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01 ツカサの憂鬱 2



 そもそも、異世界に召喚される条件とは何だろう。

 あまり無い知識を記憶の底から呼び起こしてみる。
 俺の知ってる所では救世主のパターンと、結婚相手のパターン。それからお互いにとって、全く予想外のトリップ。三つ目は無事に保護されて比較的安穏としたスタートを切れるものと、しょっぱなから波乱万丈生き抜く為に必死になっている間に紆余曲折して幸せになれるパターンがある。
 俺の場合前者で、しかも結婚相手のパターン。
 召還された、という立場であっても、こちらが選択出来ないのと同様、相手側にも人選は無い。やむに止まれぬ事情などがあって喚んではみたものの、あっさり恋愛関係が築かれるという事は物語の中ではまずありえない。そもそもそんな物語は面白味もまったく無い。
 召喚された人間もとりあえず帰る術が無い内は庇護してくれる相手がいるだけめっけものと思い、召喚した側も呼んだ手前保護するしかない常識人であるから、お互いに妥協するのだろう。
 どれにしても最終的にはハッピーエンドで、途中で帰る術が見つかっても当然のように居残るのが物語やゲームのセオリーだ。

 つまるところ、召喚される人間の条件というのは、別段無いのだろう。行き当たりばったり、それこそくじ引き感覚で引き当てられる。
 最もそんな風に引き当てられてしまったのだからしょうがない、と納得できる程、俺は単純な造りはしていない。

