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13 異なる国 3



 数日の間、ルカナートはとんでも無い大雪に見舞われていた。
 室内に居ても吹き荒れる風の音が聞こえ、時折おぞましい叫び声のようなものまで響いた。
 外出の困難なこんな日は、戸窓は完全に締め切られる。
 朝食から昼食までの間、皆で手持ち無沙汰に広間に集まっていたが、昼食を終えた後はそれぞれが自室に戻っていた。
 俺はその時間を使って、城の探索――もとい、『狼』の格好で城の中を歩き回っていた。
 『狼』の中身が何者であるのか、知るのはゼラヒア殿下やヨアキム将軍程度で、その他にとってはグランディア王国の兵士の一人でしかない。
 なぜ顔を隠し、言葉も喋らず好き勝手に町や城内を歩き回っているのか――というような事は、誰も何も言わない。恐らく影で噂話に興じる事はあるだろうが、ゼラヒア殿下が客の一人として認めたのならそれ以上詮索するのは野暮というものだろう。
 そしてゼラヒア殿下にとっての俺――ブラッドは、グランディア王家の複雑な事情により、素性を隠していたい特殊な立場にある人間、というような認識であるようだ。
 どんなやり取りがあってブラッドが受け入れられたのか、俺には分からない。
 城の中もあらかた案内され、特段目新しい物は見付からない。それでもブラッドは、リカルド二世陛下に命じられるまま、あっちへこっちへふらふらしている。
 そうしながら時折耳に聞こえて来るダガート語の会話が、持ち帰れば有益な情報になったりするのだ。何て事無いようなルカナートの日常や、慣わしや、噂話の類が、ルカナートの兵士が仲間に零す愚痴が。
 誰も彼もが『狼』がダガートの言葉を解しているとは思っていない、だからこそ、そこかしこで好き勝手に言葉を交わす。
 そんな様子を、俺は見る物触る物が全て目新しいのだというように、壁に手を這わしたり装飾品を眺めたりしながら聞いているのだ。
 時には頭のイカレた奇妙な人間、そんな風な視線に晒されながら。

