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12 獣の住む城 9



 ツカサやリカルド二世らがドラグマへ向かって暫く、ヤコブはその二人の部屋で、手持ち無沙汰に座っていた。
 部屋の掃除をして――と、考えても、滞在期間がまだ三日目であったから、特段目立った汚れも見付からず、する事が無くなってしまった。
 故郷に居た頃は、農作物や家畜や弟妹達の世話にと忙しく、暇を感じた事は無かった。
 グランディア城へ連れて来られてからの短い月日も、覚える事ばかりであっという間だった。
 王妃やブラッドの身代わりを務める少ない日々には、緊張もすれば心労もあった。雲の上の人であった国王陛下や、騎士達の前では、どうしようも無い恐れを感じもした。
 今でさえ、ヤコブは自分がこうして、ルカナート城に滞在している事が夢のように感じられていた。
 自分の暮らしていた、狭い村だけが、それまでのヤコブの全てだった。一生涯、その村で、暮らしていくだけだと思っていた。
 大それた夢や希望を抱く余裕が、その日々の暮らしには無かった。
 けれどヤコブは、その日常に不満を感じた事すら無いのだ。
 もし願った事があるとすれば、家族が餓える事も無く、幸せに暮らしていける事。出来ればもう少し暮らしが豊かになって、弟妹の欲しがる菓子を買ってあげたり、隙間風の忍び込む家を直す余裕が出来たり、がむしゃらに働く父母を楽にしてあげられれば――どうしたらそれが叶うのかも知らずに、思っていた。
 けれど今、自分がこうしてここで、ツカサの身代わりとして存在する事で、その小さな願いは成就した。
 与えられた賃金は、ヤコブの望みを果たしてもなお、有り余る。
 その事に大いに感謝して、ヤコブはツカサに仕えている。
 場違いでしかない、そんな風に萎縮するヤコブを、何時も「俺も同じだ」と笑ってくれた人。風変わりな異世界人。
 ヤコブには、ツカサが生まれ育った世界の事は、想像がつかない。
 初めて彼女に引き合わされた時、ヤコブにとって彼女は、他の誰とも同じように自分とは交わらない――それこそ天の上で暮らしているような、遠くの、物語上の登場人物のような存在だった。
 同じ世界の、同じ人間ではない、別の何か。
 本来なら言葉を交わす事も、その顔を見る事すら、出来なかった筈の存在。
 どう接して良いのか分からず、挨拶すら喉に詰まった。
 それまでも、言われた事にただ頷いて、気付いたらそこに立っていたようなものだった。
 異世界からやって来た、王妃。神に等しき、無二の存在。
 彼女を前にして、ヤコブは、恐れ慄き震えていた。
 自分の弟に似ている、と、懐かしむような、それでいてどこか淋しそうにヤコブを見つめたその人は、俯くヤコブを覗き込むように屈んで、右手を差し出した。
 これから宜しく、と萎縮するヤコブを真っ直ぐ見つめて、朗らかに笑う。
 ヤコブの知らない、遠い世界からやって来た、人。
 何時しか彼女は、ヤコブにとって仕える主人であり、頼れる兄や姉のようにもなり、また、何所か危なげな弟妹のような存在になった。
 この人の為に、自分は何が出来るだろう。そんな保護欲のような、崇拝心のようなものを、ヤコブはたった数ヶ月の間に抱いている。
 ヤコブにとってツカサの代わりを務め、彼女の世話を焼く日々は、仕事以上のものになりつつあった。
 部屋の壁に立てかけられた、不思議な形状の棒が、ふと目に付く。
 ツカサの世界で、『竹刀』と呼ばれる物に似せて作ったと言っていた。木の枝を真っ直ぐに整えた、飾り気の無い剣のようなもの。
 毎は朝それを振るって、鍛錬に勤しむ。
 女性なのに、騎士のような訓練を幼い頃から行ってきた。
 今朝も出掛ける前に、部屋の隅で、長い事それを振るっていた。
 余りに集中した様子で、出掛ける準備を急かす事も出来ず、ヤコブは見惚れるようにしてその姿を見ていたものだ。
 その所為で準備が遅れ、リカルド二世陛下の冷たい視線に晒されて、ツカサは随分居心地が悪そうに旅立って行った。
 その様子を思い出して申し訳なく思いながら、ヤコブは改めて部屋を見回した。
 今日の自分は、体調を崩した王妃の代役だ。
 昨日ヤコブが留守の間にネヴィルやセルトに随分気に入られたらしいツカサを、見舞いと称したその子等が、何度も遊びに誘いにやって来た。
 その度に、部屋の外で待機しているクリフが少年達を追い返している。
 ヤコブとツカサは背格好や印象が似ていても、兄弟でも無ければ親類でも無い。近い距離で顔を合わせれば別人だと知れるだろう。
 どうあっても彼らを部屋に入れるわけにはいかないのだが――今も、部屋の外が騒がしいのは、二人の子供がクリフに詰め寄っているからだ。
 先程二人がやって来た時にはヤコブも扉に張り付いてその様子を伺ったものだが、クリフは「なりません」の一言で頑なに拒絶を見せていた。その頑固な態度にネヴィルの機嫌は悪くなる一方で、一度退いて戻って来た今は、寝台の側に居ても押し問答の様子が聞こえてきている。
(このまま押し切られるような事があったらどうしよう)
 ヤコブは不安げに眉を下げて、寝台に乗り上げた。
(もしもの時は、寝たふりでやり過ごそう。……大丈夫かな)