「大丈夫、ではいらっしゃらないわよね……」
 脱力したまま動けないでいる俺に、ティシアさんが歩み寄ってきた。目線をあげると、膝を折ったティシアさんの心配そうな顔が目に入る。近くで見れば見る程可愛らしい。
「あなたには、申し訳ないと思っております。本当よ」
 そうして俺を助け起こそうとでもするかのように伸ばされた手は、横合いから割り込んだ手に遮られた。もう一人、幾分年上の女性が、明らかに親切心からではない態度で、俺の腕を引っ張り起こした。俺と視線を合わせずティシアさんとは別の杞憂を持った不安顔は、芸能人にでもなれそうな整ったものだったけれど、ティシアさんとそのお兄さんに比べてしまうととてもシンプルだった。
「そう思うなら、帰してくれ……」
 何とか立ち上がったものの、声は元気がないまま。
「無理です」
 申し訳なさそうに嘆息したティシアさんの代わり、女性が素っ気無く言った。
 それを今まで黙っていた神父もどきが訂正する。
「正しくは、その術を知らないのです」
 穏やかな容貌に似合った、柔らかで丁寧な言葉。けれど俺の心を切り裂くに充分だ。
 ああ、やっぱりこの展開か。
「あの、ツカサとお呼びしても……?」
 ぎこちないながらも幾分マシになった発音でこちらを窺ってくるティシアさんには、それ所じゃないのだけれどとりあえず頷いておく。お兄さんとはまた別の意味で、彼女の存在にも無視できない力があるように感じる。
「わたくしは、ティシア・アラクシス。どうぞティアとお呼びになって」
 これもどうでも良いが、頷いておく。というより愛称で呼び合うなんて、そんな気分じゃないのだ。
 けれど俺の気分はあっさり無視されて、ティシアさんは次々に紹介してくれる。
「こちらは、ジャスティン・オルド。あなたを召喚出来たのは、神官である彼がいてこそです」
 ぺこり、と姿勢良く頭を下げる、神父――ではなく神官らしいジャスティンさん。そうか、あんたのせいか。
「ハンナ・ブラガットです。先程おりました大柄な男は、私の兄でライディティルと申します」
 こちらも軽く頭を下げてくれるが、全体的に慇懃無礼という感じだ。彼女はティシアさんの背後に――言葉の意味通り、控えている。
「そして、わたくしの兄は、エディアルド・アラクシス――」
「この国の国王陛下にございます。リカルド二世陛下とお呼び頂きますよう……」
 ティシアさんの言葉を補足するジャスティンさんの言動に、俺はまた固まった。
 何か若いくせに威厳たっぷり、尊大で、偉そうだとは思ったが、
「……国王?」
 国王。王様。日本で言う、天皇。国のトップ。
「左様でございます」
 ああ、そうだよね。一般人が異世界人を召喚するなんて物語もおいそれと無い。そんな展開だったら日本……というより地球上で、どれだけの人間が行方不明になりえるか知れたものでは無い。
 ああそもそも俺は、日本では行方不明扱いになってしまうのだろうか。そういえば、高志はどうしてるだろう。
「ティシア様も王女殿下でございますから、くれぐれも、あまり軽々しくなされないよう……」
 ハンナさんが、遠まわしに俺の態度を非難しているがそれ所じゃないので潔く無視。
 彼女の様子から察するに、ハンナさんはティシアさんの従者の模様。何だったっけ、侍女? とか言うんだったか。
 ああ、もう本当どうでも良い。そういう予備知識云々、知りたくない。
「気になさらないでね、ツカサ」
 俺のため息をどう取ったのか、ティシアさんが気遣わしげに俺の手を取った。ハンナさんが睨んできたが、これは俺のせいじゃない。
 にこり、と愛らしい笑顔。
 俺の件に関しての決定権は、最初の態度からして国王陛下であるお兄さんよりも、どうやらティシアさんにあるようだ。
「それにわたくしの結婚相手としてお呼びしたのよ。立場は対等ではなくて?」
 もう一度にこり、花が綻ぶような微笑みを受けて、俺は
「……は?」
「どうされました?」
 失念していた事実を突きつけられて、これ以上なく全身が凝固した。茫然自失、まさにそれである。
「結婚相手……」
「はい?」
「誰、だって……?」
「わたくしです」
「この国の、唯一の王女殿下でございます。それもこれ程の美姫は、どこを探してもおりませんよ」
「本来なら、あなたのような男の相手になる方ではございません。異世界人であるからこそ、許されるというだけで」
 ジャスティンさんとハンナさんの、言葉は右から左。耳にも頭にも残らない。
 王族の、美しいお姫様。確かに手の届かない高貴な身分の、一般人には不釣合いな相手だろう。結婚相手としてすんなり受け入れてもらえる話では無い。
 それが喜ばしいか喜ばしくないか等という俺の感情は置いておいて。
 人事であれば羨ましくもある、かもしれない。
 けれど問題はそんな事では全く無い。
 瞬間目の前が暗くなって、足元が揺らいだような感覚を持ってよろめいてしまう。
「ツカサ!?」
 たたらを踏んで何とか踏ん張ってから、ティシアさんの動きを手で制した。俺を支えようとでもしたのか、肩に置かれたジャスティンさんの手もやんわりと振り解く。
 片手で額を押さえると、仄かに汗が滲んでいた。
「大丈夫、です……」
 身体的には、と心の中で補足する。
「申し訳ありません、ツカサ。あなたのお気持ちを無視した上、このような事、すぐにご理解頂ける筈がありませんわね。すぐに部屋を用意しましょう。そして落ち着いた頃――もう一度――」
「いや、あの……」
「あなたには不本意でしょうけれど、時間はたっぷりあるのですもの……」

