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10 王妃の生活 5



 店主が見下ろす書面に何が書かれているのかは分からないが、そう長文ではないように思えた。ただ、店主が文をなぞる瞳は上から下へと往復しているので、何度も読み返しているのだろう。
 次第に前に居るリカルド二世の放つ空気が、寒々しくなっていくのに彼は気付いていないらしい。
 少しの間も待てないというのか、リカルド二世はせっかちだ。
 やがて震える指先で文書を畳むと、店主の瞳がこちらを向いた。
 その瞳の中には喜びと戸惑いが見て取れる。
「あり難いお申し出でございますが、本当に、宜しいので?」
 何が、と問う事は出来ない。こちらは内容を把握していないので、店主に曖昧に笑いかけてから、リカルド二世を見上げてみる。
 店主も俺に倣ってリカルド二世を見つめたが、その表情はすぐに強張った。
「いえ、あの……僭越ながら、グランディア城におかれては専属の仕立て屋がいらしたかと、」
早口で捲くし立てた店主の手の中で、封書がくしゃりと潰された。
「いえ、勿論、光栄でございますが、はい……何分、見ての通り、当店は……いえ、滅相もございません!!」
 誰も何も言ってやしないのに、店主は可哀想な位に身体を縮こまらせて、頭を下げた。
 リカルド二世陛下の空気の変化だけで、会話が成り立つんだからおかしなものだ。
「誠心誠意、務めさえて頂く所存でございます!」
 それで話は決着したのだろう、リカルド二世は踵を返して、さっさと応接間を出て行ってしまう。
 俺は慌ててそれに続こうとして、振り返った。
 良く分からないけれど、陛下はこのお店で何かを仕立ててもらうつもりなのだろう。
「よろしくお願いします」
 語尾に疑問符をつけながらも俺がそう言って軽く頭を下げると、店主は腰から返礼して、俺達を店外まで見送ってくれた。

 ――という遣り取りを、数店。
 リカルド二世は宝飾店やら靴屋やらの店主に封書を渡して、最後に時計店を訪れた。
 何の説明もしてくれないのは分かりきっていたので、俺とクリフは黙ってついていくだけだったのだが、この時計店だけは様子が違った。
 店主と思しき老人は狼兵を見ても顔色を変えず、携帯用の時計の幾つかを机に広げて、説明し出した。
 そしてその内の一つを丁寧に包装すると、それと共に小包をリカルド二世に手渡し、他と同じ様に丁寧に見送ってくれた。
 リカルド二世の態度は他とどこも違わなかったけれど、彼が最初に渡したのは他の店で差し出した封書とは異なったものだったように思う。
 何にしても、全てが終わったとばかりに、通りに出たリカルド二世は、辻馬車を見つけるとさっさと乗り込んでいく。
 歩いている内に随分下町へ来ていたのだろう。遠くに見えるグランディア城の尖塔は、その輪郭が薄らのぞめる程になってしまっていた。
 馬車は俺達三人が乗り込むのを待って、動き出した。
 言わずとも行き先は城と分かっているのだろう。
 ここまで大人しく付き合ったのだから、そろそろ疑問に答えてもらってもいいだろう。
 「あのー陛下?」
 躊躇いがちに前方へ視線をやれば、狼の兜が正面を向いた。
 その仕草から察するに、一応相手をしてくれる気はあるのだろう。
「一体何だったんです?」
 組んだ足の上に無造作に乗っていた細い指が、膝を叩くようにして二度ほど跳ねる。
 しかし俺とクリフが何とも返せないでいると、陛下の人差し指は面倒臭そうな動作でクリフに持たせた小包を指差した。
 そしてまた明後日を向く狼。
 大小二つの小包の内、小さい方は陛下自ら懐に仕舞いこんでいる。そちらは最初から包装されていたので中身はしれないが、クリフが持っている方は、時計店で購入した懐中時計だ。
「……開けていいんですか?」
 無言、という事は同意と見ていいだろう。
 クリフが開いた包みの中には、やはり店で見たままの懐中時計。鎖に繋がった円形の時計はガラスの中で三本の針が時刻を指し示しているだけで、飾り気もない、質素ともいっていい造りの時計だった。
 俺の掌をはみ出るかどうか、という大きさだ。
 何の変哲も無い時計だな、と思ったけれど中央の、唯一の飾りとも言えそうな三角形の黒い物体が目に留まった。短針と同じ位の長さで、それが短針と重なってしまうと、見えなくなりそうで――何ていうか、飾りとしては邪魔な物体だなと思った。
 何となくガラスの上から真ん中辺りを突いてみると、それが少し震えた。
 気になってクリフから受け取った懐中時計を振ったり斜めにしてみたりする。
 それが何かの具合か、長針に重なっていたのにぐるりと回転して、元の位置に戻すとまた、長針に重なった。
「――この、真ん中のこれ、何?」
 何かの意味がありそうなので、時計をクリフに見せながら黒い三角形を指し示していると、時計を見下ろしながらクリフが何か言いたげに手を動かす。
 けれど一向に言葉は返って来ず、沈黙に耐えかねてクリフの顔を見上げれば、無骨な狼面があるだけ。
「ああ、そっか。喋らないんだっけね、狼は」
 馬車の中でも忠実に規則を守るクリフを少し面倒に思いながら、城に帰ってから教えてもらおう、と決めて、俺は何となく暇潰しに懐中時計を揺らし続けた。