 この日はクリフをお供に従えて――というのも、ブラッドは兵士に扮しているだけで護衛される身でもあるので、大体近衛騎士の誰かやルカナートの兵士を連れているのだ――城の廊下を歩いていた。
 するとどこからか、微かに楽器の音色と静かな歌声が聞こえてきた。
 余りパッとしない、この陰気な空気に合わせたような重々しい音色で、しかし歌い手の声は澄んだ高音だ。
 何と無くそちらの方角に足を進めて行くと、音が大きくなるにつれ冷たい風を感じる。
 肩を抱えながらも、音に導かれるまま進むと……開いた出窓に腰掛けて、吹き込む雪風を浴びながら、青年が一人、楽器を弾いているのが見えた。
 どれ位そこに居るのか薄っすらと身体に雪を被り、それでもひたと外を見据えている。
 その人に、見覚えがあった。
 クリフもそうだったのだろう、「あれは……」と小さく呟く声。
 ふ、と流れてきた音色が途切れて、青年がこちらに顔を向ける。
 雪にも負けないくらいに白い肌、唇すら紫に染めた、まるで死人のような顔。
 それでも見開かれる瞳には生気が宿る。
 記憶の中のその人は、その時もやはり今と同じように、玲瓏な声で歌っていた。
 ファティマ姫に請われ、俺との出会いを詩にして。
 名前は確か、そう。
「……エイジャナ殿」
 低く呟かれたクリフの言葉に、え、と顔を上げる。
 狭い視界の中のクリフの表情は、固い。
 自然な動作で半歩前に進み出て、それなのにどこか警戒心を纏った空気で、軽く頭を下げた。
 エイジャナ、と呼ばれた、恐らく記憶の中のその人は、出窓から軽やかに降り立つと応えるように礼の姿勢を取った。
 それから気付いたように被った雪を払って、開いた窓を閉じた。
 白い雪に照らされて明るかった室内が、闇を濃くする。
「グランディア王妃の近衛騎士様、でしたね」
 歌っていた時と同じ透き通った声で、エイジャナさんはクリフを見つめて、それから俺に視線を寄越した。
 軽く目を見開く仕草に、俺の代わりにクリフが答えてくれる。
「こちらはシゼ・ブラッドであらせられます」
「……シゼ・ブラッド……」
 エイジャナさんは口内でそっと呟き、驚いたような表情を見せてから、小首を傾げた。
「シゼルもおいでとは存じませんでした。私を覚えておいでになりますか?」
 言葉は返せないので、代わりに大きく頷く。
 やはり、なのだ。
 エイジャナという名前に覚えは無いが、彼の姿は見覚えがある。吟じる歌声と共に、色鮮やかに。
「光栄にございます。……そう、そうなのですか。……貴方が」
 何に納得したのか、数度頷いて、それから怪訝そうなクリフに気付いて困ったように笑う。
「失礼致しました。『狼』の噂は聞いておりましたが、よもやシゼルでいらしたとは存じませんで」
「……シゼルとはどちらで?」
「私はティシア王女殿下のサンティの折り、アル・シャディ・ファティマの供としてグランディア城内に滞在させて頂いておりました。その際アル・シャディ・ファティマとシゼルの前で一曲諳んじさせて頂いたのです」
「……成程」
「此度もアル・シャディ・ファティマのお召しで、ルカナートに滞在しております」
 二人の会話を聞きながら、最近の癖でエイジャナさん――イクタルと呼ばれていたと思ったが――を観察してみる。
 会話に入る事が出来ないので、クリフが何所で彼と会ったのか、疑問を口にする事が出来ないのだ。
 それは後でクリフに聞くとしよう、と考えて、エイジャナさんに視線を這わせる。
 雪を被っていた所為で血色が悪いままのようだが、寒くないのだろうか。毛織物を肩から羽織っているが、その下は随分薄着のようだし。
 ……というか。
 というか!!
 窓から吹き込んだ雪溜まりに、赤い斑点が出来てるんだが!
 どう見ても、血のそれである。
 俺は慌てて、クリフの袖を引いた。
「どうなさい、」
 俺の視線を追ったクリフの言葉が途切れる。
「エイジャナ殿」
「はい?」
「どこかお怪我をされてるのでは?」
 怪訝そうに視線を落とし、血の痕を見つけたエイジャナさんが、事も無げに「ああ」と笑う。
「手の皮を切ったのです。良くある事ですよ」
 両手の指を撫で合わせて振り返り、出窓に置いた楽器を手にして見せる。
「このように寒い場所だと、弦が凍ってまるで鋭い刃のようになる事があるのです。奏じるのに夢中だと、痛みに鈍くなる性分ゆえ」
 それにしては、結構な血が染みを作っているようだが、大丈夫なのか。
 俺の心の声が聞こえたように、エイジャナさんが再度微笑む。
「大した傷ではありません、どうかお気になさらず」
「余計な事とは思いますが、でしたらせめて、このような場所は避けられた方が良いのでは?」
「私は、自身で見て触れてこそ、血の通った詩を作れると思うのです。戦を知らずに、鬨の詩は謡えません。吹雪く雪の熱を、音を知らずに、この地の詩は作れない。この地の者に届く詩は、共に立って初めて響くものだと思うのです」
 クリフの言う通り、わざわざ窓を開けて雪を被って、更に寒い場所で演奏する事も無いだろう。誰に命じられたわけでもないのだろうし。
 それでも、エイジャナさんの言う事も分かるような気がして。
 それがエイジャナさんのプライドで、だからこそ俺の耳に、エイジャナさんの歌は鮮やかに残っていたのかもしれない。
 そんな風に思っている間に、楽器を抱え直したエイジャナさんが、そっと頭を垂れる。
「それでは、私はこれで」
 通り過ぎざまに会釈を交わし、遠ざかっていくエイジャナさんを見送る。
 ふう、とクリフがついた溜息の理由は分からない。
 見上げた先で苦笑されて、先を行くように促されて歩を進める。
 びゅう、と一際高い風の唸りに、閉ざされた窓板が軋んだ。
 出窓の下に溜まった雪の塊、そこに落ちた血の赤。
 それが緩く溶け出して、床の隙間を流れていく。
 微かな冷気にぶるりと背が震えた。
「寒いですか?」
 目敏いクリフの問い掛けに首を振って、記憶の中の日本の冬を思う。
 手が凍る冷たさを、悴んだ指の感覚を。
 それから、エイジャナさんの白い顔を思い出した。




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