恋 涙

 ねぇ、手…繋いでいい?

 デートの度に、いつも言いたくて言えない言葉。




 あたし、西城 小春の恋人・大森 渉は極度の照れ屋である。
 二人の馴れ初めは、中学の時同じクラスで同じ部活で気があったから。『彼氏』が欲しいのもあったし、なーんとなくで付き合いだした。
 そもそもどちらが好きだったというのでもない。今でこそ渉ラブなあたしだが、当時は仲の良い男友達でしかなかった。
 友達に、
「お前ら仲良すぎ。付き合っちゃえば?」
そう言われて、
「そうすっか?」
「そうだね」
と簡単に答えたから。
 
 そんなあたし達でも、もう二年になる。

 高校が違うがそれでも一年を過ごし
――別れる必要もなくやってきた。やる事もやってきた。
 けれど、それだけだ。

 手は繋がない。
 好きだと言われた事もない。
 友達の前でも「彼女」だと紹介してくれない。

 それを『照れ』で済ませられたらどんなにいいか。



 そんな事を考えているあたしの横で、渉は無邪気に笑っている。

 彼が話すコトはもっぱら大好きな野球のコトで、今日もいつものように巨人がどーたら横浜がどーした、とそんな事を楽しそうに語っている。
 はっきり言ってあたしにはかなりどーでもいい話だが、渉のこの笑顔が見れるならと文句を言った事はない。おかげであたしも野球に詳しくなった。
 それに、クラスの女子がどーだこーだと、そんな話よりは数倍マシだ。

 あたしは適当に相槌を打ちながら、映画館までの道を歩く。

 今日は二人で楽しみにしていた映画を見に行くのだ。遭難した男性が帰ってみれば竜宮城みたいな目にあったという、不思議な話だ。そこに色々な要素が盛り込んである他、俳優陣がマイナーだが素晴らしい。
 
 あたしと渉のバイトの関係で、こういうデートは久し振りだった。

 渉の顔を盗み見ながら、あたしはわけもなくドキドキしていた。
 いつの間に、こんなに渉のことを好きになっていたのだろう。
 
 渉があたしの凝視に気付いて、不快そうに眉根を歪めた。
「何だよ」
「べ〜つ〜に〜」
 あたしはきっと今、満面の笑みを浮かべていることだろう。渉が気味悪そうな顔をしているのだから、きっとそうだ。
 けれど今日のあたしは、ちょっとのコトに怒ったりするほど心の狭い人間ではない。
 例え手を繋げなくたって。好きだと言ってくれなくったって。

 それでも。

 ……いいわけがないけれど。



「ちょっと、急がない?ヤバイかも…」

「あれ?大森じゃね?」

え?
振り返ると人ごみの中から、三人の男が寄ってくる所だった。
 一人は金髪で、一人は赤髪。渉の友達にしては、やばげな男達だ。
「先輩!こんちわ」
「おう、渉。何してんの?」
「あ、いえ。別にちょっと…」
 不安そうにあたしを見る渉。
 その時、あたしの存在に気付いた長身の黒髪男が、渉の背後にいたあたしの顔をひょいと覗き込んできた。
 あたしは思わず渉の腕にすがる。
「なに、彼女?」
「可愛いじゃん、やる〜」
からかうような笑い声が響いた。
 この展開は、何だか嫌な事を彷彿とさせる。いつもの、お馴染みの……。
「ち、違いますよ!」
 ほら、やっぱり。
「何言ってんの?デートだろ?」
「そうそう、日曜日に二人で遊んでんだから」
「照れんなよ、渉。で、付き合ってどれくらい?」
「だから、違いますって!中学からの気の合う友達で…それだけっっよ」
 渉は顔の前で手をブンブン振った。
……そんな力一杯否定する事ないじゃない。
 あたしは思わず、顔をしかめる。
 そんなあたしを目ざとく見つけたのは、やはり長身の男だった。彼は渉を楽しそうにからかう友人二人を無視して、あたしに言った。
「ごめんね、渉の彼女さん。俺ら、あいつの部活の先輩なの。あいつらは最近寂しい人生だから、少し相手してやってよ」
「……はあ…」
「で、君は何ちゃん?」
「…小春。西城小春です」
「小春ちゃん。いや、西城さんね」
男は屈託なく笑った。
「で、渉とはどうなの?」
「どうって……」
「いや、渉ってさ、部活とかでも恋愛話聞かせてくんないのよ。だから、ごめんだけど興味本位。で、どうなの?」
嫌な話題だ。あたしは目一杯顔をしかめる。
「それなりです」
「なに、それなりって〜」
 声を発したのは、金髪男だった。
何だこいつ。入ってくんなよ。
さっきから無神経なその男はへらへらといやな笑みを浮かべて、渉の方を叩いた。
「それなりだってよ。うけるな、お前の彼女」
「だから彼女じゃないですって。ホント……こんな女御免です」
「あっそ。じゃあ、俺もらってイイ?最近俺、彼女いなくて寂しかったんだぁ〜」
ちょっと…。冗談にしてもあんまりじゃ……。
「いいっすよ。良かったな、小春。お前みたいなの彼女にしてくれるってさ」
 渉の顔には微笑。
 
