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01 ツカサの憂鬱 4



 俺がいた建物はコの字になっているらしく、俺がいた所はコの上の部分だったらしい。部屋から見えた庭園はコの上と下の間にある中庭で、ティシアさんが待っているのはその下の部分の最上階にある部屋らしい。中庭の面積を思うに随分距離があり、俺とライディティルさんは小走りになりながらその部屋へと急いでいた。
 その間語ってくれるライディティルさんの話によると、騎士というのは職業兼称号で、随分位が高い人間のようだった。王族に仕える兵士、という位置づけで、一般の兵士の模範となる行動態度が必要になる。だから王の城を走るなんて以ての外――とか言ってるけど、小走りは多分模範となる行動ではない筈だ。
 それに、時々城で働いている女性や兵士とすれ違うが、皆呆れたような苦笑を浮かべて、それを見る限りではライディティルさんにとっては何時もの事なのでは、という疑問が沸いて来る。
 それにライディティルさんは国王陛下の護衛という、騎士の最高峰だと部屋付の兵士が言っていた。国王陛下に近い人間なのに、品位とかそういうものは無くても構わないのだろうか。
「あのー、ところで」
「ん?」
 ライディティルさんの一歩後ろを、まるで競歩でもするようについていきながら、俺はふと不安になった事を聞いてみた。
「今日はその、国王陛下もいるんですか?」
「いや、あの人は忙しい人だから」
 あの凄まじい美形に射殺されそうな視線を喰らう事は無いらしく、安心する。
「その代わりで、俺が仔細を確認しに来たわけ。異世界人を見るのも初めてだから、興味あったしな」
 果たして前者と後者のどちらに比を置いているのだろう。恐らく後者の比重が明らかに多そうな、楽しそうな笑顔を浮かべてライディティルさんが俺を振り返った。
 廊下の窓も俺のいた部屋のように壁の片面、中庭に位置する壁だけは窓張りで、そこから入り込む太陽の光りに照らされたライディティルさんの瞳は、赤味の強い茶色だった。髪の色は完全に錆びたような赤い色で、毛先は寝癖なのか癖毛なのか知れないが、まるで炎が揺らめくみたいに見えた。昨日は髪全体を撫で付けていたみたいだが、今日は前髪だけ軽くオールバックにしているだけで、それ以外の部分はライオンの鬣みたいに見える。この髪型が既に、上品さの欠片もないのだ。
 まあだからこそ、国王陛下に比べて人情味があって、話し易い。
「エドの護衛つっても、城ん中じゃあんまり役に立たないんでね、俺ぁ。今日みたいに小間使いみたいにあっちへ行ったりこっちへ行ったり」
「エド……っていうのは……」
「ああ、エディアルド……リカルド二世の事だ。ブラガット家は王家を守る騎士の筆頭でな、昔から知ってんだ。だからついつい愛称で呼んじまう」
「ああ、成程……」
 この世界とこの国の規模がどれ程か分からないが、この国が庶民的だというよりライディティルさんに限っては、身分云々関係ないのだろう。恐らく世間一般の――というより俺の世界では、幾ら昔から知っていようと国王陛下を愛称で呼んではいけないのだと思う。
「でもそうしたら、今、国王陛下は一人なんですか?」
「一国の王の護衛が一人って事はないだろ。今も他の護衛が控えてるさ。まあエド自体剣の腕があるから一人でも平気だがね」
 もう一度成程、と頷こうとした所で、冷ややかな声が前方から聞こえた。
「エディアルド陛下、もしくはリカルド二世陛下とお呼びなさい」
 ライディティルさんの顔を見ながら歩いていたので、前方は無警戒だった。
 不機嫌そうな顔のハンナさんが姿勢を正して立っていた。俺に目だけで会釈をしてから、ライディティルさんを睨み据える。
「遅うございますよ」
「おお、何だ。迎えに来たのかよ」
「兄上がまさかこれだけのお使いも満足に出来ないとは」
「色々準備もあるだろうが」
 まるでミニ国王陛下のような、ハンナさんの冷え冷えとした視線と、嫌味ったらしい物言いを、ライディティルさんは全く気にしない。からから笑い声を上げる大男と、わざとらしいため息を吐くハンナさんはやっぱりこうやって見ても兄妹には見えない。
