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11 旅路 4



 人間が、この世界に生まれて後。
 彼らは貪欲に力と知識を増し、急速に発展していった。
 家を築き、畑を耕し、命を育み、広い大陸に散らばり土地毎に営みを違え、生きていた。
 エスカーニャの一刻程の眠りの間に、世界は色も形も変えた。
 ある時目覚めたエスカーニャは、大陸から聳え立つ高い塔を見た。優美な螺旋を描いて迫りくる白亜の建造物に、エスカーニャは恍惚を覚えた。
 もう一度の眠りの後、ついにその塔は完成を迎えたようだった。
 その塔をもってやっと、エスカーニャは人の声を聞く。小さな悩みも喜びも、エスカーニャは些細なそれらに耳を傾け、心を砕いた。
 眼下に広がる楽園に、エスカーニャは己の至福を見出した。
 己の涙一粒で出来た海も、欠伸がもたらした風も、剥がれ落ちた肉体であった大地も、それはただ、在るだけの存在から慈しむものへと変じ、エスカーニャはこの世界をこよなく愛した。
 幾度もの眠りを繰り返し、世界はまた形を変える。けれど高い高い白亜の塔だけは、ずっとその場で、エスカーニャを待っていた。
 ある時、高い塔にエスカーニャは男を一人、見つけた。
 グランディア王国の祖である、グリシアの名を持つ青年だった。
 エスカーニャはこの青年を、こよなく愛した。
 例えようも無い幸福感の中で、エスカーニャはその青年の一生を見守った。そして彼の末裔の行く末をも。
 けれど眠るべき時をそれに費やした結果、楽園に歪が生じた。
 エスカーニャの力の届かない小さな歪は、やがて平和を悉く打ち壊した。
 北の凍土、南の砂漠、人の心に巣食った闇は、エスカーニャの魂さえも疲弊させた。
 エスカーニャには眠りが必要だった――世界を保つ為の、健やかな眠りが。
 そうしてエスカーニャは眠る間際、己の欠片を一つ、大地に落とした。
 次の眠りの際には、また欠片を一つ。次の眠りには、また一つ。愛すべき世界と、愛しい一族の守り手として生まれたそれは、エスカーニャの分身として人の形を取り、世界に降り立った。
 その度にエスカーニャの力は衰えたが、構わなかった。
 そうして十二の分身を与えた後、最後にエスカーニャは自身の息子としてサンジャルマを遣わし、長い長い眠りについたのである。
 かくして白亜の塔を懐いた山地にサンジャルマ帝国は興ったが、凍土から侵攻した人間の手で塔と共に、失墜した。

 ――そのような神話で語られるサンジャルマ帝国は、山上に築かれている。それは例えるなら、プリンのような形状をしているという。
 かつてはそのプリンの中央に螺旋の塔があったそうだが、何にしても神話で語られるようなはるか昔の事だ。
 台地の下には広大な平原――これもまた、俺の頭の中では皿に乗ったプリンのイメージだが、皿の端を囲むように山脈が連なり、大河を挟んでハッティヌバやグランディアへと続いている。
 そんな風に土地そのものが、最早要塞を呈しているようだ。
 それなのにその守りの一端である山脈が凍土に侵され、北から侵略されてしまった。
 そうしてまたその形状故に、こちら側からの進行も間々ならない。
 山を越えようが、河を渡ろうが、サンジャルマを囲む平原がある限り、見咎められずにはいられない。今となっては深い雪土の為に、通るべき道は一つだった。
 それが、最初の予定であった行路で、ヌーサの山越えと俗に言われる。山道として整備されているし、峡谷を抜ければかつて村であった廃屋で夜を明かす事も出来る。
 けれどルビスは、【忌まわしい】という意味そのままの理由で、好き好んで越えようという人間はいないのだ。
 山頂に雪を被り、かつては止め処なく溢れていた水源も、凍り付いて枯れてしまった。大地も木々も色褪せて、獣すら寄り付かない。乾いた土が寄せる雪に押されて、何度も崩落しているという有様なのだ。
 それなのにそのルビスを越えようという馬鹿が、リカルド二世だった。

