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14 箱庭の子供達 4
朝が来た。憂鬱な朝である。
今日は大雪らしく、深夜過ぎからびゅうびゅうと風の音が五月蠅いし、布団を出たく無くなるくらいの寒さだ。
相変わらず俺の寝床には小さな城主夫婦。
――子供はぬっくい。
なんてほんわかしている場合では無い。こんなに愛らしく見えても、その本質は危険。そう改めて気持ちを引き締める。
そして、毎日の習慣をこなすべく部屋を出た。
――朝、である。
朝練の汗を浴場で拭い、朝食の席へ向かう途中。またしてもエイジャナさんが寄って来る。その微笑は最早薄気味悪さしか感じない。
彼は俺の歌を作りたい、と異世界人の事を根掘り葉掘り聞いて来る。遠慮は捨てたようで、それはもうストレートに。
そして不思議な力なんてない、平凡な俺に落胆を濃くしていく。そんな雰囲気だ。
何がしたいのかは分からないが、この人も要注意人物、と顔を引き締める。
今日は快晴。
勉強を抜け出したネヴィル君にせがまれて雪遊び。既存の遊びには飽きたのか、新しい遊びを所望されるが、少ないレパートリーも尽きて来る。
どうしたものかと悩んでいたのだが、縄跳びを教えてやると飛び付いた。こんな単純な遊びならまだまだ大丈夫そうだ、と安堵するも、ドレスの裾が引っ掛かるとセルト姫は不満顔だ。機嫌を損ねたのか、プイッと顔を逸らし消えてしまった。
――今日もまた、朝は来る。
ゼラヒア殿下の不在が長い所為か、城内の雰囲気が変わって来た。
早朝に現れた俺の護衛兼監視役である二人の兵士は、今しがたまで飲んでましたと言わんばかりの赤ら顔。呂律も怪しいし、何より酒臭い。
大丈夫かと不安に思ったが、俺の口出す幕でも無い。
――そんな風に他人事を決め込んだ数日後、彼等の姿を一切見なくなった。
――何があったかは考えまい。
またしても朝を迎える。
昼食後、ネヴィル君に引きずられるサンジャリアンの少女を見付ける。相変わらずの痛々しい姿だが、彼女の表情からは何も読み取れない。
ただ俺を見上げる、瞬きもしない赤い目が、俺に何かを訴え掛けるようで。非難されているように感じるのは、俺の心情故の事。
ネヴィル君を新しい遊びに誘う事でしか、彼女を助けてやれない。放置された彼女は、俺達とは別の方向へ這い進んで行く。足に嵌められた鎖と鉄球のぶつかり合う音が遠のいていくのを背で聞きながら、俺は思う。
今日も思う。
神様仏様、リカルド二世陛下様、これ以上の悪夢はありません。リカルド二世の隣がどんなに平和だったか思い知りました。もう文句は言いません。いや、文句は言うけど思うけど、素晴らしい日々だと感謝してこれからは過ごします。
ですから早く、新しい朝をください。
一人、ルカナート城に取り残されても、出来る限り城内外の散策を続けている。特別物珍しいこと――は、文化の違いや異世界特有の生活様式のために色々あるにはあったが、さして重要そうなことは見付けられない。
休憩中らしき兵士が馬鹿笑いしている様子や、出入りする町の人間の顔触れを確認し、嫌々ながら勉学に励むネヴィル君やセルト姫に混ざってみたり。
時々訪ねて来るラシーク王子とは、他愛も無い世間話をする。
ラシーク王子は唯一の味方だと認識しているが、彼自身が飄々としていて確信を避けるような物言いをするので、なんとなく距離を取ってしまう。
成長期らしい彼は日に日に大人びて、見る度に印象が変わるのも理由だっただろう。
あるいはまだ、何時かの冗談を頭の片隅に残しているからか。
散策から帰った俺を部屋で待っていたラシーク王子は、デスクの上に放置していた詩集に目を通している所だった。
「ああ、済みません。勝手に見てしまいました」
「いえ、構いません」
「フーディン集――愛の歌の新刊ですね」
「はい、昨日、リカルド二世からだと届きました」
そうですか、と呟くラシーク王子が、数ページ詩集を捲る。
別れたきり、とんと音沙汰の無かったリカルド二世からだと渡されたこの詩集と、要約すると「元気でいろ」という、簡単な挨拶がしたためられた数行の手紙。
それが今朝、朝練終わりの俺にエイジャナさんが渡してくれた。手紙の封蝋が切られていたのを、エイジャナさんは申し訳無さそうに「検閲した」と釈明した。
だがをれを手にした時の俺にはその意味は分からず、待ちに待った報せかと意気揚々、朝食を掻き込んで自室に跳ね戻った。
――そして、それを見たのである。
