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11 旅路 8



 俺が悲鳴を飲み込むのと、騎士達が剣を抜き放つのの、どちらが早かっただろう。
 兎も角も騎士の動きは迅速で、あっという間に俺の視界は大きな背中に遮られた。
 しかしその背中のどれもに、躊躇う気配がある。剣を構えながらじり、と俺と陛下を庇う輪を縮めながら、戦闘に対するものとは違う緊張感を纏っていた。
 俺は声も無く、全身で【目】の視線を感じていた。
 突然暗闇に浮かんだ、真っ赤な【目】のイメージ。けれどそれは今まで自分達が追ってきた、目印とは違った。
 人垣の隙間から、恐る恐る辺りを見やる。
 異様な光景、だと思う。
 いつの間にか俺達を取り囲んでいた数十人の人間は、こちらをただ、見下ろしている。
 俺達が居る所は地面が窪んでいて、袋小路のようになっていた。足元は少しぬかるんでいて、もしかしたら池等の成れの果てなのかもしれない。
 その中心で、背を合わせて彼らと対峙していた。
 一瞬、山賊、という言葉が頭に浮かんだ。
 罠に嵌ったのだ、とそんな風に。
 けれど突然現れた彼らは、武器らしい物は何も持っていなかった。ただ古びた皮布のような物を巻きつけているようで、人によっては長さが足りず、裸の手足が見えていて、痩せこけて貧相だ。
 子供も居れば、老人も居る。一見しただけでは人種も違う。ただ彼らに共通するのは額に描かれた赤い【目】だけだ。
 一様にだらりと両手を下げて、戦意は微塵も感じられない。
 まるで山の中に打ち捨てられたマネキンか何かのようだ――そんなもの見た事無いけど。
 襲い掛かって来る事も無い、それ故に、騎士達は動けないのだろうか。
 数秒、数分、それとももっと長い時間、誰も動かずに、見詰め合う。
「……剣を納めよ」
 やがて、陛下が静かに告げた。
 一糸乱れぬ動きで、騎士は剣を鞘に戻す。
 それを待っていたかのように、高台から少年が一人、飛び降りてきた。
 ぬかるみに裸足の足が軽く沈むが、少年はそれに頓着しない。既にその身が薄汚れていたからかもしれない。こけた頬に土の汚れがこびりついていた。
 乾いた唇が引き結ばれる。笑ったようにも見えた。
 少年は赤黒い瞳を陛下にひたと据え、小さく頷いた。
「グリシアの末であらせるな」
 年頃に似合った透き通るような高い声で、年に見合わぬ落ち着いた風情で言う。
 肯定するように、何故か陛下は、深く頭を垂れた。
 するとそれに続いて、隣に居たライドが膝を突く。汚れも厭わずに騎士達が次々と腰を落とせば、立っているのは俺と陛下、それに少年だけとなった。
「計らいに感謝する。貴国の『狼』に我らは救われた」
 もう一度陛下が頭を下げるので、俺は何だか居たたまれず、わけが分からないまま同じように礼をする。
 すると、少年がクスリと笑うのが分かった。
「外の娘が光臨したか」
 視線が向けられ、たじろぐ。ライドの瞳が炎であったなら、少年の瞳は血の色だった。
 そこには姿形に見合わぬ、聡明さと、何か得体の知れない不気味さがある。
「我はサンジャリアンのファルタニ、ガラムの主の末である」
 恐らく自己紹介であるそれはちんぷんかんぷんだった。
 それどころか俺には、彼らが何者なのかも分からない。
 どう返せば良いのか分からず、俺は目で陛下に助けを求めた。なのに、陛下はこちらを無視だ。
「ルカナートにファルタニがいらしたと聞いたが」
「確かに。ガラムの主、我の祖父である」
「今はどちらに」
「あれへ」
 少年の指が指す方を見て、陛下は小さく頷いた。
 その背に深い憤りを見て、思わず肩が震える。陛下の孕んだ怒気は、今まで感じた何よりも強かった。
「ここで待て」
 陛下は振り返る事なく言って、ライドと少年を伴って窪地を登った。
 生い茂った草地を掻き分けて、三人の姿が森の中に消える。そして、俺達を取り囲んでいた、少年の仲間と思しき人々も。
 良かった、人形じゃなかった。
 そんな安堵は一瞬。
 詰めていた息を吐き出すと、握り締めていた拳から汗がじわりと滲んだ。
 無意識に爪が食い込む程に手を握り締めていたらしい。開いた掌が微かに震えてすらいた。
 残された騎士は既に立ち上がっていたが、その面相はどれも俺と同じように、怪訝そうだった。
 隣に立つクリフを見上げても同じ。
 ライドの副官が二人、ようやくといった感じで騎士に指示を出し、幾名かが辺りに散った。
 確かその一人は、イブラヒムという名前だったと思う。
 甲冑の置物がそのまま動き出したような、そんな印象のある男性だ。彼は拾い集めてきた落葉を地面に敷いて、俺とクリフを呼んだ。
「こちらにお座りになって下さい」
 壁を背に作られた葉の床を示される。
「ありがとう」
 否も無いので従った。イブラヒムさんはそのまま、俺の隣に膝を付いた。
「お聞きになりたい事がございましょう。私で答えられる事であれば、」
「最初から全部」