 心から俺を労わる優しさ溢れるティシアさんなのに、今のが一番効きました――。



 結局その後、ジャスティンさん、ティシアさんと別れ、ハンナさんに先導されて俺は別室へと通された。同じ建物内のようなのだが行き着くまでに結構時間がかかったように思う。ハンナさんは無言のままだったし、俺も心労と疲労がたたってあまり物事を考えている暇がなく、気づいた時にはソファに腰掛けていた。
 高級ホテルのスィートルームの豪華版といった感じだろうか。何から何までキラキラと輝いて、アンティーク調というのだろうか、テレビでそんな風に紹介されていた家具が並んでいる。
 その中でハンナさんと、もう一人女性が増えていて、その二人が扉の近くで何か話していた。
 俺の視線に気づいたハンナさんが、ふ、と顔をこちらに向けた。
 最初の頃より、若干表情が柔らかくなっている気がする。
「……お腹は空いてらっしゃいますか」
 声の質も、当初より優しい。
「よろしければ夕食をご用意いたしますが?」
 ――こちらも、夜なのか。部活を終えて自宅で夕食を取るつもりだったから、昼から食事を取ってはいない。いないけれど、空腹は感じられない。
「……いらない……」
「左様ですか」
 ハンナさんがくい、と顎を上げると、もう一人居た女性は一礼して出て行く。
 そしてこちらに近づいてくるハンナさん。出会った時には堅苦しさがあったが、動き全体から無駄な緊張が失せている。剣道の試合などで馴染み深い、臨戦態勢が解かれているようだ。
 明るい茶色の瞳が、ゆっくりと細められる。笑ったようだった。
「ではゆっくりとお休み下さいまし。明朝、ティシア様の準備が整いましたら呼びに参ります。よろしいですね?」
 お疲れでしょう、と問い掛けられて、初めてそれを自覚すると、どっと疲れが押し寄せる気がした。朝から晩まで竹刀を振って、へとへとになった夏合宿を思い出す。ベッドにダイブして眠りたい気分だ。
「奥がベッドルームです。寝巻きと水差しがベッドサイドに。それから何か用がございましたら、部屋の外に待機しております兵士にお声がけを。明日の朝は7時に朝食をお持ちいたします」
 俺が頷くとハンナさんは矢継ぎ早に言って、壁にかかっている時計を手で指し示した。白い文字盤の下に飾り板がついていて、そこには鳥や花が彫られている。丸い文字盤の数字はローマ数字だったので、俺にも読めた。念の為、俺の認識での7時とハンナさんのそれが同一か確かめてみたが、Zが7時という事で間違いなかった。
 部屋の外に兵士がいるなんて、とちょっと思ったけど、ハンナさんの説明を聞く限りここは王城内の客室だという事で、セキュリティ上待機しているものなのだという。俺の護衛も兼ねているというけれど、監視なのだろうなぁ。俺が部屋を出て王城を徘徊しようものなら――。
「くれぐれも、用がございましたら外の兵に。無いとは思いますが、一人でお歩きになりませんよう。城内の兵士はあなたを存じ上げておりませんので、不審者と思われてしまいますから」
「……はい」
 ――という事らしい。
「何かご不明な点は?」
「……ないです」
「それでは、私も失礼します」
 綺麗な角度で頭を下げたハンナさんが、しずしずと部屋を出て行く。絨毯が厚いからか足音も立てず、ティシアさんに劣らぬ毅然とした姿勢でその姿が消えると、俺は大きく息を吐き出した。
 一人になってやっと、部屋の空気が居心地のいいものになる。
 そうしたら眠気と共に、忘れかけていた便意が戻ってきた。
 そうだ、トイレに行きたかったんだ!!
 ハンナさんにトイレの場所を聞きそびれた。今すぐ追えば間に合うだろうか、と慌ててドアに走り寄る。錆び一つないピカピカの、細工のされたドアノブに触れるのに一瞬躊躇したが、
「……ハンナさん!!」
 えいやっと開けて、叫んだ。
 のに、ハンナさんの姿はもうどこにも無かった。
 廊下はひどく暗い。正面は壁、片側は二部屋くらい隣にあってその先が壁。もう反対側は暗すぎて分からない。壁に等間隔で蝋燭のランプがかかっている。
「うわっ!!」
 その側の、通された客室の部屋のドアの前に、直立不動で男が立っていた。ハンナさんのお兄さんは軽装備の兵士みたいだった。この人は重装備。甲冑を着ていて、手に持った長い槍で部屋を出ようとしていた俺の身体を押しとどめていた。
「お部屋からお出になりませぬよう」
 抑揚の無い声と、四角い顔の中にある瞳が俺を責める。第一印象は真面目そう。きゅっと寄った太い眉と、固く結んだ唇が、クラスメートの委員長に似ていた。髪と瞳が黒いから日本人のように見えたのも、同級生と似ていると感じた理由だろう。でも中東の人みたいに濃い顔だ。委員長はソース顔だからよく見ると似てない。
