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12 獣の住む城 6



 サンジャリアンの少女は、生きているのが不思議な位に、生気に乏しい。青白い肌の下にとても血が通っているようには見えず、それこそ城壁に吊るされていた死体のようだ。首に繋がされた鎖に、手足には重たげな鉄球。
 それなのに鮮やかな真紅の瞳だけに、熱を感じる。
 そこに、リカルド二世陛下に感じるような神がかった美貌は無いのに、同じような神々しい輝きが潜んでいた。
 例えるならそれは、ピカソの絵だ。技巧も、構図も、他のどんな色彩に溢れ緻密に描かれた美しい絵とは違うのに、目を離せない鮮烈な印象を残す、あの奇妙な絵。
 彼という強烈な個性が、これでもかと描かれていたそれ。
 少女はそれと同じように、『在る』だけで、奇妙な存在感を放っているのだ。
 ただただ圧倒される、その事に、俺は動揺していた。
 彼女は同じだったのだ、ルビスで出会ったサンジャリアンの一行の、誰とも。マネキンのように佇んだ奇妙な一団、大人びた少年、盲目の老人、彼等と共通した強烈な違和感。
 あの日頭の内に閃いた、目を象った赤い紋様がちらついて、少女の瞳に重なる。
 まるでこの世に、今、俺と少女しか存在しないかのような、隔離された空気を感じた。
 耳に届く全ての音が止んで、奇妙な静寂が広がる。
 けれどそれは、俺の感覚上の話だったのだろう。
 くいっと袖を引かれ、無意識に視線を向けると、それまで霞んでいた周りの景色が飛び込んだ。
 傘を広げた従者を背に従えて、ネヴィル君と同じ年頃の少女が、無邪気な笑顔を浮かべて俺を見上げていた。
 茶色い巻き毛が印象的な、可愛らしい少女がそこに居た。
『貴女が、グランディアの王妃様ね?』
 鈴が転がるような軽やかな抑揚で、呪文のような理解できない声の一瞬後に、同じ声で別の言葉が重なる。
 耳に慣れない、二重音声のように聞こえたそれに、一瞬顔を顰める。
『カティ・エスカーニャ(エスカーニャの娘)って、本当なの?』
 奇妙に重なる二つの言葉は同じ音程で聞こえるので、少し聞き取り辛い。けれど、彼女が何を聞いているのかは理解していた。
 ただ言葉に窮したのは、そのせいばかりでは無かったが。
「姫君は、グランディア王妃がエスカーニャの娘――異世界人なのかとお聞きです」
 ヨアキム将軍は通訳のつもりなのだろう。
 理解した質問を、俺が分かるように公用語であるグランディアの言葉で、説明してくれた。
 言葉は全て頭の中で勝手に翻訳されているが、この頃の俺はそれがどの言語なのか、何と無く分かるようになっていた。一語一語の響きというか、イントネーションというか、同じように翻訳されても些細な違いがそれぞれにあるのだ。
 とは言っても、グランディア語なのか、違うのか位にしか分からないけれど、基本的にこの世界で話される言語は共通していた。
 元々大陸の中心で派生した人間が、そこかしこに散らばっていったのだ。元々その地に暮らしていた少数の民族は併呑され、僻地に生まれた国家でも、今日には共通語を話す。
 まあ誰が何語を話そうが、俺には関係の無い事だけど。
 ヨアキム将軍は、その事を知らないのだろう。
『姫君、こちらは真実、カティ・エスカーニャでいらっしゃるようです。御名をツカサ・アラクシスと仰います』
『まあ、素敵。ヴァイゼ(将軍)、わたくしの事もご紹介下さる?』
『仰せのままに』
 ヨアキム将軍とセルト姫はそんな事を話した後、二人してこちらに顔を向けた。
「グランディア王妃、改めまして、こちらはネヴィル殿下の第三夫人、セルト・エルケス姫でございます」
『お会いできて嬉しいわ』
「妃殿下とお会いできて喜んでおられます」
 本当は通じているのでヨアキム将軍の通訳は無駄なのだけれど、それは言わない方が良いだろう。
 俺は小さく頷いて、その小さな姫君に対して腰を落とした。
「ご挨拶が遅れた事をお詫び致します、セルト姫。こちらこそ、お会い出来て光栄です――とお伝え頂けますか?」
 セルト姫に微笑んでから、ヨアキム将軍に伝える。ヨアキム将軍はそれをまた通訳してくれた。
『セルト、行くぞ』
 それまで不機嫌に沈黙していたネヴィル君が、そこでやっと口を開いた。短く告げてセルト姫に右手を差し出す様子は、少し微笑ましく見えるものの。
『気分を害した』
 唾を吐くように続けた物言いは、余り可愛くない。
『待ってちょうだい、ネヴィル。わたくし、まだカティ・エスカーニャとお話したいわ。宜しいでしょ?』
『何を話すんだ』
『あら、だって……』
 セルト姫の大きな瞳が、サンジャリアンの少女に向かう。
『アレを返してもらわなくちゃ。わたくし達のおもちゃ』
 まるでその事を今思い出した、とでも言うように、ネヴィル君が目を見開く。
 俺もまた、別の意味で息を呑んだ。セルと姫が当たり前のように、少女を指して『おもちゃ』と言った事が、信じられなかった。
『どなたか通訳して頂戴。アレを返して頂かないと』
 そうだったな、と大仰に首肯したネヴィル君が、言う。
「おい、お前。ソレを返せ。余の物だ」
 消えかけていた怒りが、再燃するのが分かる。
「……彼女は『物』ではありません」
「――何だと?」
 顔が、声が、強張るのが分かる。吐き出した声は、酷く硬かった。
 それに触発されるように、ネヴィル君の声も低くなる。
「グランディア王妃、不用意な発言は自国の為になりませんよ」
「その通りだ!」
 背後からツカサ様、と小さく呼ぶ声が聞こえる。
 ぐっと、喉まで出掛かった怒りをやり過す為に、拳を握った。
 グランディア王妃としての立場。けれど、許せない現状。どちらを優先しなきゃいけないか、分かる。分かっているつもりだ。
『なあに? 何を怒っているの、ネヴィル?』
 のどかにも聞こえる、セルト姫の声。
 その無邪気さが、現実を目の辺りにさせる。
 当たり前のように、『おもちゃ』と言った。『物』と言った。悪意の欠片も無い、彼女達にとっての当然の認識なのだから、俺が何を言っても覆らないのだろう。
 そしてそれを無理矢理捻じ曲げようとすれば、責を被るのは、自分だけでは無い。
 ああ、でも、それでも――。
 振り返った先のサンジャリアンの少女。唇を噛むクリフ。
 剣呑な空気を醸すヨアキム将軍。不機嫌なネヴィル君。笑うセルト姫。
 助けを求めるようにリカルド二世の顔を思い浮かべても、ここに彼は居ない。
 もし陛下が居たら、彼はどんな選択をするだろう。
 それは、考えても意味の無い事だ。
「……もっと、別の、」
 細く息を吐き出して、俺はネヴィル君、そしてセルト姫を見た。
「もっと、他の、楽しい遊びをしませんか?」
「何だと?」
「私の世界での雪遊び、お教え致します。きっと、もっとずっと、楽しく遊べると思います」
 ただ一時。
 今を、逃れるだけかもしれない。
 それでも、このまま、サンジャリアンの少女を引き摺られて行くよりは良いと思った。