 咄嗟に、口を出た。
「全て、でございますか」
「そう。この山登りの理由から、全部。あの少年の事とか、ファルタニとか、何かそういうのとか、全部」
 戸惑うように、イブラヒムさんの視線がクリフに向けられる。
「ツカサ様には何もご説明申し上げておりません。時間が無かったもので、馬車で陛下が話されたかと、」
「陛下は何も教えてくれないよ」
 クリフの台詞を途中で切って、不愉快を隠さず言う。
 すると困ったようにイブラヒムさんとクリフは目を合わせ、「左様でございましたか」と明後日の方向を見ながら答えた。
「では、クリストフ殿はどの程度?」
「軍議での概要のみを。先程の会話の単語は、私も初めて聞きました」
「……そうか。貴殿は外の人間だったな」
 首肯して、イブラヒムさんは咳払いを一つ。
「事の発端は、昨夜届いた『狼』の報告なのです。妃殿下は、ルカナートに潜んだ『狼』の事はご存知でいらしますか?」
「うん」
「その『狼』がルカナート建城の折に犠牲になる筈のサンジャリアンを、秘密裏に助け出しました。そのサンジャリアンの一部が、この山に潜んでいるという報告だったのです。その中にファルタニがおられるとの事で、我らはこの山に」
 ルカナートで諜報活動を行っている『狼』の話は、シリウスさんから聞いたのだった。あの胸糞悪い、ダガートの儀式の話と一緒に。
「サンジャリアンっていうのは?」
「サンジャルマ帝国人の事です。グランディア人がグラディアンと呼ばれるのと同じですね。
ファルタニというのは、サンジャルマ帝国の王族筋で、神官の意味です。帝国では神官が高い地位を持ち、いずれはファルタニの中から皇帝が選ばれます。そしてガラムというのはファルタニの一氏族です。ルカナートは崇高なるサンジャリアンの、しかもファルタニを愚かにも生き埋めにしようとしたのです」
 つまり生き埋めになる所を『狼』に救われたサンジャルマの人々が、彼ら、という事なのか。
「……」
 『狼』すごいな。他国で情報収集に勤しんでいるだけでなく、人の命まで救って来てしまうわけだ。
 事の成り行きがやっと分かって、俺は首肯した。
 サンジャリアンはこの世界の人達にとっては神に等しい崇敬なる人種だ。そんな彼らがダガートに侵略されてからずっと虐げられている。
 グランディアもただ、その事実を傍観してきたのでは無いのだ。
 幾度もダガートと衝突し、戦争を繰り返して来た歴史もある。
 けれど質に取られているのが、救うべきサンジャリアンだ。勝利は遠く、手が届かない。
 そんな中でも、百人規模のサンジャリアンを救って来てしまうのだから、ルカナートで活動する『狼』は随分優秀なのでは無いだろうか。
「こう申し上げては何ですが、わたしは俄かに信じ難い」
 突然振って来た第三者の声に、俺は物思いを解くように顔を上げた。フードを目深に被った長身の影が、先程サンジャリアンの少年がしたように、軽やかに高台から飛び降りてきた。
 あれ、と思う。
 こんな格好の兵士は居ただろうか。袖が異様に長い毛皮の外套に、マフラーの様なものを首にぐるぐると巻いているその人は、甲冑などを着ているようには見えない細い体つきだ。甲冑の上に外套を着ている兵士は何人か見たが――。
 それに腰紐に下がった、三日月のように反り返った形の剣の鞘は、何所かで見た事があるけれど――。
「これは……殿下」
 イブラヒムさんとクリフが同時に頭を下げる。
 ん? 殿下?
 こちらを見下ろしてくる兵士の表情は影になっていて良く分からないが、その中で光る双眸を見て、俺もやっと合点がいった。
「ラシーク王子!?」
「はい」
「え、あれ!?」
 何時から居たの!? と、驚きのままに聞くと、ラシーク王子は困ったように苦笑した。
「酷いですね、ツカサ様。ご一緒に御山を登って参りましたのに。もっとも、途中からは単独で行動しておりましたが」
「一人で!?」
「勿論。陛下と王妃の近衛をお借りするわけにはいきませんから。それに、足手まといですし」
 そんな素っ気無い事をあっさりと言って、ラシーク王子は、それにしても、と首巻を引き上げながら呟いた。
「あれがサンジャリアン、ですか」
 そこに落胆の色が見えて、俺はラシーク王子の表情を窺った。
「ああ、失礼」
 俺の視線に気付いたラシーク王子が一つ咳払いして、クスリ、笑う。
「夢想していたサンジャリアンとは、少し違ったものですから」
 言っている意味が分からなくて、瞬きを繰り返す。けれどクリフやイブラヒムさんは、肯定を示すように控えめに頷いてみせた。
「サンジャリアンといえば、透き通るような白い肌と火の眼、美しい銀の髪を持った美と知恵の代名詞というのが定説だったので、少し肩透かしを食らいましたね。やはり血が混ざり過ぎたのか、それとも――」
 ラシーク王子が声を潜めて、低く言う。
「サンジャリアンでは、無い、のかも」




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