 って、そんな事よりも。
「ごめん、でもハンナさんに聞きたい事が……」
「用向きは私が伺います」
「いや、でも……」
 初対面のこの人にトイレの位置を聞くのか? いや、でもそんな場合じゃない。
「えーと、じゃあ……あの」
「はい」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳から顔をそらして、小さくポソリ。
「トイレに行きたいんです」
「……」
 すぐに返事が返ってこなかったのでゆっくりと男の顔を窺うと、彼はぽかんと口を半開いていた。
「あの……?」
 何か変な事を言っただろかと不安になる俺に、男は何とも言えない表情を見せた。それから空いた手で困ったように顎を撫でる。
「行かれたら、いいかと」
 逡巡した後に、戸惑いの滲んだ声が言った。男に続いて俺も途方にくれてしまったから、二人して困ったように見つめ合う形になる。それが出来たら苦労しないんだよ、と軽くため息が出る。
「異世界では、何か決まった手順が?」
 この人も、俺が異世界トリップした事を知っているらしい。なら、悟ってくれてもいいものを。
「いや、場所が分からないだけ」
「……成程」
男は槍を俺の前から外して抱えなおすと、俺の頭上から室内を指し示した。俺の身長は165cmジャストだが、男は2mを超えるだろう。見上げるようにして腕を追う。
「ベッドルームの奥にございます」
「――あ、ありがとう、ございマス」
 苦笑されると何だか無性に恥ずかしい。顔面に血が集中するのが分かったから、恐らく真っ赤になっているだろう。慌てて片言の感謝を告げると、俺はそそくさと室内に戻った。
 そうか。こんだけ豪華な室内だったらトイレも完備されているという事か。縁が薄いから分からなかったけど、そういや修学旅行で利用したホテルにだって、部屋の中にトイレと簡易シャワーがついてたっけ。
 そうだよな。そりゃ、行けばいいって話だよな。
 暑くなった顔を手で扇ぎながら、俺は言われた通りのベッドルームを目指す。ベッドサイドのランプが寝るには調度いい明りを点している。その奥の部屋には洗面所みたいな鏡のあるスペースが、六畳の俺の部屋くらいあって、白い扉の先に目当てのトイレが見つかった。
 でも、電気が無い。何時もの癖で壁に手を這わせてみたのだけどいっこうにスイッチらしいものが見つからない。そういえば大きな部屋の、リビングルームにあったのはシャンデリアっぽかったが、それ以外は全てランプだった。思い出して、ベッドルームのランプを手にしてみる。思ったとおり移動用なのか、すぐに机の上から離れる。それを持ってトイレに戻れば、壁の一角に調度ランプが置けそうなでっぱりを見つけた。
 それでやっと明るくなったトイレも、広い。
 便器は、とりあえず座れるようにはなっている。実際に利用する前に、色々と確認してみる。壁にくっついているのは俺の世界と一緒だが、手を洗う上の部分やタンクがない。普通の椅子に便座があって、という感じ。上から紐が垂れ下がっているからそれを引っ張ってみると、ゴゴゴと音がしてとりあえず便器に水が流れた。手を離せば止まる。
 この水はどこから来てどこに向かっているのだろう、と疑問に思ったが、仕組みは同じようなのでほっと一息。流石に使い方までは兵士さんに聞かなくても大丈夫そうだ。
 無事に用を足すと、俺はすぐさまベッドにダイブ。弾力のある柔らかな布団が、俺の身体をふんわりと包んでくれる。すっごく寝心地が良さそうだし、眠気が誘われる。
 屋根付きのキングサイズのベッドは、花の香りが漂っている。アロマ、みたいな、睡眠欲をくすぐられる匂いにふわと欠伸が出る。
 ランプを持っていった時に見つけた寝巻きは、机の上で畳まれていた。それを広げてみれば、膝下丈の長袖ワンピースと、下に履くズボンだった。さわり心地が非常に良い。絹、だろうか。
 日本は冬だったけれど、こちらは春みたいなので、俺の格好ははっきりいってちょっと暑かった。フードの付いているトレーナーも寝にくいし、寝る時はパジャマ派なので着替える事にした。
 脱いだ服を椅子にかけて、ベッドに潜り込む。
 本当は考えなきゃいけない事が多々あるんだろうけど、今日はもういい。心身ともに疲れきって、そんな気分じゃなかった。
 もしかしたら目覚めたら、家の布団の中かもしれないし。

 そんな一縷の望みを持って、俺は眠りの世界へ沈んだ。




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