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11 旅路 5
今後の物語の進行上、後半大幅に話を修正しました。それに伴って既に更新済みの次話「6」も内容が変更になりました。ご了承下さい。(2012/09/08)
縋るものを求めて泳いだ俺の腕は、思わずリカルド二世の首にしがみ付いていた。
そうと気付いたのは、戻った安定感に嘆息を漏らした後の事だったが。
驚いた様に瞬くクリフと、ベッドから立ち上がったライドがついて来るのを、リカルド二世に抱えられながら見つめる。
呆気に取られているのは、俺も同じだった。
陛下に用があるのは俺の筈で、呼び出した、というのは違うけれど、兎に角そこにいてほしかった。
確かにすぐ側に居て欲しかったが、これは違う。望んでない。
しかもこれは、お姫様抱っことかいうんじゃないだろうか!
けれど咄嗟に離れようとした動作を、陛下に先回りされてしまう。
「大人しくしていろ」
低く、冷たく命じられて、拒絶の言葉は出ない。
どこか面倒臭そうに、まるで荷物を扱うような優しさの欠片も見出せない抱き方に、これはそういうものだと、何故か動揺した自分が馬鹿らしくなった。
分かってますよ、大人しく荷物になってればいいんでしょう。
それに、安堵しているのも事実なのだ。
先程まで纏わりついていた【何か】は、まるで陛下に怖気づいて逃げたかのように、もう何処にも感じない。
自分の足で歩いて付いていく事も出来るが、それはテントを出てすぐに言うまでも無い事だと悟った。
そこには見慣れた二頭馬車と、騎馬があったからだ。
陛下は俺を抱えたまま馬車に乗り込むと、そこで俺を腕から放した。
時間が無い、と陛下が言った通りに、馬車は忙しなく動き出す。ゆら、と窓の外で松明が揺らいだと思ったら、走り出していた。
馬車の作りのまま、隣り合わせに座し、ふ、と一息ついた時にはやはり感じていた気だるさはどこにも無かった。
上着は脱いだままだったので、毛布を巻きつけたまま、陛下に視線をやる。
太陽が沈んで、どれくらいだろう。夜の気配は室内にも侵入し、馬車の中は暗い。その中でも、リカルド二世の顔の陰影は、驚く程良く分かる。
この半年の中、陛下の美貌を見ても萎縮しなくなったのが一番の変化かもしれない。
前を向いていた双眸がゆっくりとこちらに向き、一瞬、顰められた気がした。
「……ルビスには、朽ちた聖域がある」
珍しく、俺の疑問に答えてくれるようだ。
「聖域、ですか」
陛下の言葉を反復しながら、俺は学んだ知識を探った。
この世界には、聖域、という場所と、神域という場所がある。字の如く、神聖なる場所であり、神域の多くはその場所に神殿が建ち、厳重な警備の元で神々を奉っている。一方聖域は、その場所に聖堂が建つ事もあるが、多くはただそう呼ばれる、というだけの場所。
けれど聖域には、神々の残した何らかの痕跡がある、という事で、厳かな場所である事に変わりは無い。
グランディア城にあるエスカーダ大聖堂もそういう場所に建っていて、あそこは異世界人の出現の場所だから、というのがその理由だった筈だ。
「そこに行くんですか?」
「そうだ」
ふーん、と相槌を打ってから、問いを重ねる。
「何の為に?」
時間が無い、と言ったが、それもどういう意味なのだろうか。そもそも、朽ちた、というのはどういう意味だろうか?