 一方のクリフは、肩を怒らせ目を吊り上げた少年を見下ろしながら、無表情を保ち続けていた。
「ツカサ様はお休みになられています。どうか、お静かに願います」
「兵士如きが生意気を言うな!」
 地団駄を踏むように足を踏み鳴らす少年の顔は、仄かに紅潮している。
「お前、南の蛮族だろう! お前のような汚らわしい人間が、余に口答えするな!」
「……」
「聞こえているのか、この木偶の棒!」
 激昂するネヴィルの一歩後ろでは、巻き髪の少女が小首を傾げてその様子を見ている。セルトにはどうやら、言い合いの様子は伝わっていない。
 彼女はダガートの言葉以外は分からないようで、一方のクリフにはダガートの言葉を解す事は出来ない。
 朝から何度も主人の部屋を訪問して来る二人の子供は、昨日一日の間にどうやらツカサをこの上なく気に入ったようだった。昨日の遊びの続きを、と、訪ねて来る度にクリフが追い払い――その度に、少年はすこぶる不機嫌になる。
 溜息をつきたい気持ちを堪えて、クリフは少年の怒鳴り声を聞いていた。
『ねえ、ネヴィル。わたくし思うのだけど』
 その様子を静観していたセルトが、ネヴィルの裾を引く。
『何だ、セルト!』
『ツカサの具合が悪いのなら、外で遊ぶのは無理でなくて?』
『だが余は昨日の続きがしたいのだ!』
『それはわたくしもよ』
『なら!!』
『でも、それが邪魔でツカサに会えもしないじゃない。だからまずは、その邪魔者をどうにかして頂戴?』
 無邪気に微笑む少女と、憤慨する少年とを交互に見ながら、クリフは理解できない会話を聞いていた。
『蛮族の一人や二人、居なくなっても困らないでしょう?』
『……それも、そうか』
 小さな頭が振り返り、クリフを見上げる。悪戯を思いついた子供のようでありながら、そこに殺気めいた光を感じて、クリフは僅かに双眸を細めた。
 けれど、殺伐とした空気に割り込む声があった。
『お止めなさい、殿下』
 響いたそれは、まるで音楽を奏でるかのように滑らかだった。
 廊下の奥に、男が一人、立っている。質素な防寒着で身を包んだ男は、『エイジャナ』とネヴィルに叫ばれて、一礼した。
 どうやら、それが名前のようである。
 薄い金髪に、雪のように白い肌。体躯は細く、帯刀しているような様子は無い。
 ダガートに入ってから鋭く周りを観察していたクリフにとっては、初見の相手だ。
『病人の部屋の前で、あまり騒ぐものではありませんよ』
 声は静かに、歌うように紡がれる。
 解せぬ言語ながら、その音はクリフの耳にも心地良い。
 エイジャナと呼ばれた男はゆっくりと三人に歩み寄って、ネヴィルに視線を合わせるように腰を落とした。
『セルト様も、あまり無茶を仰られませんように』
『まあ、エイジャナ。わたくしが悪いと言うの?』
『そうではありません。ただ――その者は、カティ・エスカーニャの大切なご友人でいらっしゃる。カティ・エスカーニャを悲しませるおつもりですか』
『まあ、そうなの』
 何とか紡がれる名前だけは拾いながら、クリフは三人の様子を見守るほか無い。
 セルトの表情からは何も読み取れないが、小さく唸るネヴィルを見ると、エイジャナが二人を嗜めているような様子ではある。
『エイジャナがそう言うのなら、仕方無いわね。ネヴィル、諦めましょう』
『……余は、』
『ネヴィル?』
『……分かった』
『ようございました』
 ――どう話が決着したのか、二人の子供は手を繋ぎ合って、去って行くようだった。
 去り行くその背を、狐に抓まれたような気分で見送るクリフに、エイジャナが声を掛ける。
「殿下方が、失礼致しました」
「いえ……こちらこそ、助かりました」
 少ない言葉を、クリフは答えを紐解くように咀嚼する。身内を謝罪するような言いようから、このエイジャナという男はダガートの人間なのだと分かる。
「妃殿下のご加減は如何ですか」
「……大事を取ってお休みされているだけで、明日にはお元気になられるでしょう」
「それは良かった。では、私はこれで」
 会釈を交わし、そのまま別れると思われた間際――エイジャナは振り返って言った。
「お元気になられたら、アル・シャディ・ファティマにもお会い下さるようお伝え下さい」




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