「準備もありましょうが、王女殿下をお待たせにならないで下さいまし」
「……ごめん」
「それから兄上。ツカサ様はこれでも王女殿下のご婚約者ですよ。気安くなさるものではありません」
 まるで母親のようにライディティルさんを叱りつけるハンナさん。
「……お前、言葉が丁寧であればいいと思ってないか?」
「何がです?」
 目一杯疑問に顔を顰めえるハンナさんに、俺は何も言えなかった。これに関してはライディティルさんに同感だった。
 目配せし合う俺とライディティルさんをハンナさんは不思議そうに見ていたが、すぐにそんな場合ではないと思い出したのだろう、今度は俺も一緒に叱るようにしながら、先を急かした。

 ハンナさんとライディティルさんに続いて部屋に通されると、そこもまた豪華なシャンデリアの下、ヨーロッパ風の家具の置かれた広い室内だった。俺のいた客室よりも生活感があって、中央、シャンデリアの下に設置された丸テーブルにはティシアさんとジャスティンさんが座って談笑していた。まるで絵画か映画の一部のように、優雅にティーカップを啜っている。
 シャンデリアはそれ自体が光りを放っているというより、全面窓から差し込んだ太陽の光りを反射して輝いている、という感じだった。
 俺が部屋に入ると、ティシアさんはふわりと微笑み、ジャスティンさんは席を立って軽く頭を下げてきた。ハンナさんに促されてティシアさんの対面に腰掛けると、4つの椅子の内の残りに、ライディティルさんが座った。ハンナさんはティシアさんの斜め後ろに控える。
 給仕らしい人が俺とライディティルさんのカップにも紅茶を注いで、ハンナさんの指示で部屋を出て行く。ハンナさんは座らないのかと視線を投げれば、目を伏せただけで拒否される。全員何も言わないので、それが正しいのだろうと落ち着かないながらも納得した。
 ティシアさんは今日も可憐だ。透き通るような白い肌、大きな瞳を縁取る長い睫は髪の毛と同じ、蜂蜜色。髪の毛は半分程を頭頂部で複雑に纏め、残りの柔らかにウェーブした髪の毛を背中に流している。大きく胸の開いたピンク色のドレスは、優しい彼女の雰囲気に良く似合っていた。ピアスとネックレスは何十カラットもありそうなダイヤがふんだんに使われているのだと思う。
 小さな顔の中で、蕾のような唇が笑みの形を作る。
「良く、お休みになりまして?」
「あ、うん。ぐっすりと……」
「それは良かったですこと」
 ほ、っと安心するように緩んだティシアさんの笑顔に、思わず見蕩れてしまう。その彼女が紅茶を啜ったので、俺も倣うようにカップに口をつけた。
「……美味しい!」
 雰囲気的に「うまい」という事が憚られて、普段使わない単語を口にしていた。
「この紅茶ははグランディアが誇る最高級の茶葉ですからね。王室御用達の、我らがおすすめする一品ですよ」
 右隣からジャスティンさんが説明してくれる。ジャスティンさんはハイネックのポンチョみたいなものの下に、昨日も見た白い装束を着ていて、やはり十字架のペンダントをポンチョの下に下げている。銀に近い金髪は胸の上まであって、それが昨日は三つ編みにされてたようだが、今日は右耳の下で軽く結われているだけだ。纏う雰囲気もきっかりしっかりしていた昨日に比べて、ゆったりとしていて、まるで昨日がオン、今日がオフという感じ。
「グランディア?」
「ああ、これは失礼しました。グランディアというのはこの国の名前です。我々の世界では一番古く、一番大きな国でございますよ。リカルド2世陛下の御許、穏やかに栄えております。一年中暖かい気候で実りにも恵まれた我が国は、大陸一住み易い国なのですよ」
 ご安心下さい、と続けたジャスティンさんには曖昧に頷くだけで留めた。
 結局はその”程度”が良く分からないのだ。例えばアメリカみたいな巨大な規模なのか、バチカン帝国みたいな小国であるのか、とか。大陸と言ったがそれにどれだけの国があって人が住み、長いというのは四千年の歴史を誇る中国に相当するのか、とか。
 とりあえず冬のような寒季が無いのは嬉しいが。
「どうぞこちらの焼き菓子もお召しになって?」
