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10 王妃の生活 3



「ああ、ブラッド殿。お待ちしておりました」
 シリウスさんの執務室を訪れると、中にはシリウスさんの他に青年が一人いたきりだった。彼には俺がシリウスさんの雑用係をこなす時に時たま会うので、既に顔見知りだ。会釈を交わして、シリウスさんに「では後程」と言葉を投げ掛けただけで、すぐ部屋を後にする。
 残された俺はシリウスさんに促されるままソファに掛け、体面へ移動して来たシリウスさんを見上げた。
 何処と無く上機嫌なシリウスさんは、テーブルの上に並んでいた書簡の一つを手渡してくる。
 綺麗に裁断した、とは言い難い断面の羊皮紙の巻物は、既に見慣れた物の一つである。
「どうぞ」
と言われるままに細い紐を解けば、見慣れぬ文字の羅列が頭の中で日本語に変換される。
 グランディアの極東でのみ使われていたという古い文字は、既に使う者が居なくなって久しい。それを、機密文書の暗号として使っているとの事だった。
 つまり、簡単に手渡されたこれには、国の大事が記されている。
 それも間諜である『狼』の報告書だったりするのだ。クリフのエンリケという呼び名のように、その報告書の主もまた、アイギナという仮の名を使っている。
 そうと分かれば、俺の表情は考える間もなく曇ってしまうが、これはもう、癖だった。
 ダガートという国で情報を集めているらしきアイギナの報告書には何時も、あまりにも凄惨な内情が記されているからだ。
 簡潔に事実のみの、特別な感情を映さない言葉は、だからこそ胸に重く圧し掛かる。
 何故こんな物を俺に読ませるのか、と憤り、疑問を投げ掛けたのは最初の内だけだ。それが王妃に必要な知識だからだ、と言われてしまえば、俺は契約に則って、黙るしかない。
 ゆっくりゆっくり、単語の意味を咀嚼し、陰鬱な気持ちで『狼』の報告書を読み終えて、それを静かにテーブルの上に伏せるのを待って、シリウスさんが静かに聞いて来る。
「ブラッド殿、理解しましたか?」
「――ダガートに、新しい城が建ったという事は理解しました」
「……他には?」
「………」
 これ以上は口にしたくない、と言外に込めて沈黙を貫く。
 どうしてだろう。今までだって、習った歴史にも、創作物の類でも、そんな内容は良くあった。テロで罪の無い人が死んだ事件も、バラバラ死体なんてものも、俺が生きていた時代にも当たり前の様にあったし、それが痛ましく思えもしたし、どうしてそんな事が起こるのかと疑問でもあった。それに至る事情も、俺の身近になくても、俺の常識外でも、理解は出来た。
 ただ、在る、というだけなら、何時の時代にだって、どこの国にだって、在るのだろう。
 ただダガートという国は、存在してからの数千年の間、それを当たり前の様に繰り返す。
 そうしてその対象が常に、一つなのだ。
 グランディア王国が、また多くの国が、古くから敵対してきた国であるダガートに、リカルド二世陛下はかつてティアを嫁がせようとした事がある。正しくは、ルークさん以外なら、ダガートの王子が相手でも構わないという様な事を言っていた、らしいのだが。
 その事ももう、理解に苦しむ。
 俺が知るダガート国は、残虐にして非道、殺戮なしで語れない歴史を持つ。その国がグランディアと並ぶ大国である、と知っても、絶対に行きたくない国だ。
 そんな国の王子をティアの夫にしようと一度でも思ったなんて、リカルド二世陛下の頭には蛆でも涌いているのか。
 だってシリウスさんが教えてくれたダガートの王子達は、成人するまでに必ず人を殺しているのだ。っていうか、成人の際に人間を殺す儀式があるのだ。
 そんな頭のおかしい人をティアの夫に――なんて、恐ろし過ぎる。そしてそんな王子達よりルークさんが駄目だった理由って何? という話だ。
 エスカーニャ信仰のある人達は、エスカーニャ神の息子サンジャルマが王となったサンジャルマ帝国を、神の御国と言う。この世界の何処よりも神聖でいて、この世界の誰よりも貴き民。神の末裔が統治する、神の御国。
 グランディア王国では崇めるエスカーニャと同じだけ、サンジャルマ帝国を神聖視する。
 しかしそのサンジャルマ帝国は今やダガートの支配を受け、長い間ダガートに属隷している。
 表向きは、サンジャルマ帝国はダガートの庇護を受け、国土全てをダガートに委ねながら、鎖国状態を続けている。ダガートは神の御国を守る盾として権勢を振るい、帝国を質としてエスカーニャ神信仰のある国を押さえ込んできた。
