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06 愚者の挽回 1



 行きは二人だった道を五人で帰りながら、王都に辿り着いたのは六日目の昼だった。朝方宿を立つ時に馬から馬車へと乗り換え、スチュワートさんが操るそれで向かったのは、アレクセス城では無くミューラ伯爵家という所だった。
 庭の広い横長の邸宅で、暖かみのある外観だった。
 邸内に通されても誰と会うわけでも無く、迷いの無い足取りで先導するゲオルグ殿下に続いて、ある一室に向かった。
 扉を潜ると、ソファの前で立ち上がったティアの姿が目に映った。
 青白い顔を泣きそうに歪めたティアは、一回りくらい小さくなってしまったんじゃないかと思う。
「お帰りなさいませ」
 脱いだ外套を俺達の手から浚って行くのはハンナさん。努めて無表情を作るハンナさんが俺を見て少しだけ眉を寄せ、ルークさんの前では一瞬目を見開いた。
 けれど最後尾のルークさんの目は、不躾なハンナさんの視線にも気付かず、一心にティアを見つめていた。
 ぶつかり合ったティアとルークさんの視線を、何となく追いかける。往復する二人の顔は強張りながらもゆるゆると解けていった。
 何事かを呟きかけたティアの唇が震え、瞳に涙が盛り上がる。
 そうして駆け寄ったティアを、ルークさんも待ちきれんばかりに走り出し、抱き締めた。
「ルーク!!」
 喜色に滲んだティアの涙声が、ルークさんの胸の中でくぐもる。
 まるで映画か何かのような激しい抱擁シーンだ。
 縋りつくという表現が適当な、ティアの様子。その足元は数センチ浮き上がっている。
 ティアを抱き上げ、その温もりを確かめるように頬を摺り寄せるルークさんは、驚く程情熱的だ。
「シア、私の愛しい方……っ」
 甘い言葉を囁いた唇が、次の瞬間にはティシアのそれに重なる。
 流石のヨーロッパ!(違うけど)
 人前で良くキスが出来る――というのとは違って、恐らく俺達の存在を忘れ去っているだけだろうけど、見てるこちらが恥ずかしい。
 直視に堪えがたくて隣に視線を滑らせれば、呆れたようなゲオルグ殿下が肩を竦めた。その向うで視線が合ったハンナさんは静かに一礼して、にこり微笑む。ハンナさんもとても嬉しそうだ。ちなみにスチュワートさんとクリフは、とっくの昔に背を返し、扉を正面に居心地が悪そうにしている。
 しばらく待ってみたけれど二人の再会シーンは濃厚になっていくだけ。
 仕方無い、と言いたげにため息をついたゲオルグ殿下が俺の背を叩いて、立てた親指で入って来た扉を指すので、俺達は二人を残して部屋を出る事にした。