 途中で王家の馬車に乗り換えて城に帰り着けば、降りるなり陛下は何も言わずに消えていってしまった。
 なのでクリフを伴って、俺は俺で部屋に帰る事にする。
 今日はこのままブラッドの部屋で夜を明かし、朝そのまま鍛錬場へ行こうと思う。
 部屋に戻るとシャツのボタンを外して袖や襟を緩めながら、俺はズボンのポケットに入れていた懐中時計を取り出した。
 これはどうやら俺の持ち物にしてよいらしい。
 時計なんて持たなくてもブラッドのスケジュールも王妃のスケジュールもクリフが管理しているし、別に差し迫って必要では無いんだけど、くれるというのだから貰っておく。
 中央の三角の物体は、今は1時の方向を指していた。
 揺らせば少し移動するものの、最後にはやっぱり1時に戻る。その法則が方位磁針っぽい。
「で、これなんなの?」
 相変らずエンリケのままのクリフだが、今度はそれに答えてくれるようだ。兜を被ったままなので、微妙に反響するようなくぐもった声が言う。
「それは、双子石の片割れですね」
「双子石の片割れ?」
「はい。双子石とはムスカ鉱石の別名で、ムスカ鉱石は磁力を持った砂の結晶なのですが――ムスカというこの砂は、大地を形成する一つなのです。例えば、そうですね。この小瓶に」
 クリフが机の上に置かれていたガラス瓶を手に取る。
「土が満杯に入っているとしましょう。その中にはムスカが幾粒も含まれて居ます。ムスカは高熱を与える事で磁力を発し互いに引き合うので、例えばこれに高熱を当てると、土の中でムスカは集結するのです。集結したムスカが固まったものをムスカ鉱石と言い、一度固まったムスカは磁力を発し続けています」
 ガラス瓶とインク壺を並べて、クリフはそれをそれぞれに固まったムスカ鉱石だと仮定して話を続ける。
「一つ一つのムスカ鉱石が発する磁気はまったく別のものですので、この鉱石同士を熱した所でこの二つが一つになる、という事はありません。ただし鉱石を溶解してネストレンという液体と混ぜる事で強固な接着剤となるんですが――それは置いておいて」
 初めて聞く単語に目を白黒させていると、クリフは小さく咳払いする。
「ムスカ鉱石は凝固した時点では、ただの鉱物、石なのです。ですが、双子石としては大変な価値を持ちます」
 クリフは言う。ムスカ鉱石は砕いて初めて意味を持つのだ、と。
 今度はガラス瓶とインク壺を一つの鉱石を割ったものに例える。肉まんの半分ずつ、といった所――ここで肉まんが出てきたのは、ただ単純に二つに分けるという想像から出てきたものだからだ――か。
「二つに割れた鉱石は、割れた後でも引き合うのです。例え片方がどこにあっても、もう片方は片割れを見つけ出す」
 頭の中では半分にした肉まんが、また一つに戻った。
「ただこれは、絶対では無いのです。必ず引き合うとは限らない。それでも割れた二つが一つに戻りえるものを、双子石と呼んでいます。その双子石が加工されるものは――大抵そういう形状で形にされます」
「……んーと」
「つまりその一点の示す方角に、双子石の片割れがある、という事なのです。恐らくその片割れはリカルド二世陛下がお持ちでいらっしゃると思うので……陛下のおられる方角が、今、一時の方向であるのだと」
 ちなみに、と、クリフの言葉は続く。双子石としての効果を発揮しないムスカ鉱石は、結婚指輪として加工される事が多いのだと。そして己もまた、ムスカ鉱石で作った指輪を妻と共に持っているのだと。
 まあ、それははっきり言ってどうでもいい。
 何度か頭の中で噛み砕いて分かった事は、つまりこの三角形は方位磁針と同じ役割だが、差す方向は方位では無く、片割れの場所――つまり、陛下の場所なのだと。
「――陛下の居る場所が分かったから、どうなの!?」
 今日は陛下はどちらにいらっしゃるのかしら? あら、2時の方向――という事はアレクセス城かしら? キャッ!
 とか、そういう事を考えろと!?
 自分がした意味の分からない想像に怖気立つ。
 俺が悲鳴に近い叫び声を上げると、何故だかクリフはきっぱりと言い放った。
「ツカサ様がご心配であらせるのでしょう。ルカナート城の件もございますし」




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