 その内側でどれだけの非道が行われていても、ダガート国の中心部に位置する帝国を救う手立てが無い限り、手が出せない。
 だからこそ長い間、偽りの友好が結ばれている。
 それがダガート国とグランディア王国の真実だった。
「新城はルカナートに建てられました。ルカナートはダガート国王の弟君、オンリウム大公の治める都です。そちらで開かれる築城祝いの宴に、我が国も招待を受けております」
 淡々と語っていたシリウスさんの唇が、釣り上がる。
「異世界から参られた王妃もぜひに、との仰せです」
 ――それと言うのは、俺の事か、とは勿論聞かない。ただ諦めにも似た気持ちで溜息をついて、断われないと知れているそれに、形ばかりの了承を返す。
 異世界人は珍しい。グランディアにしか現れず、グランディアの富と繁栄にのみ貢献する、何百年に一度の、奇跡。
 そんな謳われ文句で語られる異世界人を見たい、という人間は、何もダガートだけに限らなかったのだ。リカルド二世陛下の形ばかりの正妃となってから、そういった申し出は後を絶たず、この一年弱の間に何度それらの人と目通りした事か。
 このような肌の色は見た事がない、と、物珍しさを隠さない不躾な視線を、幾度この身で受けた事か。
 そうして、『真実、グランディア国王の正妃は異世界人である』と国内外に知らしめることこそが、俺の役割の一つであるのだから、仕方が無い。
 それはこれから異世界人が『奇跡』を起す為の布石。
 そう諦観しても、檻の中で見世物化している動物のような仕打ちには、慣れ様もないけれど。
「ルカナート城に入るのは、少数のみです。ダガート国へ入るまでは騎士でお守り出来ますが、それより先には近衛の精鋭と陛下、王妃のみ、ダガートの兵にお預けする形となります。ですのでどうか、気を緩めませんよう」
「分かった」
「それから、ブラッド殿にも近衛の一員として従って頂きます」
 けして楽しい旅にはなるまい。溜息を押し殺していた所に、意味の分からない一言が付け足されて、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「……はあ?」
 言われた事がすんなりと頭に入らない。
 ブラッドとツカサは表向きは一人と一人だが、実際は俺でしかないのだ。
「王妃には王妃の、ブラッド殿にはブラッド殿の仕事がございます故」
 けれど聞き間違いでは無かったようだ。
 血生臭い獣の国の、曰く付きの城へ向かうだけでも憂鬱なのに、そこで何をしろと言うのか。それも、一人二役をこなす――なんて、そんな事態は御免被りたい。
 そんな俺の心中を慮ってか、シリウスさんは労わるような表情を見せる。
 だがそれが、ただの演技でしか無い事は、この短い付き合いの中で百も承知。
「ご安心下さい」
なんて言い出した日には、ただの苦労だけがついて回る。
「ツカサ様にはご存分に異世界人らしさを発揮して頂くだけ。ブラッド殿には――」
 新緑の瞳が細まり、穏やかに小首が捻られると、もうそこは、地獄の1丁目。
「『狼』の役を務めて頂くだけ」
 その『だけ』はどこに掛かっているのかな?
 胸の内で突っ込めただけ、俺の頭は冷静だったのかもしれない。

 兎にも角にも、十日の後、俺は異国の地へ旅立たなくてはならなくなった。



 ダガートが新しい城を建てた。
 そしてその土台となる為に、サンジャルマ帝国人二百余名が生き埋めにされた。またその完成の折、儀式として労徒であったサンジャルマ帝国人の内五十名が壁に吊るされ、矢の的となって死んだ。幾矢を身体に埋めた状態の哀れな遺体は吊るされたまま、鳥に蝕まれて朽ちたという。更に王子の妾であったサンジャルマ帝国王女の血で、玉座を赤色に染めた。
 それが、ルカナートに紛れた『狼』の報告の全容だった。
 そんな事が、何故必要か。
 それはダガートの神聖な儀式。悉く他の神を廃絶するくせに、その実この世に存在するどの神も崇めないくせに。
 そんな儀式が何故、必要か。

 それは例えば、人が肉を喰らう為に家畜を育て、殺すのと同じように。
 ダガート国にとってサンジャルマ帝国人は家畜と同じで、でもそれとは違って、生きる為でも食べる為でも無い、無為なものとして、奪っていく。



 それでも誰もが、彼らを咎める術を持たない。
 何故なら彼らは、最強の矛を持っているのだから――。




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