 廊下を挟んだ隣の部屋へ入ると、見計らったように一人の女性がお盆を抱えて現れた。柔和な微笑みを浮かべた美しい人で、年齢は俺の親とも言えそうなくらい。腰から下が膨らんだ紫色のドレスを着ていて、流れるような動作でテーブルにカップやお皿を並べていく。
 けれどその視線は常に伏せられたまま、こちらをちらりとも見ない。
「すまぬな、ローラ」
ゲオルグ殿下が告げる謝辞にも俯いたままドレスを摘んで、すぐに部屋を出て行く。
 その、何とも簡潔なやり取りを不思議に思っていると、俺の訝しげな表情に気付いたゲオルグ殿下が口を開いた。
「あれはミューラ伯爵の奥方で、アレクセスの出自だ。ティシアの成人の準備の一端を担っておるので、再会の場に屋敷を提供してもらったのだ。ここなら、ティシアが訪問しても怪しまれまい」
 ローラさんから作業を引き継いだスチュワートさんが、俺とゲオルグ殿下にコップを手渡してくれる。中身は炭酸の無いソーダ水という感じ。炭酸じゃないのに気泡が底から湧いているそれに、レモンのような柑橘系果物の輪切りが浮いていた。
 それをごくごくと一気飲みして、ゲオルグ殿下が話を再開する。
 何とも豪快な立ち飲みだったが、立ち姿が綺麗なせいか下品な感じはしない。
「一応人払いをさせておいたのだが、まさかあそこまで徹底してくれるとはな」
 王都に居てはならないルークさんの存在も、誰からも隠し通されたティアとの関係も、俺の存在も、この集まりも、全ては内密の事。
 だからこそローラさんは、使用人を屋敷から外出させ自分だけ残った。何も聞かず、何も見ず、ハンナさんとティアを迎えた後は、すぐに自室に篭った。
 ローラさんという人は信頼の置ける、とても気遣いが出来る人のようだ。
 そんな事に感心している間に、スチュワートさんとハンナさんの手伝いで、ゲオルグ殿下が着替えを始めた。
 そんな堂々と脱がれても困ると思ったのだが口に出せず、俺は手持ち無沙汰に室内を見回した。煉瓦造りの暖炉の上に、写真盾が並べられていたので吸い寄せられるように歩いていくと、その途中でハンナさんに呼び止められた。
「ツカサ様もどうぞお着替えを」
 外光に反射した写真の一つに伸ばしていた手を引っ込めて振り返れば、ハンナさんの顔がつと隣の部屋へ向かう。
「奥にツカサ様のお召し物も用意してございます」
 窮屈でしょう、と付け足されても、俺が今着ている服は普段とそう変らない。ベストの下の鎖帷子の感触にももう慣れていた。
 けれど再度どうぞと促されて否も言えず、小さく頷いてそれに従った。
 最後に見たゲオルグ殿下は裸の胸板をハンナさんに拭いてもらっている所で、あああの人は確かに王族なんだな、と当たり前の事を実感した。
 隣室に用意されていた服は、所謂正装だった。普段着だと大きく分けてシャツ、ベスト、ズボンとブーツというだけなのだけれど、何時かディジメントでシリウスさんやゲオルグ殿下に紹介された時のような、着るのに躊躇われるタイツがついてくる。それにズボンをサスペンダーで止めるので、ある意味鎖帷子より窮屈だ。長靴のように履くだけのブーツで無く編み上げ型のブーツは脹脛の上まであって、しっかりタイツ部分を隠してくれるので、一瞬タイツは履かなくてもいいんじゃと思ったけど、履かないまま置いておいたら後でハンナさんに怒られそうだったからちゃんと履いた。
 しかもベストは二つあって、それを両手に観察しながら、ハンナさんの紳士化教育を思い出す。どちらか好きな方を着る、という事ではなく、重ねて着るタイプのベストだ。ふた周り大きい赤のベストは前を留めるボタンが三つにわき腹から腰を締める紐がついている。シャツの下とズボンとの境に巻いた、ベルト代わりの太い布を、ベストのベルトで一緒に締めて、上から臙脂のベストを羽織るのだ。ベルベット地のそれは前から見ると初心者マークみたいで、ボタンは一つ。襟には黒い刺繍が入っている。今日は上にジャケットは羽織らないようだ。
 全身鏡で全体を整えてから、一緒に置いてあった整髪料で髪を撫で付けて、終了。
 それから袖のボタンが二つ外れている事に気付いて、慌てて留めた。装飾の一環なのだろうが、何故飾りボタンでなく、留めるべきボタンが8っつもあるのだろう。面倒である。
 もう一度姿見の前で一回転してから、こちらに来て鏡を見る回数が増えたものだと嘆息しながら隣室へ戻った。
 そこでまず目に入ったのは、ゲオルグ殿下だ。
 ソファで寛いでいた殿下は、今度はどこからどう見ても王族以外の何者にも見えなかった。大きな宝石の嵌った指輪を中指に光らせ、ゲオルグ殿下の大きな手が俺を招く。
「見違えたな、ツカサ。どこからどう見ても女には見えぬ」
「……どうも」
 どうせなら褒めてくれればいいのに、無駄な一言!!
 目配せで俺を一回転させて、かかと笑う。その顔を隣のハンナさんに向けて「どうだ」と聞けば、ハンナさんは顰めた顔のまま立ち上がった。
「かけて下さいませ」
 有無を言わさぬ口調で俺を対面に腰掛けさせたハンナさんは足元に膝をつき、俺のブーツの紐を解き始めた。
「……」
 その厳しい顔にちょっと不安になっていると、ハンナさんは無言のまま紐を引っ張って、血行が悪くなるだけじゃと思う程力いっぱい締めた。それから俺が四苦八苦して結んだ蝶々よりはるかに美しいそれを作り上げると、満足そうに俺を見上げて一言。
「成長なされましたね」
 これは褒め言葉の筈である。
 俺の隣に座り直すハンナさんを待って、ゲオルグ殿下は「それで」と口を開いた。
「余が留守の間、抜かりはないか」
「はい、殿下」
応えるハンナさんに迷いは無い。
「シリウス閣下のお力添えで、陛下は忙殺されておいでです。分刻みのスケジュールで面会を続けておりますので、こちらに気を配る余裕はないかと。我が兄が陛下のお傍でご機嫌を取っておりますので、そちらも問題ないと存じます」
「そうか」
「それから昨日セルジオ様がお着きになりまして、夜会の際にはお話が弾んでいるようでした」
「ふむ」
「今朝は久しぶりにジャスティン様と鍛錬場で剣を交えておいででしたから、恐らくご気分はよろしいのではないかと。
その他の件も、万事滞りのうございます」
「何よりだ。では、二人を連れて来い」
「畏まりました」
 口を挟む暇も無い二人の会話はハンナさんが立ち上がって終わったけど、ゲオルグ殿下は今度はスチュワートさんへ視線を向けた。
「スチュワート、馬車を用意しろ。城まで付き合ってもらう」
「畏まりました」
 ハンナさんに続いてスチュワートさんも一礼して部屋を出て行く。
 けれど今度はクリフの番だ。
「先に城へ行って、シリウスに事情を説明して来い」
「畏まりました。馬を一頭、お借りいたします」
 そうして二人きりになった部屋。
「さて、」
 ともったいぶる様に息を吐き出してから、ゲオルグ殿下はにやりと笑った。
「エディアルドとご対面だ。覚悟をしろよ」

 ――正装を用意された時点で、そうだと思いましたよ。




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