template by AAA -- material by NEO HIMEISM







BACK  TOP  NEXT



11 旅路 9



 不穏なラシーク王子の呟きに、どう返して良いものかは分からない。ただ、頷ける所はあった。
 神様、という者がどういう容貌を持っているかは想像も出来ない。映画や本が示す所の神、という存在は、見た目には俺達とそう変わらないけど、実際にお目にかかった人が描写したものとは違う、と思う。
 サンジャリアンはエスカーニャ神の息子、サンジャルマの血を引いている。だからといって神話時代のそれが、どこまで力を持つのかは分からない。
 見た所の彼らは、ラシーク王子の言う通り、血が混ざり過ぎたのか瞳や髪の色、顔立ちは皆違って見えた。
 同じなのは、額に赤い目を描いていた事だけ。
 見た目だけで言えば、ラシーク王子の方が異質、というか。
 確かにラシーク王子の言う様に、彼らがサンジャリアンだと確証を持てる要素は無いのかもしれない。
「けれど、リカルド二世陛下には確証があられる様子ですし。わたしが期待を持ち過ぎなのかもしれません」
 ラシーク王子は意見をあっさりと翻し、両腕で自分の身体を抱いて、肩を摩った。
「寒いですね」
 何事も無かったように、話を打ち切る。
 こちらを不安にさせておいて、何ともあっさり。
 ラシーク王子の興味は、サンジャリアンから失せてしまったようだ。
「先に下山したら叱られるでしょうか」
「――それは、」
「冗談ですよ」
 言い淀むクリフに、もう一度マフラーを引き上げながら言うラシーク王子は、向こうに薪が焚かれたのを見て、暖を求めたのか去って行った。
 その背は、以前に見たそれより、広く逞しい。
 だからなのか、彼に対する印象すら変わってしまった。含んだような物言いは確かに彼だと思うのだが、何かに苛立っているというか、どこか纏う空気が刺々しい。
 元々ラシーク王子を理解できていたわけでは無いけど、と独りごちて、俺もまた寒さに身体を縮めた。
 それを見てか、風を遮るような位置にクリフが立つ。
「ルカナートは、もっと寒いんだよね」
「……そうですね、きっと」
「やだなあ、寒いのは」
 苦手なんだよねえ。寒さを紛らわす為に、雑談を振ってみる。
「私も、得意ではありません」
「というよりも、得意な者の方が珍しいでしょうね」
 イブラヒムさんも会話に加わった。
 年の頃は、30代中頃といった風だ。国王と王妃の近衛兵は大抵この年頃で、比較的俺の方は20代の者が多い。近衛兵は国王が代替わりするのと同時に新設するそうなので、前代の近衛兵の多くが領地を賜って隠居したか、次代の育成に務めているらしい。
「妃殿下の故郷では、雪も降るのでしょう?」
「降るけどね。……俺の暮らしてた地域では積もる事は珍しいし。だから雪の降る冬って季節は、ただ寒いってだけなんだけど――むしろ雪が降ったほうが、嬉しい。子供の頃は雪遊びが楽しかった」
「雪遊び、ですか」
「そう。雪投げとか、カマクラ作ったりとか」
 後者は、残念ながらそれ程雪が積もらずに断念する事になったが。
「こっちではやらない?」
「そもそも雪が降るのがダガートだけですから。あちらの事は、誰も知りません」
「……そっか」
 それ程弾まない雑談を暫く続けた後、また頭上から声がかかった。
「外の娘よ」
 あの少年が、ルビーのような瞳でこちらを見据えている。
 娘、なんて、自分より年下の少年に呼ばれるのは違和感だ。
 というより、ラシーク王子も彼も、気配を消して近付いて来るのは止めて欲しい。
「上がって来られよ。ファルタリがお呼びだ」
「……分かりました」
 少年に促されて、クリフと二人、窪地を上がる。
 すると、当然のように、何時の間にかすぐ傍に戻っていたラシーク王子も続いた。
「……」
 少年が物言いたげな視線を向けるが、ラシーク王子は
「お構いなく」
と素っ気無く言って、むしろ少年の前を行く形で歩き出してしまう。
 ――やっぱりちょっと、ラシーク王子の様子が変だ。