 夕方過ぎに麓に辿りついた一行は、どうやら今日はそこで夜を明かすようだ。
 連れた兵士がそれぞれに着々と準備を進める中、俺は誂えたテントの中で毛布に包まり震えていた。
 一度回復したかと思われた体調は、下降の一途を辿っている。
 ビュウ、と、風に煽られてテントが踊る。
 テントといっても、キャンプなどで見られる三角形のアレを想像してはいけない。木々を伐採して調達したらしき太い丸太を組み立て布を張ったもので、外は質素なものだが、中は無駄に広いし豪華だった。中央にはででん、と天蓋のついたベッドが置かれているのも異様だし、テーブルや椅子なども簡単なものだったが、作りはしっかりしている。どれもこれもその辺りで調達してきたもので作ったらしい。
 凄い職人技を持った兵士がいるものだ――と思ったけど、騎士以外の一般兵は木こりだったり何がしかの職人だったり、別に本職を持っているものだそうだ。滅多に駆り出される事の無い一般兵は、戦でもない限りそれだけで食べてはいけない、んだそう。
 部屋のそこかしこで薪がくべらえて火が焚かれているのを、ぼんやりと眺める。
 消えない悪寒に体を震わし、歯の根も合わないような状況だけど、頭の芯はしっかり澄んでいた。
 寒いわけでもなく、むしろ熱いくらいなのだが、どう説明していいのか分からなかった結果、こうなった。ヤコブやクリフが勧めるままに毛布を抱き込み、苦い薬湯を飲まされて、大人しく眠っていて下さいね、と子供に告げるような台詞で一人取り残されて。
 時々、テントに映る人影で、忙しない外の様子を感じるだけ。
 テントの入口に、護衛兵が立っているらしいのも、影の形で分かる。
 王妃の近衛兵の名前は、ほとんど知らない。クリフの副官である二人と、幾名か。それから、顔だけは、一通り覚えたような覚えて無いような、そんなもの。
 言葉を交わす程近付くのは、侍女とクリフだけなのだ。
 異世界人として王妃になっても、結局俺本来の味は出せない。王妃の気品とか格式とか、王国の品性の問題とか、そういう諸々の事情で、王妃らしい王妃を演じている。
 だから、気安く出来る人は限られる。
 だから、その限られた数人に、あまり負担はかけたくない。
 クリフもヤコブも、慣れない仕事で大変だろうし、ライドにはそれ程気を遣わないけど、彼は腐っても国王陛下の近衛隊長様だ。今もリカルド二世に付きっ切りだろうし、確かクリフが軍議がどうたらと出て行ったので、多分会議中だろう。
 ウィリアムさんは今回は国許でお留守番だし、宰相閣下も言わずもがな。
 体調どうこう、よりも、心細いのだと誰に言ったらいいだろうか。
 話し相手が欲しい。一時でも気が紛れれば。せめて、眠るまで。
 そんな事を願いながら、昼間、馬車でリカルド二世と一緒になった時の事を思い出す。
 予期せぬ――と言ってはおかしな話だけど、同乗者が居てくれたお陰で、随分と楽だった。会話には殆どならなかったけれど、ただそこに居る、というだけで、リカルド二世が齎してくれる安心感は王様ならではなのか。【何か】よりリカルド二世の存在感の方が大きくて、全然気にもならなかった。
 リカルド二世は、ただそこに居るだけで、周りの空気を変える。それは身も凍るような緊張感で、温度さえ一気に下がったように思えてしまう。
 ぐーたらとしていられず、背筋を正して、彼の一挙手一投足を探るように気配を追ってしまうのが常だ。
 だけれどその緊張感が、今は欲しい。
 無視できない存在感が、欲しいのだ。
 のそり、毛布を巻きつけたままベッドから下りる。纏わりついた毛布を引き摺り、少し考えてから「誰か」と呼びかけた。
 すぐに気付いたのだろう、テントの外から応じる声がある。
 陛下に会いたい旨を伝えれば、申し訳なさそうに会議中なのだと返るので、終わり次第教えてくれと頼む。
 そうして再びベッドに潜り込んでから、やはりどうにも落ち着かず、テントの中を歩き回った。
 びゅうびゅう、山頂から吹き降りる風の音に、薪が爆ぜる音が時折混ざる。
 赤々とした炎が俺の影をテントに大きく映して、それが天井や壁で揺らめいた。己の影であるのに、その黒い塊さえ、今は恐ろしい。
 まるで自分に迫ろうとする【何か】そのもののように感じられて、俺は自分の荷物の中から剣を探ると、それを持って三度ベッドへと戻った。
 慣れた重みと手触りにほっとしながら、それを抱き締めて体育座りのような格好を取る。
 縋るもの一つに安堵する。
 昔から、そうだった。仲違いした両親に、寒々とした家庭に、孤独を感じる幾度に、竹刀を抱えて小さくなった。耳を塞ぐよりも目を瞑るよりも、逃げる自分が必要としたのは、何時もこの無機質な感触だ。
 揺らぐ自分を支えてくれた、人生に欠かせないもの。
 それでも、まだ頼りないのだと心の内が言う。
 早く、早く、早く――。

 あの絶対の引力で、この不安を捻じ伏せてほしい。
 


 どれ位の間、そうして丸まっていただろうか。
 俄かな人の気配に顔を上げれば、待ち人が丁度テントに戻って来た所だった。
 それも、ライドやクリフなどの近衛兵を連れて。
 駆けたヤコブが一番に俺の傍に辿り着き、心配そうにベッドの端に縋る。
「お加減は」
 と聞かれ、首を縦に振って応えれば、ほっと溜息を落とす。
 似ているだろうか、自分では良く分からない。背格好は似たものでも、造詣はやはり、深い。
 彼もまた、軍議に参加していたのだろうか。もしかしたら、ブラッドとしてそこにあったのかもしれない。
 そんな風に思いながら、近付いてくるリカルド二世の気配を感じた。
 背後のリカルド二世に気付き、ヤコブが退く。
 相変らずの無表情が、俺を見下ろす。
 寒さも疲れも感じていないかのような、作り物のような涼しい顔。けれども吐き出される吐息は、白い。
 その横に大柄な男が並んだ、と思ったら、それはライドだった。派手な髪を後ろ首で結い、甲冑を着ている彼の印象は、どこか何時もと違う。
 それでもベッドの縁に腰を下ろしてこちらを見つめる顔は、間違いようもないライドだった。
「大丈夫かよ」
 と軽く問うその声に、心配げな気配は無い。まるで俺の脆弱さを笑うような口振りだ――と感じてしまうのは、俺がそう思っているからだろう。
 ライドという人間は、あまり物事を深刻視しない。
 遅れてその脇に控えたクリフは、こちらは逆に思い詰めた様にも見える、不安そうな色を濃くした表情で立った。
 のそり、這うようにして上体を陛下に近づける。
「あの……」
 けれど続ける言葉を知らない。
 躊躇いから俯けた瞳に、手放した剣が映る。それを、掬い取る陛下の腕も。
 支えを糸も簡単に奪われて、瞬間的に息を詰める。
 詰めた息は、突然感じた浮遊感に小さな悲鳴となった。
「時間が無い」
 何故かそう言って、リカルド二世の腕は剣と共に俺の体さえ横抱きにしていた。




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