 中央に置かれていた、小さなクッキーのようなものをライディティルさんが先に手に取る。クッキーみたいな、というのは、見た感じ表面がパイのようにカサカサしていたからだ。でもチョコチップクッキーのようにも見える。ライディティルさんはそれを豪快に素手で取って食べているが、ティシアさんやジャスティンさんは手元にあるペーパーナプキンで菓子を包んで、それを食べる。俺は二人に倣う事にした。
「どうぞ楽にしてお聞き下さいね。お約束通り、ツカサを召喚した理由をご説明しますわ」
「恐れながら、私が」
 さっそく確信に触れる、と緊張した俺は、若干居住まいを正す。
 ハンナさんはそんな俺を見て小さく笑ったようだった。小首を傾げてから、口を開く。
「申しました通り、ティシア様はこの国唯一の王女殿下でいらっしゃいます。御年、15歳、半年後に16の年をお迎えになり、その年をもって成人されます」
 王族と貴族は16をもって成人、平民は18をもって成人するのだという。こくこくと頷きながら、ティシアさんはやはり自分と同年だったのだなと納得する。1歳ないし2歳年下という事になるだろう。
「王侯貴族は成人と共に、ご婚約者とご成婚される事が常です。あっても数年、20を超えるまでお独り身であらせられると、行き遅れと言われます。これが職を持つ女性になると生涯独身である者も多々おりますが、通常その場合でも30歳に近くなると行き遅れ扱いされます」
 この辺りは俺にも理解出来る話だった。日本でも昔は女は結婚して家を守るもの、という風潮だったし、今でもその考えは根強く残る。俺の祖父母なんかも正にそれで、年の離れた従姉妹は32歳、課長という身分のキャリアウーマンだが、仕事で偉くなるより家庭を持ちなさいと良く言われているらしい。
「それで言うと、ハンナも行き遅れになりつつある」
「私はまだ20歳ですし、貴族ではありません。それに、生涯独身で王女殿下をお守りするつもりですから」
 ライディティルさんが茶々を入れると、ハンナさんはすぐさま切り返した。ハンナさんも20歳らしい。ライディティルさんはそれ以上、ジャスティンさんが一番上とはいえ、それでも20後半から30歳という所だと思う。
 それにしてもハンナさんは20歳なのか、とそれが思ったより上だったのか下だったのかは分からないが感心してると、俺の視線に気付いたハンナさんが「私の事はよいのです」と咳払いした。
「ツカサは、政略結婚という言葉をご存知?」
 ティシアさんがハンナさんをかばう様に、さり気なく話を摩り替える。
「あ、うん。政治的な利益とか有利とかで、愛の無い結婚をすること?」
「ええ。王侯諸族は、本人の気持ちは二の次で政略結婚が多くなりますから、結婚が可能になるとすぐに嫁がされるのです」
「ティシアさんはそうじゃないの?」
「ティシア様」
「――ティシア様は、」
 思わずティシアさんと呼んでしまったら、ハンナさんに睨まれてしまった。言い慣れないのだから仕方ないと思いながらも、視線が怖くて言い直そうとすれば、
「どうぞティア、と」
 昨日も言われたように返されて、混乱した。ハンナさんはティシア様と呼べというが、それより偉いティシアさんにはティアと呼べといわれて、でもハンナさんには逆らってはいけない気もする。そうして妥協した結果。
「ティア様」
 愛称に様をつけるのはどうだろう、とも思いながらそう呟くと、全員が微妙な顔つきになった。
「ハンナ」
「……どうぞ、ティシア様のおっしゃる通りに」
 結局は鶴の一声。
「えーとじゃあ、ティア……」
 いくら年下でも王女という身分の人を呼び捨てにはしにくいから、心の中で「さん」を付け足す事にしよう。
「ありがとう、ハンナさん」
「……私のことも、ハンナと」
「え、でもハンナさんは年上だしっ!!」
「身分の低い者においそれと敬称をつけるものではありませんよ。ティシア様を呼び捨てされるのであれば、我々もそのように」
「身分って、俺はっ!」
 ジャスティンさんに軽く窘められて声を上げれば、
「王女殿下のご婚約者は、大公の扱いです」
 と不機嫌なままのハンナさんに言われて、黙るしか無かった。大公が何なのか分からなかったが、ハンナさんにも有無を言わさない威圧感がある。