 案内された先には、ボロ布を広げて屋根にした、寝床のような場所が一つ、あった。遠巻きに立っているサンジャリアンは、やはりマネキンのようで、どこか生気が乏しい。
 屋根の下には、立ったままの陛下とライド。
 それから――白い髭を蓄えた老人が、若い娘に背を支えられて座っていた。
 その身体に巻きつけているのは、多分ライドの外套だ。ライドが着ていた外套が何所にもなく、彼が甲冑姿なので間違いない筈だ。
 老人の禿げ上がった広い額には、他と同じ赤い目の模様。
 その老人に陛下が何かを呟くのが分かったが、台詞までは聞こえて来ない。
 彼らから数歩離れた所から、緊張を感じながら眺める。
 老人の閉じられた瞼がゆっくりと開かれていく。
「っ」
 それが完全に開き切る前に、俺は何故か、尻餅をついてしまった。
「ツカサ様!?」
 驚いたクリフが手を差し出してくれるが、服の下で震える足には力が入らない。
 ぶるり、と足先から走った震えが全身を過ぎった。
 老人の瞼の下、ある筈の目玉は無かった。ぽっかりと空いた暗い窪み、それにただ驚いたわけではない、筈だ。
 それはまるで、どこまで続く闇。小さな二つの窪みの中に、際限の無い黒い闇が見えた、気がした。
 まるでその闇に吸い込まれるような、奇妙な感覚。
 けれどそれは一瞬。
 老人の瞼は再び閉じられていた。
 老人が酷く恐ろしく感じられたのは、その一瞬だけだった。
 老いて痩せ細った、しわくちゃの男が、そこには居るだけだ。
 ようやく立ち上がった俺の左手を、少年が引く。
 踏みしめる一歩が重い。
 心臓が移動してきたみたいに、耳の奥で大きく脈動を感じる。一度飛来した怯えは、中々消えてくれなかった。
 それでも、陛下の隣に並んだ瞬間、大きな安心感に包まれた。
 陛下の凍る視線と、何物にも侵されない冷えた空気に、全てが霧散されていく。
 ほっと一息吐き出して陛下を見上げると、何時もの無表情がこちらを見ていた。
「ユスラ」
 老人のしわがれた声に、すっと左手から温もりが失せた。
 少年が、老人の前に跪く。
 ユスラ。それが少年の名前らしい。
「グリシアの末よ」
 老人がゆっくりと、億劫そうに紡ぐ。唇はあまり動いた気配が無い。
「エスカーニャの娘よ」
 ――これは、もしかして俺の事だろうか。
 老人の言葉に、少年の右手が陛下のそれを、少年の左手が俺のそれを、握った。
 老人の方に引き寄せられた二つの手が、重ねられる。そして、その上に、節の目立つ細い手が。
「御世に栄光と祝福あらん事を」
 手の甲に感じた微かな温もりが、滑り落ちる。
 目の前で、力を失ったように、くたりと老人の頭が傾ぐ。
 前にのめりかけた身体を、ユスラが当然のように抱き止めた。
 ――は?
 あまりに突然の変貌に、戸惑う。
 もしかして、そんな杞憂が頭を擡げた。
「案ずるな」
 そんな不安を読んだように、老人を抱いたままユスラが振り返る。
 仰いだのは陛下の顔。
「お眠りになっただけだ。もう、行くが良い」
 冷静に言う少年の顔は、微かに笑んでいた。
「来る時には我らも参じよう。それまでは、厄介になる」
「迎えを寄越しましょう」
「頼む」
 陛下もまた冷静に、頷いただけだった。
 馬鹿みたいに動揺する俺を余所に、誰も彼もが平然と。まるで当たり前みたいに、突如眠りに落ちた老人を受け入れている。
 ふ、と辺りを見回せば、何時の間にやら周りに居たサンジャリアンの姿は跡形も無い。
 ついでのように、ラシーク王子の姿も。
「穢れを連れて行かれるか」
 吐息のように呟いたユスラに、隣の陛下が頷く気配。
「それも良いだろう」
 振り向いた先で、少年もまた首肯した。




BACK  TOP  NEXT


Copyright(c)2012/10/17 nachi All Rights Reserved.