 雪だるまとかまくらを作り、雪投げをした。滑り台を作って、その上をそりで滑った。
 ネヴィル君とセルト姫は、思った以上に楽しんでくれたようだった。
 ついでに鬼ごっこと、かくれんぼをした。
 それにも、二人はご機嫌にはしゃいだ。
 そんな簡単な遊びさえ、彼等が知らない事に驚く。
「捕まえたぞ、ツカサ!」
 その途中、俺の呼び方が変わっていた。
 鬼役だったネヴィル君は、俺のドレスの裾を掴まえて、勝気に笑う。
 そうしていると、年相応の少年でしかなかった。
 ヨアキム将軍やクリフまで巻き込んで、和気藹々と走り回る。
『セルト、来い!! こっちだ!』
 足場の悪い中、跳ねるようにして二つの小さな背中が走って行く。
 こちらは慣れない分厚い雪に、足を取られてもがいているのに容赦が無い。
「来るな、来るな!」
 追いかける俺に雪玉を投げるネヴィル君の笑い声が、木霊する。
 セルト姫の手を引いて、あっちへこっちへ跳ね回る。
 その後を追いながら、セルト姫が小さく振り返って笑った。
『ツカサ!!』
 辺りには既に、夜の気配が濃厚だ。
 城のあちこちで篝火が焚かれ、仄暗い世界で揺らめいている。
 けれど、光っているのはそれだけじゃない。
 少女の目が、少年の目が、将軍の目が――ダガートの人間の、その誰もが――闇の中で、瞳だけを、ギラギラと光らせていた。
 まるで闇の中を躍る蛍のように、その瞳だけが、鈍色に輝いていた――。




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