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12 獣の住む城 2



 明朝、ルカナートへ向かう一行は象、というかマンモスにも似た動物に引かれる馬車――この場合は馬車じゃないが、何と言ったら良いのか――に乗って、関所を出発した。
 アント、という動物は、毛むくじゃらの象で、マンモスを小さくしたような鈍重そうな生き物だった。長い鼻と牙が特徴的で、鳴き声はやはり象のそれ。
 先頭のアントは車を引かず、左右に正面を向けたスプーン状の鉄板を鼻で押して進んで行くらしい。見た目はブルドーザーのような印象を受けるが、それで雪を掻いて後続の為に道を作るのだそうだ。
 そうしてダガートの兵士はそのアントに跨る。
 ダガートではアントが馬の役割を担っているようだった。
 グランディアから連れて来た多くの兵士とはここでお別れ。国王陛下と王妃の近衛騎士が十人ずつ続く事を許された。その中にはブラッドに扮したヤコブも居る。
 侍女等はルカナート側で用意するとの事で、ルーシーとしてのヤコブを連れて行くわけにはいかなかったのだ。
 バアルからはラシーク王子と護衛が二人。
 モノス大公夫妻もそれぞれ十人の兵士。
 関所で合流したのは他に四つの国の招待客で、その内三つはダガートの同盟国という位置にある。この同盟国というのは、グランディア等のエスカーニャ神信仰の国が結ぶ、表向きの同盟とは異なる。無神教であったり、極近年生まれた新興国であったりするから、ダガートとの同盟は純粋な利害の上で成り立っている。
 つまるところ、敵の懐に入るには心許ない味方の数だった。
 何の目的でリカルド二世がルカナート城の建城祝いに参じるのかは良く分からない。
 単純に、ルビスに居たサンジャリアンを救出する名目だったのかも、と無い頭で考えた俺だが、今日に至ってそれはおかしいのではと思った。だってサンジャリアンの救出は、旅の途中で突然生まれたのだ。
 さて、ではどうした理由か。
 ――それを考えると、何だかあんまり歓迎出来ない事態になりそうな気がするので、陛下が関係無いと言うのなら、俺はそこは突っ込まないでおこうと思う。
 必要であればその時々、リカルド二世が言葉少なにすべき事を命じるのだろうから。
 兎にも角にも前夜眠れぬ夜を過ごした俺は、この日もアントが引く車の中で呑気に眠りこけていた。