初めてまじまじと見たリカルド二世の字は、なんというか、すごく、すごく綺麗だった。整然とした文字の並びとか、曲線とか、空白でさえ。仰々しく額縁に飾られてもいいくらい、芸術品めいた美しさだった。
しかしそんな感嘆はどうでもいい。
そこには何時迎えに行くとも、何時帰れるとも記されず、って言うか俺帰れるの? という疑問しか浮かばなかった。
絶望に襲われ数秒、いや数分? 固まった俺だが、エイジャナさんの「検閲」の言葉を思い出し、気付いた。
囚われの身の俺を救う為に、堂々といついつ何時に行きますよと書けるわけがないだろう! と。
それで一緒に届いた詩集と手紙とを、何度も何度も読み返し、そこにある真意を読み解こうと頑張った。
頑張って昨夜はソファで寝落ちするほどだった。
結局何一つ見付けられないまま、息抜きに散策に出たのだが。
ラシーク王子はさらに詩集を捲りながら、小さく笑う。
「無防備が過ぎますよ、ツカサ様。わたしがあちら側であれば、困ったことになる」
「……は?」
意味深に視線を寄越すラシーク王子が、数歩寄って来る。
「あるいは、姉上。姉上の口からエイジャナ殿に伝わる可能性も、ゼロではありません」
そしてなぜか俺の前に跪き、詩集を恭しく掲げた。さながら、王冠でも差し出すように。
「肌身離さぬくらいのお気持ちでいらっしゃらなければ、危険ですよ」
「……はあ」
大仰なその仕草に俺が素っ頓狂な声を上げるに至って、ラシーク王子は小首を傾げる。
それから幾度か瞬き、
「……ツカサ様。リカルド二世陛下の愛の言葉は伝わっていますか?」
「――はあ!?」
とんでも無い事を言われて、思わず大声が出る。
「アイノコトバ!? リカルド二世の!?」
「……成程」
一人冷静に納得するラシーク王子が、膝を払い立ち上がる。
「これはツカサ様にだけ伝わる暗号文の筈ですよ」
俺は無言でラシーク王子の手から詩集を受け取る。
いや、それは分かってる。分かっているからこそ、寝落ちするまで格闘したのだと沈黙の中に主張する。
そもそも暗号文については、すごく勉強させられた。
グランディア城で見た異世界人の記録や彼らの遺した書物も多くに暗号文が隠れていたのだ。しかも分かり易い暗号文から、やり取りをした二人にしか分からないような特殊な物まで。
“狼”との連絡も、機密文書のあれやこれも。
暗号文はそれほど重要で、その解読方法も、王妃になってから教わったのだ。
だから試した。
そして、幾つかの暗号も解読した――つもりだった。
でもいざ解読してみたら、その内容は解読する意味を持たない言葉だったのだ。
『薔薇よりもなお美しい君に 最高の薔薇を捧げたい』
『共に朝日を迎えたい』
陳腐な一節を詩集の中から謎解いた時。
『けしてヒミツをばらすな』
と暗号で念を押された時。
秘密が何の事を指すのかは定かでは無いが、それは暗号を使ってまで伝えるべき事かと頭を捻りつつ、検閲による彼等側の解読への備えであるようにも思った。前者なんか明らかにそうだ。
高校は推薦入学なのでしなかったが、きっと受験勉強よりも万倍頭を使って考えた。
今も、そうである。
唸りながら頭を抱える俺を見て、何時の間にやらソファに移動してお茶を啜っていたラシーク王子が口を開く。
「実はわたしにも、リカルド二世陛下から伝言があったのです。ツカサ様をお世話するように、と念を押されました」
「……世話」
「はい。詩集には私宛の暗号文も隠れていましてね。それによると準備は着々と進んでいらっしゃるとのこと」
平然と言ってのけるラシーク王子の背後に、花火が上がって見えた。
「って、ことは! ってことは!?」
我知らず、顔面が緩む。
「おめでとうございます」
「有難う!!」
「やっとご結婚の周年祝いができますね」
――って、そっちかーい!!
……と言うのは、冗談だったらしい。
実際に、この城をオサラバする用意も、ちゃんと進んでいるそうだった。具体的な内容は、必要無い。
リカルド二世がすると言ったら、そうなる。
今度こそはラシーク王子も、ファティマ姫を連れ帰る算段のようだ。
その日の晩餐も、就寝前もご機嫌なオレに、明らかに勘違いしたネヴィル君が同じようにご機嫌になって眠りに落ちた。
寝息を立てるネヴィル君の向こう側、ベッドの上でセルト姫の光る目が俺を見る。
『良い夢を、ツカサ』
『良い夢を、姫』
就寝の挨拶を交わし、瞼を閉じる。
――新しい、朝が来る。
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