑を誰も言及する事も無いまま、酷く動揺する俺と、いじけるようなウィリアムさんは無視され、話は進んだ。
 あれだけ聞く耳持たない風であった陛下なのに、それまでの事が無かったようにルークさんを受け入れた。
 勿論、全てが巧く片付いたわけではない。
 ただ、ルークさんに時間が与えられただけ。
「ティシアの成人まで、三月弱。貴様には一月くれてやろう」
 それまでに、貴様こそがティシアの伴侶に相応しい。そう余に言わせてみせるがいい。
 そんな宣言を置き去りに、ウィリアムさんを伴った陛下はあっさりと退出した。
 ルークさんは額を床に擦り付ける勢いで陛下を見送った後、シリウスさんに促されて部屋を出て行く。
 残ったのは呆然とした俺と、ゲオルグ殿下にライドの三人。
「やったな、ツカサ!!」
 屈託無く笑って背中を痛い程の力で叩いてきたライドを見上げて、俺は複雑な思いを口にした。
「……何、これ」
「……は?」
 俺の思惑通り、というか、計画通り、ルークさんがティアの結婚相手の候補に返り咲けた事は、勿論、間違いなく嬉しいのだ。
 けれど、何だろう。この胸の中にある、微妙なしこりは。
「何、これ」
 もう一度同じ問い掛けを口にすれば、ライドは眉根を訝しげに歪めた。
「何が」
 まるで下手糞な台本と演出の、学芸会にも及ばないような、奇妙な出し物でもした気分。
 そう。
 ウィリアムさんが言ったように、
「何、この茶番」
 ルークさんは、醜聞に塗れていた頃のルークさんとは確かに変っただろう。曖昧に見せていた意志を示して、覚悟を見せて――その容姿を変貌させて、確かにルーク・クラウディとして生きていた自分を、一転させただろう。
 けれどその本質は変わっていない筈だ。
 ルークさんは人として大切なものは、最初からしっかりその手に握り締めていた。だからこそ、ティアはルークさんに惹かれた。
 そしてそんなルークさんの本質を、あの陛下が見抜いていなかった筈が無い。
 ルークさんが意識を変えて覚悟を持っただけで受け入れるのなら、最初から――俺を召喚する前から、ルークさんの意識改善に努めた方が容易だったのではないかと、思わずに居られない。
 こんなにも簡単に事態が好転するのだったら。
「俺を召喚した意味って、何」
 俺のこの世界での存在意義が、召喚理由がこんなにも簡単に覆されるのだったら。
「俺って、何」
 ああ本当に。なんて下手糞な筋書きの、茶番。
 喉が引き攣る。言葉にならない、喪失にも似た、失望にも似た、薄ら寒いだけの感情は、乾いた吐息にしかならない。
 眼前で、ライドの表情が翳る。言葉を何度も躊躇って、結局はライドも何も言わない。
「ツカサ、」
 かわりに、労わるような声と共に、背後から力強い腕に抱き締められていた。
 俺の頭を撫でていくのは、大きな、掌。
「いずれ分かる」
 何がとは聞けなかった。
 ゲオルグ殿下の暖かい手が涙を堪える俺の視界を覆うと、堰を切ったように嗚咽が漏れ出してしまったから。
「お前が居なければ――」
優しい温もりが、気遣う声と共に浸透していく。
「ティシアとルークのこじれた糸は、解けなかったかもしれぬ」

 暗闇が、心地良かった。




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