 その時、あたしの中で何かが壊れた。

 冗談だって、わかっているけど。
 渉の言葉がどれだけあたしを傷つけるかなんて、わかってないんだからしょうがないけど。
 けど。
 あたしにだって、我慢できない範囲がある。

 あたしはバックを握った右手に力を入れて、勢いよく振りかぶった。

 一瞬の、驚愕。

 そして、バシッと小気味よい音が響いた。
 人々が振り返るのを見たが、そんなことには構ってられない。
「いって…。何すん…」
「うっさい、馬鹿!!!」
「ばかぁ〜!?」
 渉の先輩三人組は、驚きと呆れと困惑の入り混じった顔で、あたしタチを見ている。
お前らのせいだよ、馬鹿!!!
「だいたい、あんた何なのよ!!二年も付き合ってて彼女じゃないって何!!?」
「それは……」
渉は視線を泳がせながら、静かにしろと暗に語っている。
――確かに見られている。笑われている。
 それより、大事な話だ。
「恥ずかしいとか馬鹿なコト言わないでよ!?つうか、何!?そりゃあ最初からなあなあで始まった恋愛だけど、一度も好きだともいってくれてないもんね?付き合ってるってあたしの勘違い!?優しいあんたはあたしが可哀相で付き合ってでもいてくれたわけ!!!」
「そんなわけねぇだろっ」
「へえ、どこが!!?」
渉は黙る。
 言えないというコトは、その通りだというコトだろうか。
 黒髪が、おずおずと言った。
「あ、あのさ…西城さん。あいつら、冗談言ってただけで別に……」
「黙れっ!そんなんどうでもいいんだよっ!!!」
こういうのを火を吹く勢いとでもいうのだろう。
 黒髪も、黙った。
 渉を見ると、渉はあたしから目を逸らしている。こっちを見ようともしない。

 それが、答え。

荒い息を吐きながら、少し泣きそうになった。悔しいけどそれ以上に、胸が痛い。

手を繋げなくても。
好きだと言ってくれなくても。

 それでも我慢しようと思った。
 けれど結局、無理は続かないということか。

あたしは、踵を返した。

「ばいばい。今までありがとう」

 捨て台詞にしては弱い声で、あたしはそこを去った。

背後から
「こは……」
そんな声が聞こえたが、それが人ごみにかき消されたのか渉が途中で言いよどんだのか、その判定はあたしには出来なかった。
けれど、渉は追ってはこなかった。


 終わりというのは、まったくあっけない。
 二年間の終わりが、こんな簡単だとは
――ネタにも何にもならない。



 あたしは渉と見るはずだった映画を途中から入った。人は驚くほど少なかった。

 大画面の中で、男が何かを語っている。それを見ていたら、途中からその顔が渉になった。
 渉が笑う。渉が泣く。渉が怒る。渉がはしゃぐ。
 少し渋い、渉の声。電話越しでは不機嫌そうに聞こえてくる、低い声。
 笑うと出来る両頬のえくぼ。
 