 でも確かに王女様を呼び捨てて、それ以下の人に敬称を付けるのは常識としておかしいのだろう。ここは言われた通りにして、心の中だけで崇め奉ろう。個人的にはハンナさんをハンナ女王様とでも呼びたい。称号の意味でなく、鞭をくゆらす方の意味で。
「俺はライドでいいよ」
「ではわたしは、ジャスと」
 ライディティルさんとジャスティンさんの申し出にも軽く頷いておく。なるべく名前を呼ばない方向で頑張ろうと思う。
「話が脱線しましたね」
 ハンナさんは仏頂面のまま何度目かの咳払いをして、話を戻した。
「政略結婚のお話でしたが、ティシア様にその必要はございません」
「何で?」
「どの家に嫁がれても、何の利も無いからです」
 言われている事が理解できずに瞬くと、目の前のティシアさんが苦笑して目を伏せた。
 淡々とした口調のまま、ハンナさんが言う。
「色々と理由はございますが分かりやすく申し上げると、先程ジャスティン様がおっしゃった様に、グランディア王国は栄えて久しい大国でございます。代々優れた国王の統治のおかげ、特に現王リカルド二世陛下の統治はその中でも群を抜くほど素晴らしいと言われております。自国の力だけで発展出来るのですから、グランディアの王家は他国と婚姻で結びつく必要がございません。そして国内においても、王家アラクシスから見たらどの貴族諸侯も格下でございます」
「お兄様はわたくしに、好きな相手と好きな時に結婚すれば良いと申してくれます」
 嬉しそうに笑うティシアさんからは、お兄さんである国王陛下を心から慕う尊敬に満ちた恋情が感じられた。
 俺からしてみると国王陛下の言葉はそのままの意味で「誰とでも結婚すれば?」というような無関心さしか感じられないのだが。残念な事に、俺の中の国王陛下の印象は冷たくて、尊大で、優しさの欠片もなさそう、なのだ。
「けれどわたくしが何年もこの城に留まっていては、お兄様のご迷惑になるでしょう……」
 途端にティシアさんの声が沈む。
「何で?」
 と聞けば、躊躇うような気配。焼き菓子を摘み続けていたライディティルさんが、全員を見回してから笑った。
「俺が話そう。ティア王女云々というより、世間一般の常識として聞いてくれたらいいが」
 エドはちっとも気にしないからな、とライディティルさんが言えば、ハンナさんが鋭く睨んでいる。しかしライディティルさんは飄々としたまま、全く意に介さない。
「通常国王が死ぬと、その息子が次の王になる、というのは分かるか?
もし仮に王が子息に恵まれない内に亡くなれば、王の兄弟親族に継承権が移る。今陛下には妻も子も居ない。現在王位継承権の筆頭はティア王女という事だ。
 勿論ティア王女が結婚されたとしても、王が子供のないまま死ねばティア王女の子供が王位継承する可能性も出てくる。だがこの場合は王位継承圏内にはティア王女以外に、陛下の叔父や従兄弟というのも含まれる。
実際に継承権を持つ、という事と、継承圏内に含まれるという事ではかなり意味合いが違ってくるんだが、」
 分かるかと問い掛けられて、何となくと素直に答えておく。
「例えばだな、過去にあった話では、王を毒殺した王女が女王として君臨したり、野心のある貴族に騙された王女が王の死後に貴族に異例の地位を与え、それが残虐な行いを呼んだ、とかな。こういう事は稀にある」
 ティシアさんが王を毒殺するなんて天変地異ものだが、確かに何かに利用されるという事はあるかもしれない。
「ま、そういう憂いを消す為だけじゃあないが、王族っていうのは女に限らずさっさと結婚しておいた方が楽だって事だ。それに王族の結婚はそりゃ華々しくて、平和の象徴みたいなもんで、民衆が望むっていうのも理由かな」
「わたくし達女は、夫の家を守るという役目がございます。わたくしも、その役目が求められましょう。ただこの王宮に関しては、その役目を担うのは王妃なのですよ。わたくしも、わたくしだけの家を守るべきなのです」
 そう言い切ったティシアさんの凛とした顔には、王族としての責任感とプライドが滲んでいるようだった。




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