疑問は次々に沸いてくる。
陛下の表情は変わらない無表情だが、そこに少し苛立ちが浮かんだように見えた。
聞いちゃいけなかったのか、と謝罪の言葉が出掛かって、何故俺が謝らねばならないのだ、とむっと眉が寄りかけた、その時。
唐突に伸びて来た陛下の手が、俺の頭を掴んだ。
そんなに怒る事か、と、陛下の短気に驚嘆したが、握りつぶされるのだと思った頭蓋に衝撃はなかった。
代わりに、俺の髪を梳く様に長い指が流れた。
ヤコブが何時も丁寧に梳かしてくれるので、毛先まですんなり解けていく。そんな事を三度繰り返し、俺の視線に気付いた陛下が、剣呑さを滲ませた声で低く、言った。
「何時までも見っとも無い頭をしているな」
テントの中で、毛布を頭まで被っていたせいで、どうやら髪の毛がボサボサだったようだ、と気付いたのは、今。
それならそうと言ってくれればいいものを。しかも馬車に乗り込んでから、顰められた一瞬の双眸は、そんな事が気がかりだったというのか。
緩んだ口元を堪えたものの、喉が震えてしまう。
可笑しい。
両手で口を押さえるが、笑いを噛み殺しきれなくて俯いた。
可笑し過ぎる。
人の髪型が気になったのなら、さっさと指摘するなりすればいいものを、一度は無視して、でもし切れなかったのだろう、数分後に蒸し返して。
そんなどうでも良いような事、と思ってはいけないだろうか。どの程度乱れていたかは知れないけど、そんな、些細な事を。
必死に堪えていたのに、
「何を笑っている」
なんて、冷静そのものの声が返ってきてしまったら、もう。
俺は勢い良く噴出してしまった。
結局馬車を下りるまでの間、俺は笑いを納めたり思い出し笑いをしたりを繰り返していた。陛下が何食わぬ顔で隣に居る、それだけの事が、何だか可笑しくて、どうしても頬が揺らいでしまって。
陛下は見事に俺を無視して、馬車が止ってドアが開くと、さっさと降りてしまった。
兵士の手を借りて、俺もゆっくり馬車を降りる。
足下でじゃり、と砂が鳴った。
辺りは暗く、側に立つ兵士が持った松明では心許ない。
満天の星空、とはいえ、それが視界を明るく照らす事は無い。
数十メートルの距離で他の松明が揺れている所を見ると、十数人の人間がいるようではあるが。
時々馬の嘶きが聞こえる。
馬車を降りた時のまま、背後に二人の兵士を従え、目の前に立つリカルド二世の背中越し、揺れ動く松明を見る。
その奥には、どっしりとした大きな山の陰。黒々とした木々の合間に、松明らしき炎が揺らいでは消え、どんどんと上に進んでいるように見えた。
再び上空に視線を移し、そこから改めて、目の前の山を見つめる。
まさか、と思う。
松明を持った兵士が一人、また一人と、登山を開始しているように見えるのは、気のせいだろうか。
ふ、と視線を感じて横を向くと、そこにはライドの姿。
彼は思案気に俺を見下ろして、何とも言えない表情を見せた。
「この格好で連れて行くのか?」
ライドの問い掛けはリカルド二世に向けてのようだ。
陛下は振り返った後、僅かに目を細めた。何がおかしいと言うのか、陛下と一緒に俺も自分の格好を見下ろして合点がいった。
っていうかそもそも、ベッドで休む気満々だった俺は、素足である。自分でもすっかり忘れていたし気にも留めなかったが、足の指を何となく動かしてみながら、大地の感触を確かめてみたりなどする。
「……」
それに、体に巻きつけているのは、引き摺る長さの毛布で、更にその下は寝巻きだ。
外出するような格好では無いのは、一目瞭然だった。
それに気付いたのは俺だけでは無かったのだろう。背後に控えていた兵士が、慌ててマントを脱いで、それを俺の足元に広げた。
「おみ足が汚れてしまいます。どうぞこちらの上に、」
今更だと思いながらも、兵士の気遣いを拒否するものでも無い。俺は繕うように微笑んで、足をマントの上に移動した。
っていうかこの状況、大丈夫か? 陛下を示す白銀、という色は、おいそれと使って良い色では無いと聞いた。その色で作ったマントを纏う、という事は兵士にとって誇りだし、陛下を守るという重職の象徴として、彼らはそれを忠誠の証として大切に扱うと聞いた事がある。クリフなんかは、毎日マントを綺麗に畳んで鍵付きの衣装箱に保管しているらしいし、それこそ陛下同等に崇めるとか何とか。
これってある意味、陛下を足蹴にしてるようなものかな。
等と思うと、俺の気持ちはスカッとするが。
――なんて、明後日の事を考えている間に、話は決着したらしい。
「王妃、とりあえずこれを履いてこれを羽織れ」
これとこれ、と両手に抱いたものを俺の眼前に差し出しながら、ライドが言った。
一つはブーツで、一つは防寒着のようだった。どちらもそれなりに草臥れていて、どちらも何となく見慣れた感があるな――と不思議に思ったが、その答えは、ライドの背後にあった。
馬車の御者であった兵士が、腕を抱えて身震いしていたのだ。
「……」
剥いたのか。彼を剥いたのか!!
裸の足を摺り寄せて、彼はひどく恐縮した様子だった。
「……」
今まさに脱がれたブーツと、コートを羽織れと? 別に嫌悪感があったからでは無いが、眉根を寄せてライドを見上げると、ライドは飄々と言ってのけた。
「仕方無いだろう。他に無いんだから」
どういう事態か知れないが、予備の靴や上着が用意されていたわけでも無い。これから何をするのか考えたくは無いが、俺の予想通りだとすれば、確かに今の格好では難儀するだろう。
だからと言って人様の物を毟り取って、それに普通の顔が出来る程俺は面の皮が厚くは無い。
何て思っても、陛下の冷めた目に睨まれては、否は言えなかった。
結局有難く兵士のブーツを履き、上着を羽織り、代わりに暖を取る為の毛布を兵士に渡して、俺は一応の身支度を整えた。
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