 涙が、溢れた。

 嗚咽が漏れた。

 人が少なくって良かった。暗いから誰にも見られずに泣ける。

 あたしは席の後ろの方で、映画を見ながら渉を思って泣いた。



 二年前。

 付き合って最初の夏。
 「ねえ、手を繋ごう」
そう言って手をからめたあたしを、渉は振り解きながら言った。
「熱い、うざい」
 その顔には微笑があったけど、あたしの心を裂くには十分だった。
 それ以降、手を繋ぎたいとは言えなかった。
 また拒否されることが怖くて
――そうしたら結局、二年間一度も言えなかったけれど。

 クリスマス。プレゼントは欲しかった指輪ではなく、ぬいぐるみだった。それでも探すの大変だったというビックサイズのぬいぐるみに、とても嬉しくなった。

 野球の観戦にいって、雨の中びしょぬれになった日。次の日二人とも風を引いた。文句を言いながらもあたし、何だかくすぐったくなった。

 春。
 高校が違うコトに泣いたあたしに、渉が言ったコト。
「会おうと思えばいつでも会えるじゃん。電話してくれれば飛んでくからさ」
「…恥ずかしいこというね」
あたし、そんな事をいったっけ。
 渉の感覚は少し他と違って、そういうことを恥ずかしげもなく言う人だった。けれど人前では、異様に照れ屋だった。

 
 けれど、好きだとはいってくれなくて。
 
 渉。渉。渉。渉。渉。渉。渉。
 渉。渉。渉。渉。渉。渉。渉。
 渉。渉。渉。渉。渉。渉。渉
――

 何度も何度も渉の名前を呼ぶ。何度も何度も、思い出す。

 いつか、忘れられるのかな?
 いつか、また友達として笑えるのかな。



 顔を突っ伏して泣いていたあたしの隣に、ふいに人の気配が現われた。隣に座った感覚がある。
 席は一杯空いているのだから、他の所に座ればいいのに。
 そんな事を思った瞬間、手を握られた。
痴漢!!
そう思って顔を上げる。

 文句を言おうと開いた唇は、その形で止まった。
 そこに居たのは、渉。
 あたしの手を握り、けれどこちらを見ようとしない渉。
 大画面を見据える渉の横顔には、汗の玉が浮かんでいる。
「…わ、渉……」
びっくりして涙は止まっていた。
「どして、ここ…」
「いっとくけどなぁ」
渉はやはりこちらを見ようともしないで、小声で言った。
「俺が好きって言ってないってお前言ったけど、お前だって一度も言ってないんだぞ」
――え?」
 渉がやっとこっちを見て、次いで小さく笑った。困ったような、そんな笑みだ。
 反対の手の袖口であたしの涙を拭いながら、渉は続ける。
「二年付き合った
――っていったってさ。始まりがアレだろ??だから付き合ってるっていうのだって、好きだって言うのだって、勇気がいるんだよ!!」
――渉…あたしの事好きなの??」
「当たり前だろ!いくら気が合うったって、じゃきゃ二年も付き合うかよ!!」
渉が不機嫌に言った。
「まあ、悪かったよ。
――言わなかった俺が悪い」
 およそ謝っていると言えない態度で、渉は頭を下げた。
 昔から、そうだった。偉そうに謝るのに、何故か許してしまう。
「でも
――だって、渉……友達とかに紹介してくんなかったじゃん。いつも友達って……そんな風にしか紹介してくんなかった!だからあたし――
「あ〜。それはその……」
「それは??」
「〜。つまりだな…。クラスメートにさ、お前の話したら……その、同情で付き合ってくれてんじゃないの!?とか言われてさ。まあ……なんだ?それでその、不安になったっていうか、だな…」

不安。

あたしが感じていた不安を、渉も感じていたの?同じ事、考えていたの?

 間抜けな事に今気付いた。
 あたし、渉と手を繋いでいる。渉、好きっていってくれた。
 


 渉は、少し照れたように言う。

「今更だけどさ……ちゃんと、好きだから………」




 あたしは嬉しすぎて、また泣いてしまった。







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