 ダガートに入ってから三日を見込んだ旅程は、思ったよりも順調に進み、二日目の夕方にはルカナート城に到着する事になった。
 というのも、ダガートでは毎日降り続くような雪が、殆ど止んでいたのである。お陰で退屈な事を除けば何の問題も無く、ルカナート城に辿り着いた。
 その頃にはまた雪雲が空を覆っていたが、吹雪く程のものではなかった。
 そうなれば、物見遊山の気分でやって来た俺が外の様子を見物したくなるのも当然と言えるのではないか。
 寒い、と文句を垂れるリカルド二世を無視して、開いた窓から顔を突き出して、ちらちらと落ちてくる雪も何のその、四方に広がる白い山の稜線や、雪を被った針葉樹の群れ、町の頑丈そうな家々を眺め見て、感嘆の声を漏らす。
 車と並走する騎馬に跨ったライドが、その度に呆れながらも細かい説明をくれるのを聞く。
 例えば家々の窓が最上階にしか無いのは、降雪量によっては下層の部分が雪に埋まってしまうからだとか、グランディアでは貴族以下の家には風呂が無く大衆浴場があるが、ダガートでは水に困らないので一家に一つ以上の風呂があるとか。
 けれどそれを楽しめたのも、ルカナート城への跳ね橋を渡る所までだった。
 城壁にぶら下がっていたあるモノを見た瞬間に、窓を閉じて車内で震え出してしまう。
 恐らく顔面は蒼白であっただろう。
 自分の体を掻き抱き、吐き気を催して口元を覆う。
「だから言っただろう」
 と告げるリカルド二世を咎める余力など無い。
 あんたが言ったのは、寒いの一言だけだ。それが窓を閉めろ、という意味では同じでも、初めからこの事態を教えてくれていたら、大人しく引っ込んでいた筈だ。
 ダガートの愚かな行いの一つ、として、聞いていたのに。
 どうして俺は、城壁にぶら下がるそれを遠目に見ていた時に、思い出せなかったのか。何故、変わった装飾でもしてあるのだろうか、なんて胸を躍らせたのか。
 城壁にぶら下がっていたのは、人間の躯だった。
 その様子を詳しく語りたくは無いけれど、そうは思う程に目に焼きついたそれが鮮明に脳内に浮かぶ。
 気候柄なのだろう、腐敗は余りしていないようだった。蝋人形のような素肌を晒していたが、突き刺さったままの矢などもそのままで、所々の皮膚が抉れていたり、あるべきものがなかったり、欠けていたり、骨が露出しているような部分もあったり――。
 ととととと鳥肌ものだ。
 っていうか、無理。許容範囲外!!
 そもそも死体を見た事が無いのだ、俺は。小さい頃に祖父母の葬式で棺桶の中のそれを見た事があるけど、まるで眠っているだけのようで、死体という認識が無かった。
 道路で轢かれたらしい猫の死骸も、また同じ。
 お化け屋敷の落ち武者や、ゾンビ映画にだってこれ程の怖気悪さは無いだろう。
 リアル。
 本当にそこに存在する、生々しい躯。
 歯の根が噛み合わずに、ガチガチと五月蝿い音を立てている。
 飾りか何かのように、当たり前のように釣り下がっていた。そう遠くない過去に、生きていたであろう人達だ。名前も顔も知らない、何の縁も無い。
 あれが狩られた獣であったなら、きっとこんな風に思わない。顔を顰める事はあっても、許容出来た。
 ――でも。
 何かの罪があったとしても、あんな扱いを受けるのは哀れだ。
 それを当たり前のように出来るのが、この国なのだ。平然と受け入れ、暮らしているのがその民なのだ。
 ああ、そう。今更だ。
 ――今更だけども。
「……へーか」
 沈黙の向こうで、リカルド二世の視線が俺に向く。
「……無理」
 堪らず対面に座る陛下の足元に縋りつき、激しく首を振って俺は訴えた。
「無理無理無理無理、絶対無理!!」
 これならグランディアで、陛下にへーこらして、王妃として笑顔を振り向いている方が余程マシだ。
 今なら陛下との結婚一周年すら嬉々として祝える。
 グランディア万歳!! 平和万歳!!!
 リカルド二世の右足を懐に抱き込んで、俺はその無表情を必死で見つめた。
 けれど、そう。
 陛下に慈悲なんてあろう筈も無い。
「言った筈だ」
 その声は何時だって変わらない。恐ろしい程無機質で、感情の無い、冷たい宣告。
「慣れろ」
「――これの事!?」



 多分、ルカナートでも仲良し夫婦アピールをする、という事なのだろう。
 それでも、車を降りる際に差し出されたリカルド二世の手は、それからずっと俺を支え続けた。
 そうでなくとも、俺は離すものかと必死で陛下の腕を掴んでいたけれど。
 不恰好でないように、陛下の腕に潜らせるような形で組むように修正されて、思いの他密着する事になっても、俺はそれを受け入れた。
 ダガートの国民だと思われる人間を見る度に、悲鳴を上げそうになって、もう何も視界に入れたく無いが為に俯く。
 だって、もしかしたらあの純朴そうな兵士が外の亡骸を作り上げたのかもしれないし、もしかしたらあっちの色男かもしれないし、もしかしたら綺麗なメイドさんがそうかもしれない!!!
 ルカナートの主であるダガート国王の末の弟、オンリウム・ゼラヒア大公殿下に引き合わされた時も、俺は全く顔を上げる事も出来ずに、ただ出来うる限り身体を縮めて、リカルド二世に縋っていた。
「そちらが異世界人の王妃か」
 笑いを含んだ声が、嘲りを隠さずに響く。
 それが、ゼラヒア大公殿下の声なのだろう。地位の所為なのか、元々の気性なのか、尊大さが滲んだ口調だった。
 下げていた頭を上げて、リカルド二世が頷いた。けれどそれ以上の説明は不要と、リカルド二世は淡々と、決まり文句のように短く挨拶を述べる。
「ルカナート城建城と子息の生誕日をお祝い申し上げる」
 もう一度陛下が頭を下げるのに、俺も慌てて続いた。
「旅は堪えたろう? 寒さにも雪にも、お前達には耐性がなかろうよ」
「ああ、確かにその通りだ。これの故郷では雪も降るようだが」
 これ、といって陛下の掌が俺の腕を軽く撫でていった。
「性急で悪いが、妃を休ませたい」
 そしてそのまま、リカルド二世は唐突に、会話を打ち切る。
「部屋へ案内させる。晩餐には揃って出るのであろうな?」
「勿論」
 短い静寂が落ちる。
 ゼラヒア大公殿下が大仰に手首を返すと、背後で扉が開く音がした。
「ルカナート滞在を楽しまれよ、皆の衆」
 喉で笑うように微かに響いた笑い声は、酷くおぞましく聞こえた。




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